澪side



「……じ、ろ…?」


久しぶりに貴方に触れた。
前まで、膝枕をねだってた時とは全然違う感じ。
優しくて、太陽みたいに笑ってたジローは、今はもういない。
私に対しては。
腕を力いっぱいに掴んで、やっと離してもらえた時、腕には赤く手の痕が残っていた。


「………澪、」
「…!」


名前を呼ばれたことに、何故か怖かった。
聞いたことのないくらい座った声。
表情が手に取るように判る。
きっと、私が見たこともないような怖い顔をしているんだ。


「ここ、覚えてるよね」


ジローが振り向いて、人差し指は地面を差した。
その指し示しているのは、屋上。
……いや、違う。
ジローの指の先がフェンスへと向けられた。


「……お、覚えてるよ……」


忘れる事の方がおかしい。
そのフェンスで、私は姉の死を間近で見たんだ。
止めることのできなかった自分の不甲斐なさを感じたんだ。


「俺もね、昨日のことみたいに覚えてる。麻央が、死んだ日……」


ジローがとぼとぼ歩いてフェンスに手を掛ける。
私はどうしていいのか分からなかったけど、とりあえずジローの近くに行った。


「あの時は、俺も落ち着いてなかったからだめだった。だから、今もう一度聞くね」


フェンスに背をもたれさせ、私の方を微笑んで見た。
目は笑っていない。


「麻央が飛び降りた理由、知ってる?」


口調は優しかった。
でも……何故か脅されているようで怖かった。

「何で!?ねぇ、なんで麻央は自殺なんかしたの!?」

誰もが状況を把握した直後、泣きじゃくる私に一番に声をかけたのはジローだった。
相当パニックになっていたのか、私の肩を掴んで怒鳴るように言った。
それでも私は何も言えなかった。
ただ泣いて、泣き続けて……ようやく出た言葉は「知らない」「分からない」。
ジローは納得していないみたいだったけど、景吾や亮がジローを止めてくれた。
私だって飲み込めていなかった。
いきなり屋上に呼ばれて、あんなことを告げられた後だったから。


「……知らないよ…。本当に、何も知らないの……」


麻央を大切に思ってくれてありがとう、ジロー。
でも……私は言えないの。
皆に知ってほしくないし、麻央もそれを望んでいない……。
何より、約束だから。


「そっか。この状況でまだ白を切るつもりなんだね」


ジローの顔からさっきの微笑はなくなり、無表情に戻った。
再び、唇が動く。


「澪ちゃん、麻央の悪口言ったんだって?」
「!?」


どうしてジローがそんなことっ……!
一瞬にして侑士とのやりとりを思い出す。
ああ……侑士が、ジローに言ったのかな?
だから、ジローは麻央の為に私に怒ってる……。


「信じてたのにっ……!」


ジローが唇を噛む。
両手も拳の形になり、私を睨む。
ジローは、麻央が好きだったのかな。

「澪、誰からも好かれる澪……」

麻央、

「初めはこんな気持ち、くだらなかった。喜ばないといけないのに、こんな……」

お姉ちゃん、

「アタシが過ごせなかった2年間……澪が、羨ましくて……妬ましくて……」


「俺は許さないよ?」


「アタシも、澪みたいになりたかったよ……」

麻央も、私と同じくらい…大切に思われてたんだよ?

瞬間、腕を掴まれたと思ったら首元に手が回り視界が屋上の下へと向けられた。
ジローが、私の首元を掴んでフェンスの下を覗かせるようにしている。


「………っ!!」


一転した視界に一瞬思考が遅れた。
ジローの行動だと判ったときには、既にジローの言葉が耳に届いていた。


「ねぇ見える?こっから麻央は飛び降りたんだよ?十数メートルあるんだよ?怖いに決まってるよね?」
「………っ」


首元を掴む手が震えている。
それは、何の震えなのか………。


「それを麻央は飛び降りたんだよ!?どれだけ辛かったのか分かってる……!?それをお前が悪く言える権利はどこにもない!!」


喉元がフェンスに引っかかってる。
苦しい、怖い、ジローが怖い。


「っあ゙……め、て」


上手く声が出せない。
フェンスを掴む自分の手も震える。
足も、ガクガクと恐怖に震え出した。


「分かってる……?麻央が、どれだけ妹思いで優しい子だったか……澪は分かってるの!?」


声から分かったけど、ジローは泣いてる。
真剣なんだ、本気なんだ。
私はここまでジローを怒らせてしまったんだ……。
そう思うと、申し訳なさや色々混ざった気持ちで私まで泣けてきた。


「麻央はっ、澪のことが本当に大好きだったんだよ!?」
「知ってるよ!!!」


私は自分の力を最大限に出してジローの手から逃れた。
私たちの距離が空く。


「……知ってるよ…麻央が、どれだけ私のことを想ってくれてたなんて……双子だよ?」


ジローは少し驚いているようで、私を凝視していた。


「でも…私は気付けなかった。麻央の心の痛みを、気付くことができなかった……!姉妹なのに!!」


気付いたら目からいっぱいの涙が溢れてきた。
視界が歪む。
私はフェンスに手をついて崩れ落ちた。


「私は麻央を頼りすぎてたの……!だから、自分のことしか考えられなかった……っ」


フェンスを握った。
力いっぱい握った。
ジローがどんな表情なのかはもう見たくない。
ただ自分の身体を小さくした。

後に、誰かの足音が屋上へと向かってきた。