憎むべき相手なのに。

どこか、甘い自分がいる。

それは、その相手が
唯一の人間だったからだろうか……―――





幸村side



皆と別れて、自分の病室に戻る時。
僕は、一番会いたくない奴に出会った。
彼は暗い面持ちで前から歩いていた。


「……跡部、どうしたの?こんな所で」
「……幸村……か」


声をかけると、跡部は少しだけ意外そうな顔をした。
でもすぐに、俺に構っている時間も惜しいのか、視線を逸らした。


「……君が今ここに来て、彼女にとって良い影響になるのかい?」
「……!お前、知ってるのか……?」


よく、生きてるって分かったね?
都内だと未玖にとっても良くないだろうからと、医者や家族がわざわざ神奈川の病院を選んだらしいのに。
跡部のことだし、調べたのかな……?


「……記憶を失っても尚、未玖を苦しめるつもり?」
「……記憶?」


そんな事知らない、とでも言うような顔をした。
どうやら、分かったのは未玖が生きてるって事と、この病院の事みたいだね。


「未玖は、記憶を閉じ込めたんだ。苦しい、辛い思いを。……氷帝に居た頃の記憶を」


そう、あの残酷で、情の欠片もない虐めから。


「な……っ他は覚えてるのか?」
「ああ。氷帝の事だけを忘れてるんだよ」
「っ……そうか」
「……で、君は何をしに来たの?また未玖を苦しめるつもり?」
「違う……っ!俺は……俺は真実を知っていた……」


苦しそうに、言いづらそうに呟く跡部。
未玖が陥れられたのを知ってたんだね、跡部は。


「でも……何も出来なかった……」
「……ただ見てるだけなら、未玖を見捨ててるのと一緒だよ」
「……っ!」


むしろ、一番卑怯で傷つける行為だね。
そのことをとうに自覚していたのか、跡部は反論もせずに唇を噛んだ。


「ねぇ、君はどうしたいの?これから」
「……未玖と……話をしたい」
「今の未玖と?」


自分でも意地悪だと思う質問をする。
だが、跡部は文句も言わずに答える。


「……記憶を取り戻して、解決した未玖と」
「そう……俺は、今の幸せな未玖のままで居て欲しいよ」
「……っ」
「……でも、それは俺の願い。君の想いまでとやかく言わないよ」


そう、未玖も、少し前までは氷帝に居た頃の話をよくしてくれた。
楽しそうに、嬉しそうに、でもちょっぴり困ったように。
まるで百面相の未玖を見て、幸せなんだなって感じたから。


「……幸村」
「氷帝での未玖の事、任せていいんだね?」
「……ああ。俺が絶対解決してやる」
「その代わり、俺達もでしゃばらせてもらうよ?」


俺達だって未玖が心配なんだ。
何もしなかった分、勝手にやらせてもらう。


「……ふっ、勝手にしてくれ」
「ああ。……じゃあ、病室に案内するよ」


そうして俺は、跡部を連れて未玖の病室に向かった。





跡部side



未玖が生きてる……。
そう分かった時、俺はすぐに病院へ向かった。
未玖に会う為に……。


「……跡部、どうしたの?こんな所で」
「……幸村……か」


そういえば、ここは幸村も入院してるんだったな。
神奈川の中でも大きい病院だし、そんな偶然もあるだろうとその時は思った。


「……君が今ここに来て、彼女にとって良い影響になるのかい?」


悪いが俺も急いでいるため、二、三気遣いの言葉をかけて去ろうと思った。
それなのに……何でこいつが、そんな事言うんだ?
まるで何かを知っているかのように。俺を厳しい目で見て。
……もしかして、


「……!お前、知ってるのか……?」


まさかと思って、聞いてみた。
氷帝で起きた事を。
あの、目を背けたくなるような出来事を。


「……記憶を失っても尚、未玖を苦しめるつもり?」
「……記憶?」


記憶を失っても、尚?
突拍子もない言葉に俺は言葉を繰り返したが……未玖は、記憶喪失なのか?


「未玖は、記憶を閉じ込めたんだ。苦しい、辛い思いを。……氷帝に居た頃の記憶を」


閉じ込めた……?
氷帝に居た記憶を……?


