それからはレギュラーの人にも神田にも会わず部活を終えた。 外で部活終了の合図が出され、ぞろぞろと部員たちが部室へと戻ってくる。 私はマネ室でただじっと、レギュラーたちが早く着替え終わって帰るのを待った。 「………」 レギュラーたちと一緒に帰ってきた神田は、気味の悪い笑みを浮かべて私を見てる。 気分悪いからやめて欲しいんだけど。 真田さんと柳さんが怒るように仕向け、それが実って嬉しいのか楽しいのか。 どちらにせよ、ざまあみろと言いたげな視線は凄くうざったい。 大口を叩かないということは、それだけ満足しているということなんだろう。 「お待たせー!皆、帰ろっ」 そして一言も言葉を交わすことなく、神田は着替え終わるとレギュラーたちが待つ外へと向かった。 私はそっと耳を澄ませて、窓から見える彼らの様子を眺めた。 「梨花子さん、間宮さんはどうしていましたか」 「どうって……普通だったけど?」 出て早々、柳生さんが気になっていたように口を開く。 それに神田は首を傾げながら言う。 「普通って、ちゃんと謝ってもらったんスか?」 「謝ってもらう?何を?」 「……間宮が暴れたことッスよ!」 とぼけるというよりは、純粋に疑問に思っているという表情で神田は言う。 私には面白がる素顔すら見えるけど、レギュラーたちにその演技を見抜くことはできないみたい。 切原は呆れたように言葉を補足する。 ……というか、私がいつ暴れたって? 「む……謝罪の言葉はなかったのか」 「梨花子がこんなに助けてくれているのにね」 「もう、皆怖い顔しないで?楽しく帰ろうよっ」 眉を寄せて言う真田さんと幸村さん。 その表情には、どこか私を見損なったように思う気持ちが見え隠れしていた。 だが、そんな皆の心配に思う気持ちも、神田のその一言で一瞬は消えた。 私はその様子を見て、軽く溜息を吐く。 この状況を憂いているわけではない。彼らの中に、とある人物がいないことに気付いてしまったから。 私は少しだけ気を引き締め、ロッカー室へと続く扉を開ける。 「……帰らないんですか、丸井先輩」 そして予想通りロッカー室に居た丸井さんを見て、そう声をかけた。 にっこりと笑い、小首を傾げて可愛らしく。 でもそんな表情と言葉を丸井さんは聞きたいと思っていなかったのか、厳しい表情で私を見据えた。 「だから……言ったんだよ」 震える声で言う丸井さん。 私は特に表情を変えることなく、次の言葉を待った。 「梨花子はああいう奴だ……。自分のためなら、何でもする」 丸井さんはとっくに神田の仕業だと気付いているのか、悲しそうに言った。 「まだ!まだ……引き戻せる。早くマネなんか辞めて……」 そして感情に突き動かされるように、正論のような邪論を口々に言う。 ああ……面倒臭い。 私はそれを聞いて、思わずまとわりつく蠅を見るような目で丸井さんを見た。 口で言うだけで、あとはお構いなしのこの人を。 責任を背負いたくなくて、行動に移せないこの人を。 切なそうに苦しそうに眉を寄せ、私に必死に訴える丸井さん。 今まで何度この姿を見てきただろうか。 ああ、こんなにもしつこく言われるのであれば。 あの時、丸井さんと一緒に帰るんじゃなかった。 学校≠ニいう限られた時間の中で、作業すればよかった。 少しだけ後悔をして、私はチッと舌打ちをした。 「機械じゃないんですから、何度も同じこと言わないでくださいよ」 「っえ……?」 そんな私の言葉に驚いたように、丸井さんは言葉を止め目を見開いて私を見た。 そしてすぐさま先程と同じ、健気な後輩が浮かべる笑顔を作った。 「先輩の優しさが心に響きました。皆さんが辛い思いをしないよう、私はテニス部のマネージャーを辞めます」 抑揚のある、優しい言葉を投げると丸井さんは一瞬茫然と私を見ていた。 だが言葉の内容を理解すると、すぐに安心したように顔から緊張感がなくなる。 「……とでも言うと思っていましたか?」 