「っ……!」


私が一点の曇りも、迷いもない目で答えたからか、神田は驚いたような顔をして私を見てきた。
神田の中にあった余裕が少しだけなくなった気がした。
それもそうでしょうね。
私は姉とは違って、怯えも悲しみもしていないから。


「それが何を意味するか分かってるの?」


そしてこう言葉を投げかけてきた。
眉を寄せて、睨むように。自分の思い通りにならないことを疎ましく思うように。
まるで小さな子供が駄々をこねているみたい。


「分かってます。そしてきっと……美原さんのようになるんですよね」
「!……そう、知ってたの」


きっと、なんていうのは嘘。
私は無表情でさらりと答えると、神田はまた驚いたように目を見開いた。
でもそれはすぐに、好都合とでも言いたそうに笑った。


「それなら話が早いわ。確かに私があいつを追い詰めたわ。さすが夏姫ちゃん、頭が良いわね」


ほんの少しの嫌味を含めて神田が言う。
私は思わずその挑発に乗ってしまいそうになり、唇を噛みそうになってしまった。
昂る気持ちを抑え、私はやっとのこと平静を保った。


「……それで、次は私の番ということですか」
「そうよ。だって私の邪魔をするんだもの」


当然、とでも言いたげに軽く答える神田。
自分以外の人間はどうでもいい、という典型的な自己中人間。


「それでも、マネを辞めないの?これから酷い目に遭うと分かってるのに?」


こう聞いてはいるものの、すでに神田の中では決定事項となっているはず。
私が辞めることを拒んで……虐めを繰り返すことになることは。
姉への行為を自供したのだから、私を逃がすわけにはいかないものね。


「辞めませんよ。だって、私があんたみたいな醜い女にやられるわけないじゃない」


分かっているうえで、私は神田を挑発するようなことを言った。
今までのできる後輩¢怩全て払拭する勢いで。
この安い挑発にも……プライドの高い神田は面白いくらい乗っかってきた。


「っ!言っ…たわね……!!よく分かったわ!あいつの二の舞にしてやる!」


見る見るうちに怒りで支配された形相になっていく。
沸点が低いのね。単純で……こう火花を散らせるのは簡単。
だけど、逆に何をしでかすか分からない。怖くないと言えば嘘になる。
神田はそう低く叫んだと思えば、何やら動き出した。
ドリンクの準備でもするのかしら。準備と言っても、自分にぶっかける準備、だけど。
少しだけ訝しげに神田を見ていると、神田はドリンクの入った冷蔵庫ではなく、外へと出て行った。


「………」


私は無言でその姿を見送る。行動が読めない。
もしかして、夏姫ちゃんが悪口言ってくる〜とかレギュラーたちに大嘘つきに行ってるのか。
だとするとすぐにでもレギュラーたちが乗り込んで……


「!」


そんな私の心配を余所に、神田はすぐに戻ってきた。
両手にいっぱいのタオルを抱えて。
真っ白に仕上がったタオルは、朝洗濯をして乾いたばかり。
一体そんなものを持って、何を……。


「っ!」


私が平静を装いながら神田の様子を見ていると、神田は勢いよくタオルを床へと叩きつけた。
そしてそれらを思いきり踏みつける神田。白かったタオルが、どんどんと汚れていく。
はらはらと、空気抵抗に負けた数枚のタオルが流れるように床に到着する。
それを唖然として見届けたところで、私はようやく我に返って神田を見た。
神田は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、こう叫んだ。


「何やってるの夏姫ちゃん!!やめて!!」


それは、普段出している高い声よりも数倍大きな声だった。
ああ、これならテニスコートにも余裕で聞こえるな、と方向違いのことを考えながら、私はこちらを睨んでくる神田と対峙した。
神田はこれが狙いだったのか。
なるほど。
思わず口角を上げそうになる。どうやら、この人はただ感情で動かされてこんなことをしているわけじゃない。
狙って、やってる。
それに気付いた時には、レギュラーたちの足音がすぐ近くまで聞こえてきた。
神田はまるで台本があったかのようにして、その足音を合図にタオルを掻き集める素振りをした。
本当、底意地の悪さとずる賢さは一品ね。


「一体何事だ!」


扉を開け、そう叫んだのは真田さん。
もちろん後ろにはレギュラー陣が全員揃っている。
状況をすぐに把握したいのか、私を心配してくれているのか……真田さんの次に入って来たのは丸井さんだった。