「な……っ、他は覚えてるのか?」
「ああ。氷帝の事だけを忘れてるんだよ」


俺はそれを聞いてショックを受けたのかもしれない。
俺は、あの時の未玖と、話をしたかったから。
……まぁ、そんな願いは図々しいものなんだがな。


「っ……そうか」
「……で、君は何をしに来たの?また未玖を苦しめるつもり?」
「違う……っ!俺は……俺は真実を知っていた……」


責めるような瞳、口調で言う幸村。
そんな態度を取られても仕方がない。
俺はそう、唯一、真実を知っていたのだから。


「でも……何も出来なかった……」


一番汚い、傍観者だったんだ……。


「……ただ見てるだけなら、未玖を見捨ててるのと一緒だよ」
「……っ!」


だが、改めて言われると、きつい。
分かっていても、ひどく後悔をさせられる。
俺は身体の痛みとは別に、未玖に痛みを与えてたんだ……。


「ねぇ、君はどうしたいの?これから」


俺は……。


「……未玖と……話をしたい」


また、あの時みたいに。
そして今度こそ、守ってやりたい。


「今の未玖と?」
「……記憶を取り戻して、解決した未玖と」


じゃないと意味がねぇんだ。
俺達の事を忘れた未玖では、話が繋がらねぇ。


「……俺は、今の幸せな未玖のままで居て欲しい」
「……っ」


……幸村がそう言うのも、無理ねえよな。
あれだけ……苦しめられて、ようやく手にした幸せだもんな。
むしろ、本能的に……消してしまったほうがいい記憶だから失ったのかもしれない。


「……でも、それは俺の願い。君の想いまでとやかく言わないよ」
「……幸村……」


悪いな……。
俺たちの事で、お前も巻き込む事になっちまって。


「氷帝での未玖の事、任せていいんだね?」
「……ああ。俺が絶対解決してやる」


そして、未玖に笑顔を。
それが、俺の願いだ。


「その代わり、俺達もでしゃばらせてもらうよ?」
「……ふっ、勝手にしてくれ」


本当は、その方がありがたいんだけどな。
俺じゃあ……未玖の心を癒してやることはできない。


「ああ。……じゃあ、病室に案内するよ」


……未玖……。
たとえ思い出して、解決しても、俺たちの事を許してくれるだろうか。
そう思うと不安がよぎる。
だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
自分が許されるのか、なんて……。


「着いたよ」


古瀬未玖……ここか。
コンコン。


「……未玖、俺だよ」
「あ、精市?どうぞ、入って」


久しぶりに聞いた未玖の声は、苦しさを知らない明るい声だった。


「………」


幸村が無言で入る。
目の前には、少し驚く未玖の顔。


「……未玖っ」


思わず口から名前が飛び出てしまう。
だが当然ながら、未玖は目をぱちくりとさせ俺を見上げる。


「……?あの、どなたですか?」


……やっぱり、覚えてないんだな……。


「この人は、氷帝の生徒だよ」
「……え?氷帝の?」
「……跡部景吾だ」


何か、自己紹介なんて変な感じだ。
3年間、同じ学校で過ごしてきた相手に。


「お見舞いに来てくれたんだって」
「わぁ……ありがとう!」


久しぶりに笑った未玖。
その明るい笑顔が、本当に俺のことを忘れちまったんだと、実感する。


「私は古瀬未玖!……あ、知ってるんだよね、えへへ、ごめんなさい。私、記憶無くなっちゃったみたいで……」


……その原因は、俺達なんだよな。
俺は歪む表情を引きつらせながら少し会話をした。
前の、表情の暗かった未玖とは違う。
明るい表情の未玖と話をして、少しだけ気分が晴れた気がした。
でも、いつか絶対、記憶を取り戻した未玖と、こんな風に会話をしたい。


「じゃあね、精市に跡部くん!」
「……ああ」
「うん、また明日」
「うん!」


俺と幸村は病室から出た。


「……どう?跡部……」
「……未玖が……笑ってた」


あの頃の面影もないくらいに。


「……君は、あの笑顔を守ってくれるんだよね?」
「ああ……」
「……じゃあ、明日は未玖の所に行かずに、俺の所に来て?」
「……?何故だ」
「ふふ、言っただろ?……俺達もでしゃばらせてもらうって」
「……立海が何かするのか?」
「とりあえず、明日は俺の所に来て……あと、この事はまだ氷帝の皆には言ったらだめだよ」
「……?」


幸村の言いたい事がよく分からないが、とりあえずそうしておこう。
俺に拒否権や指導権など、あるはずがないのだから。


「分かった」
「……じゃあ、またね」
「……ああ」


こうして俺は幸村と別れた。



「もしもし?俺だけど……うん。だから明日……うん。よろしく」



まさか、立海がそこまでやってくれるなんて、思ってもみなかった。