鳳side



部室に入ると、丁度ドアから澪先輩が出てきた。
澪先輩も、俺が盗み聞きしてたなんて思っていないだろう。


「あ……、」


澪先輩は俺の姿を見ると、すまなさそうに一瞬目を伏せた。

ずきん。

俺の心が痛む。
以前まで、こんな顔を澪先輩は見せなかった。
青木先輩が現れてからまじまじと見つめることはなくなったけど……よく見たら、やつれてる。
夜、眠れているのだろうか。
泣いてるんじゃないだろうか。
そんな言葉が喉まで出て止まった。
その心配を告げる言葉はまだ、言ってはいけない。


「ごめんね、今から着替えるんだよね……。私、あっち行ってるから……」


やつれているせいか、笑顔がとても疲れている。
上手く笑えていない。
無理矢理口角を上がらせている澪先輩に俺は見ていられなくなって目を伏せる。


「………ごめんね」


それを、自分の事を嫌っているからという風に勘違いしてしまったのか、澪先輩はまたすまなさそうに言った。
澪先輩。

ここで貴女を抱き締めたら、貴女は怒りますか?


「練習、頑張って」
「っ……、」


俺に背中を向けてドリンクを作る部屋へと足を進ませる澪先輩。
俺はその背中に向けて少し指先を伸ばす。
だめだ。
心の中で唱えても、俺の手は止まってくれない。


「………」


だが、手は澪先輩に届かなかった。
心で唱えたからじゃなく、今度は指が拒否した。
そんな自分を押さえつけている間に、澪先輩の姿は一つの部屋へと消えた。


「………っ」


俺は自分の手を片方の手で握る。
俺は何がしたいんだ?
……澪先輩に恋愛感情を抱いたわけではない。
だって、知っているから。
澪先輩が跡部さんのことを好きだってことは。
口で言わないだけで、俺はひっそりと澪先輩を応援していた。
もし澪先輩の気持ちを知らなかったら、俺は澪先輩のことを好きになっていたと思う。
見ると安心できる笑顔を浮かべて
何も知らない俺に話しかけてくれる。
優しく接してくれて
先輩たちからも好かれていて
勿論サポートも一生懸命してくれている。

後から、男子テニス部のマネージャーをやることはどれくらい大変で辛いことか、宍戸さんや向日さんに教えてもらった。
俺は考えたこともなかった。
いつも笑顔で、楽しそうに俺達のサポートをしてくれている澪先輩。
その裏には、女子からの冷たい視線や、仕事の疲れも溜まっていたのに。
俺は心から澪先輩を尊敬していた。


「……ごめんなさい、ごめんなさい…」


俺は小声で澪先輩に謝った。
疑ってしまったこと。
軽蔑してしまったこと。
酷い人だと恨んでしまったこと。
本当に、心の底から……。


「ごめんなさい。これからは、自信を持って澪先輩を守れるようになりたいです……」


まるで、小さな姉のような存在を。
あたたかくて、敬愛してきた先輩を。
俺は絶対に貴方を守ります。

そう心に決めて、俺は着替えを始めた。



『……暇だわ。練習くらい覗きにいこうかしら』



屋上で独り呟く人。
その人の存在にも気づかずに。
俺よりずっと、澪先輩を愛して…大事にして。
その人の許しを得ずに、
俺は勝手に澪先輩を守ると決めてしまったんだ……。

その人と話をするのも
その人の許しを得るのも
その人と澪先輩の真実を知るのも

まだまだずっと後の事なのに……―――


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