抵抗しようとしても、跡部の力が意外に強く、手を振り払うことはできなかった。
本当に、迷惑も甚だしい。
アタシは麻央よ。


「………」


人気のない場所に来て、ようやく手を離してくれた。
跡部と日吉は無言でアタシを見る。


「……何よ、いきなり。何の真似?」


この様子だと、日吉は知ってる。
跡部が味方だということを。
……跡部が話したのね。
今も尚、無言で私を見つめる二人。


「……もしかして、アタシが心配?平気よ!アタシは澪じゃないんだから」


無言。
何かを訴えるような眼差しで見てくる。
アタシは一歩後ずさる。


「っ……そうよ、アタシは麻央≠セもの!澪≠カゃない……!」


貴方達二人は、さっきのアタシを澪と間違えて助けたんでしょう?
だって、アタシだったら助けるわけない。
アタシの性格を、知っているから……。


「知ってる」
「!……」


一瞬、心が読まれたかと思った。
でもその跡部の言葉は、さっきのアタシの言葉の返答だとすぐに分かった。


「麻央だってことを知って、お前をここまで連れてきた」
「………え?」


私の思考回路が止まった。
何故?
どうして?
アタシ≠助ける必要があるの――――?


「貴女を麻央さんだと知った上で、あの場から引き離したんですから」
「っ……だったら、どうしてさっき……」


「っ澪!」

……いや違う、これは正論だ。
アタシの姿は澪なのだから当たり前。

「……無理、すんなよ」

そうだ、この言葉。
これは……澪に対する言葉。
だって、無理をするのは澪じゃない。


「……いいか、麻央」


言葉が詰まったアタシを、真剣な目つきで見る跡部。
日吉も同じだった。


「もし、あの状況の中居るのが澪だったら、俺達はもちろん助ける」
「………そう」


それは判る。
だって、その為にわざわざアタシの復讐の的から逃れたんだから。


「でもな、麻央」
「……それは麻央さんでも同じですよ」
「………」


二人の、言っている意味が分からない。


「あの状況にあるのが麻央でも、俺達は助けに行く。………今みたいにな」


最後にふと笑う跡部。
日吉も同じことを言おうとしたのか、少し表情が柔らかくなった。
その言葉は有難いものなのかもしれない。
もし、生前のアタシが言われていたら喜んでいた。


だから、どうして?


今アタシは死んでしまっているのよ?
感情も消滅した。
痛みも、悲しみも、苦しみも全て感じない。
澪とは違う。
なのに、どうしてあんな事をするのよ……!


「っ……意味が、判らない」


拳を握り、呟いた。
耳に届いたのか、二人の表情が変わる。


「何で余計なことするのよっ!何でアタシをあの場から助けたの?何でっ……」
「落ち着け、麻央!」


叫びだしたアタシの肩を押さえる跡部。


「触らないでっ!」


それを全身の力で振り払った。
これには、跡部も日吉も驚いたようで。


「っ……麻央、さん」
「アンタたちは、澪を守ってればいいの……!他は何もしなくていい、何もさせない…!後は全部アタシがやる!アタシが、この復讐を……」


完成させる。
そう、あの日の約束を澪に守らせる為に……。
アタシの言葉の続きは、日吉によって遮られた。

パチン!

小気味良い音が響く。
アタシの頬から、脳へ。


「っ……!」
「日吉っ……」


日吉はアタシをぶった。
平手で、澪≠フ頬を。


「……っ日吉…!貴方…分かってるの?この身体は澪の。今、貴方は……「違いますよ」


アタシを叩いた右手を下ろした。


「俺は、澪先輩を叩いたんじゃない。麻央さんを叩いたんです」
「……は?何を言ってるの?この身体は澪の……」
「でも、今は麻央さんが中にいるんでしょう?だったら、痛みは麻央しか感じません」


痛み……?
はは、おかしくなったんじゃない、日吉。


「……アタシは痛みなんか感じない」
「嘘です」
「………何が?」
「……確かに、身体的痛みは感じないかもしれません。それでも、心に嘘はつけませんよね」


淡々とした口調でアタシに告げる。
心?
ほんと馬鹿だね、日吉。
自ら命を絶ったアタシに、心なんてあると思ってるの……?


「もし、貴女が本当に否定するのならいいです。今のことは忘れてください」
「………」
「でも、」


日吉は、熱いくらいの決意にも似た感情をアタシにぶつけた。


「それで澪先輩を泣かせたりしないでくださいよ」


そう言って、日吉はアタシの横を通って去る。
澪への想いがよく伝わったよ。
良かったね、澪。
ここには気付いてくれている人がいる。

アタシが及ぼす、澪への害を―――


「………」


跡部はしばらく日吉の後ろ姿を見ていたが、アタシへと目を向けた。


「麻央、そろそろ部活が終わるが……」
「帰るわ」


即答すると、跡部はそうかと言って視線を下ろした。


「………最後に言うけど、」
「?」
「アタシ………アンタ達の事、大嫌いだから」
「!……麻央、」
「日吉にも、そう言っておいてくれる?」


大嫌い。嫌い。嫌い。
そう、アタシは全てが嫌いよ。
アンタ達も。
親も。
病院も。
学校も。
ぜんぶ。


「………」


跡部はそれから何も言わなかった。
だからアタシも歩みを始めた。


これからは自分の気持ちの隠し合い。
他人との欺き合い。
一人一人の探り合い。

深く、深く………溺れてしまうくらいに。
静かに罠へと、はまってゆく―――


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