「夏姫ちゃんが急に……タオルを……」


神田は困ったような切なそうな表情でレギュラーたちを一旦見て、タオル拾いに勤しんだ。
どうやらそれだけでこの状況がどういうものなのか、レギュラーたちはそれぞれ想像させたみたい。
きっと、私がタオルを床に叩きつけて踏みつけて汚したと。
神田のしたことをそのまま、私のせいにされてしまっている。
とりあえず私を咎める前に、神田の様子を見て後から入って来た柳生さんとジャッカルさんが手伝った。
ありがとう、とお礼を言いながらタオルを拾い集めた神田が立ち上がる。
その間に私の目の前には真田さんが立っていた。


「間宮、これは一体どういうことだ」


私より、ずっと上にある真田さんの目を見上げる。
相手を委縮させるような、肉食動物が獲物を見るのに類したその目。
でも私は怯むことなくその目から視線を逸らさなかった。
……目は口ほどに物を言う。その言葉通り、真田さんの目には若干の迷いがあった。
あの健気なマネージャーがわざとこんなことをするとは思えないのだろう。
何か思うところがあってこんなことをしたのではないか。
何か衝動的に駆られてこんなことをしてしまったのではないか。
そう訴えかけているような目だった。


「待って、弦一郎。そんなすぐ突っかかっちゃだめだよ」


こうなったのは自分のせいなのに、しれっと私と真田さんの間に入ったのは神田だった。
私を庇うようにして。


「きっと夏姫ちゃんは不安だったんだよ」
「……梨花子」
「転校してきて間もないし……それで、衝動的になっちゃったんだよ」


私には背を向けていて、その表情は見えないけれど。
声音は悲しそうで切なげで、とてもか弱いものだった。
そういう演技はお上手なんですね。


「む……そうなのか、間宮」


真田さんは困ったように眉を寄せながら聞いてきた。
それであればいい、と思ったことの通りになって若干安心しているようにも見える。
ま、ただ単に神田の言葉に惑わされただけかもしれないけど。
あんたたちが人を死に追い詰めてまで大切にしている女の子だもんね。


「確かに、人は不安を感じると突発的に暴走してしまうことがある。表に感情を上手く伝えられないのなら尚更な」
「なるほど。間宮さんは転校してきたばかりで相談する相手もいなかったのなら、そうなってしまう状況にはなりますね」


私が答えるよりも先に、柳さんが言葉を発し、便乗するようにして柳生さんも呟いた。
それを聞いて真田さんは納得したのか「そうだな」と先程までの戸惑いを消した。
私は神田の背に居ることをいいことに、皆の表情を見ていた。
ほとんどの人は、柳さんたちの言葉に納得しているのか、特に私を恨んでいるような目で見ている人はいない。
だけど、丸井さんは事情を知っているためか、辛そうな目で私を見つめていた。
切原は私を疑っているような目で見てきた。でも私との間にある少しの信頼が邪魔するのか、すぐに目を伏せた。
そして幸村さん。この人は目を合わせることを躊躇ってしまうくらい……怖い目をしていた。
何も私を恨んでいるような、怒りを含んでいるわけではない。
真っ直ぐに見据えられたその目は、完全に私を敵≠セと判断していた。そう、敵=B
大切な人を困らせる嫌な奴程度では決して済まされない……冷めた目。


「もう、大丈夫だから……皆、ごめんね。駆けつけてもらっちゃって」
「ううん、梨花子のためだから当然だよ」


そして、そんな目をしていたとは思えないくらい優しげな眼をして神田を見た。


「間宮さんも、何かあったら溜めこまないで。相談事があるのなら、力になってあげるから」


だめだ。素直な後輩は、そんな有り難い言葉に快く返事をするのに。
幸村さんの私を見る目が冷たく、何の感情もこもっていない言葉に反応することすらできなかった。


「そうだぜ、それに……いくら溜めてるからって、こうして当たるのは……俺たちも、困ったりするからさ」


ジャッカルさんが私を気遣いながらも、タオルに目をやる。
こんなに汚れてしまっていては、今日はもう使えない。つまり、部員たちに影響があるということ。
それさえも神田は狙っていた。
私を貶めるために。
今はまだ、悪口を言われたと訴えても、私を少しでも信用してくれているレギュラーたちは素直には信じない。
自分にドリンクを浴びせても間宮がそんなことするわけがない、で終わってしまう。
だから、神田はこんなことをしたんだ。
衝動的にやってしまったと偽って。
そうすればレギュラーたちは怒りもしなければ見逃しもしない。微妙なライン。
私の積み上げた微々たる信頼が崩れていく。
もしあの場で私が「やっていない」と訴えたら、それはそれで私が非難を浴びる。
言わなければこうして神田が庇い、自分の信頼すら上げていく。
なかなか、考えたことをする。面倒な相手だ。

私はレギュラーたちの少し暗い目をした視線を浴びながら、そう思った。