「麻央、ここが私の教室だよ」 澪はにこりと笑って扉を開く。 そこには、大きな黒板と人数分のロッカー。 机と椅子が少し無造作に並んでいる様子が、とても生活感あふれる風景だった。 「………」 アタシは無言で教室に足を踏み入れる。 そして大きく息を吸った。 ここが、澪の過ごしている場所。 「あと、このクラスには景吾もいるんだよ」 「跡部も……?」 澪が一つの机を指差した。 そこは、窓側の列の真ん中の席だった。 「今は風が涼しいって、結構お気に入りの場所みたい」 思い出しているのか、くすりと笑って席を見つめる澪。 その視線が、とても優しく穏やかだった。 ああ、やっぱり跡部の事が好きなんだと思った。 「……そう…」 アタシはその席に近づいて、座ってみる。 少し堅い椅子だった。 その感触すら、この時のアタシには新鮮だった。 「澪、学校は楽しい?」 「楽しいよ。いつも言ってるじゃない」 そう言って澪はアタシの隣の席に座る。 身体をアタシの方に向けて、 「だからね、この空間に麻央が居たら、どれだけ楽しいだろうって……いつも思ってるの」 「………」 「そんなこと言ったら、景吾に怒られちゃうんだけどね」 「怒られる?」 「うん…麻央に失礼だって。あいつは頑張ってるんだから、信じて待ってろって……」 その時、アタシの胸が高鳴った。 抑えようと思っていた感情が……溢れ出す。 こんなアタシでも信じてくれている人がいる。 待っていると…言ってくれる人がいる。 そうか、そうなんだ……。 アタシが跡部に惹かれたのは、澪が気にしていたからじゃない。 「麻央は俺たちの大切な仲間だから、きっと病気にも打ち勝つって…」 常に仲間想いで。 物事を前向きに捉えて。 誰にでも優しくて頼りになって……。 そんな跡部の心に、アタシは惹かれたんだ。 「…………馬鹿ね、」 「麻央……?」 アタシは片手で両目を覆った。 こんな時に、こんなことを聞いてしまうなんて。 「………もうそろそろ、屋上に連れてって」 「あ、うん…わかった。こっちだよ」 アタシがそう言って立ち上がると、澪も同じように立ち上がってまた手を引いてくれる。 そのあたたかい感触が、不条理にもアタシの心を落ち着かせる。 このぬくもりを守れるなら。 アタシは……。 「この階段を上がったところだよ」 一つ一つ…丁寧に階段を上る。 澪、アタシ約束できるよ。 今から……自分で命を断つけれど、アタシは後悔なんてしない。 アタシの病気が治る保障もなければ、いつ死ぬかも分からない今後の状況に怯えて生きるより…。 何もかも我慢して、澪に無理をさせて生きるより…。 今、全てを断ちきって、澪に何もかも吐きだしたい。 澪なら、きっと受け止めてくれるよね? 「…綺麗な空――――――」 全てを包み込むような大空。 今から、そっちにいくからね。 「麻央は……いつから、自殺をしようなんて考えたんだ?」 宍戸が沈黙の中、アタシに聞いてきた。 冷静に自分の最期を語るアタシを見て、疑問に思ったみたい。 無意識にか、拳を握ってる。 『……正確には分からないけど、澪を陥れようと考えた始めた頃からよ』 「そうか……」 『別に、あなたの所為じゃないわよ』 その時のことを話してから、宍戸の顔色が悪かった。 きっと貴方は、あの時すぐアタシの方を助けたらこんなことにはならなかったとでも思っているんでしょうね。 優しい貴方の事だから。 「でも、原因は俺が……」 『違うわ。今までのアタシの醜い感情が積み重なって……ちょうどその時に溢れ出してしまっただけ』 きっかけに過ぎない。 あの時ようやく分かった事。 アタシが皆の一番になれることなんて、有り得ないと。 「それだけで……自殺なんか、」 『…簡単に言うわね。アタシにとってはそんな言葉では済まされないのに』 くすくすと笑うと、宍戸は慌てて言った。 「っわ、悪い…。でも、死んじまったら、何もかも終わっちまうんだぜ?」 『覚悟してたわ。別に死に恐怖を抱いたことはなかったし』 いつかは終わる命。 今まで何度も危ないと告げられ……その度に命を永らえてきた。 『アタシはいつ死んでもおかしくなかったから』 「っ…そんなこと、言わないでください…!」 鳳が悲しそうな顔で切に告げる。 アタシは無言でそれを見つめ、 『………人はね、一度でも自分の命と向き合ったら、冷静になれるものなのよ』 初めはアタシだってびくびくしていた。 もし明日、目覚めることができなかったら。 もし急な発作が起きて、家族の姿を見られずに逝ってしまったら。 それでもアタシは朝日を眺め、1週間…1ヶ月…1年と生きてきた。 その繰り返し。 もう、怖くもなんともなかった。 慣れて≠オまったから。 『だからアタシは、死ぬことに何の躊躇いもなかった。アタシが死ねば、全部終わる』 「なんでそんな事言うんだよっ!」 芥川が怒鳴った。 「そんなっ…どうして、麻央が死なないといけないの?澪はそれを望んでいたの…?」 『……望んでいなかったわ。でも、アタシはそれを望んだ』 「どうして!?」 芥川はぽろっと涙を零した。 アタシの為に泣いてくれているの? 『アタシが生きていたら、必ず澪を苦しめてしまうから』 そうなる前に。 後悔する前に。 「そんなの……絶対におかしいよ……!」 芥川の言葉も、今は無視して。 その辛そうな表情も見たくなかった。 もう、早く続きを話してしまおう。 ×
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