「っ!!」 でもすぐにその安心は私が口を開くと同時に奪われた。 私は私で笑顔を崩し、憎悪を帯びた目で丸井さんを見つめた。 丸井さんもそれを感じたのか、訝るように私を見たまま言葉が出ないままでいる。 「神田があんな奴だということは初めから知ってます。あなたに言われるまでもありません」 「……間宮……?」 「私の心配なんてしないでください。言ったでしょう?私は強いって」 私の心配をするくらいなら。 姉に償う方法でも考えろ。 自分が傷つく覚悟を決めろ。 偽善から生まれる薄っぺらい言葉なんか聞き飽きた。 そんなもの、私はもう求めてはいない。 「その言葉さえ信じられないんですか。ああ、だから美原秋乃を信用することができなかったんですね」 射抜くような冷たい目で、そう言う。少しの嘲笑と共に。 姉の名前が出たから、丸井さんは少しだけ辛そうに顔を歪めた。 どうやらようやく、今までの私とは違うことを丸井さんは感じたみたい。 言葉が出ない様子の丸井さんに、私はさらに言葉を続けた。 「それよりいいんですか?神田と一緒に帰らなくて。そろそろ不思議に思われますよ」 「っ……」 「それとも、もうあいつらから逃げる準備ができたんですか?逃げるのはあなたの得意技ですもんね」 神田の本性から逃げて。 自分の正義から逃げて。 仲間を正すことから逃げて。 助けを請う、か弱い姉からも逃げた。 あなたはそう、いつも逃げてばかり。 そして今度は何?得体の知れない転校生から逃げるの? いいわよ、逃げても。誰も追ったりしない。 今の私の計画にあなたは邪魔でしかない。 逃げることを許してあげる。だけど、時が来たら決して逃がさない。 必ず罪を償ってもらう。 「……俺は、もう逃げない!」 馬鹿にするように言った私の言葉に腹が立ったのか。 ようやく丸井さんは口を開いた。怒鳴りにも似た声。 私は嘲笑をやめ、無表情でそれを聞いた。 「秋乃の時はっ……確かに、俺が弱かった。逃げてばかりだった。だから……秋乃は、死んだ……」 拳を強く握って。絞り出すように言う丸井さん。 私はそれを哀れに思う気はさらさらなく、無表情を続ける。 「だから、その時と同じにならないように、お前を助けたいんだよ!」 「………」 「正直、今までと全然違うお前の態度や、何か企んでいるようなお前を見てびっくりした……」 丸井さんの疑うような目が私を見つめる。 私も強気でそれを見つめ返した。 「でも、昨日言った言葉に嘘はない!俺はお前を守りたい!」 その冷たい目に臆することなく丸井さんは続けた。 自分にある引け目を抱えたまま。それでも、丸井さんは誰かを守りたいと。 そう強く言い放った。断言した。 今までにないくらい真っ直ぐな目を向けられ、私は呆れたように溜息をついた。 「必要ありません。むしろ目障りです」 そして丸井さんの存在を無視するように横を通り過ぎた。 丸井さんは待てと言わんばかりに私へと手を伸ばす。 「触らないで!!」 その気配を感じた私が大声で言うと、丸井さんは怯んだのか動きを止めた。 唇を強く噛み締め、私は大きな歩幅でその場を離れる。 もう二度とその姿を見たくないと、心の中で強く思いながら。 「………何、なんだ」 部室に一人残った丸井は茫然と立ち尽くし呟いた。 こうして静かな場所で一人冷静になると、先程夏姫と交わした会話が全て夢にも思えてくる。 「何で……あいつは、ここまで……」 あれはただの強がりには見えない。 まるで、今までの優しい姿が偽りで、今のが本性のようにも思えてくる。 自分はただ、助けたいと思っているのに。 どうしてそれを頑なに拒むのか。 強い拒絶。それを肌で感じた丸井の心は霧がかかったまま。 今起きた事柄を何一つ、理解することができなかった。 ×
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