「ゆーし先輩?」


ガラッと教室の扉を開けて声をかける麻燐。
すると窓際のところで一人立っている忍足の姿が。
身なりは制服を着ているということで、もう着替えは終わっているようですが……何故か麻燐が入ってきてもじっとそこを動きません。
もちろん、そのことをおかしく思った麻燐はそっと扉を閉めて忍足へと近づきます。


「どうしたの……?」


すぐ傍まで来たところで、忍足は片手で両目を隠して麻燐へと振り向く。


「ああ……その声は麻燐ちゃんやな?遅くて堪忍な」


苦笑気味に謝る忍足。
ですがどうして目を隠しているんでしょうか。
首を傾げる麻燐だが、ふと、傍の机の上に忍足の眼鏡が置かれていることに気がついた。


「ゆーし先輩、眼鏡は?」
「あ、ああ……えっとな、ちょっと目ん中にゴミが……」


どうやらそれを取ろうと手間取っていた様子。
状況を理解した麻燐は、それを聞いて心配そうに忍足を見上げる。


「そうなの?痛いの?」
「ん……少しな」
「じゃあ、麻燐が取ってあげる」


くいくいと忍足の制服の裾を引っ張り、座らせようとする麻燐。
その萌える仕草をされても、忍足は座ることを躊躇っています。


「いや……これくらい自分でやるからええよ?麻燐ちゃんは廊下で大人しく待っとき」
「だめ!一人でやって目を傷つけたら悪くなっちゃうよ!」


ですが以外にも頑固な麻燐。
制服を引っ張る力を強くして、ほぼ無理矢理椅子に座らせました。


「ゆーし先輩、目、見せて?」
「っ……麻燐ちゃん、」


優しく子供に言うように話しかける麻燐の声。
逆らえるものなら逆らいたい。だが、忍足にはできなかった。
腹を括り、麻燐にそっと呟く。


「……わかった。けど、笑わんといてな」


そしてゆっくりと片手を両目からどける忍足。
眼鏡がなく、いつもより少しばかりすっきりとした顔と対面した麻燐は、思わずじっと忍足を見つめた。
眼鏡を取った忍足を見るのは初めてですから、珍しいんでしょうね。
その視線に気付いた忍足は、顔ごと麻燐から視線を逸らす。


「……どうしたの?麻燐、笑ってないよ」
「いや……やっぱあかんわ。……照れる」
「え?」
「……俺な、裸眼見られるの恥ずかしいんや。だからいつも眼鏡かけとったやろ」


堪忍や、と言うように白状し始める忍足。
裸眼を見られることが恥ずかしいというのも、普段の眼鏡が伊達だったことも初めて知った麻燐はさらに驚いたように目を丸くする。


「ゆーし先輩、目が悪いわけじゃなかったんだね」
「せや。でも、眼鏡かけた方がええやろ?麻燐ちゃんも、そっちで慣れて……」
「えへへ、そんなことないよ」


まだ若干の照れが残っているのか、忍足がぼそぼそと呟く。
それを聞いた麻燐はにこりと笑いながら首を振る。


「眼鏡を外したゆーし先輩もかっこいいよ。いつもと雰囲気が違って、かっこいい」


あまりにも意外な言葉を聞き、忍足は裸眼なのも忘れて麻燐を見つめる。
椅子に座った自分とほぼ同じ目線にいる麻燐の顔は、真っ直ぐに自分を見つめ返していた。
麻燐は嘘をつくことはできない。というか、しない。
だから、考えるまでもなく……この言葉は本心。


「だから、はい。よく見せて。ゴミ、麻燐が取ってあげるから」


忍足がじっと自分を見ているのは覚悟を決めたからだと思った麻燐は、忍足の顔を両手でがっちりと支えて顔を近づけた。
それが目にあるゴミを見つけようとしている為だというのに……忍足の心は不自然に高鳴る。


「……はは」


そして、今度こそ観念したように笑った。


「やっぱ麻燐ちゃんには敵わんわ。何もかも全部、敵う気せえへん」


言いながら、麻燐に目に入ったゴミを取ってもらった忍足。


「?ゆーし先輩、今なにか言った?」
「なんも。……麻燐ちゃん、ありがとな」


ぽんぽんと頭を撫でると、麻燐は嬉しそうに微笑む。
だがふと、何かを思い出したようでぱっと眼鏡をかけた忍足を見つめた。


「そういえばゆーし先輩、劇の途中、麻燐のこと呼んだよね」
「へ?」
「あの、舞踏会から帰ろうとした時……」


……やっぱり追及されたか。と忍足は少しばかり苦い顔をする。
できればスルーをして欲しかった。理由を聞いて欲しくはなかった。
麻燐とは違って、自分は本当のことを言えそうになかったから。
疑問符を浮かべている麻燐に向け、忍足は心を落ち着かせて話し出す。


「……俺な、王子役になれて、ほんまにめっちゃ嬉しかったんや」
「ふふっ、王子様役はやっぱり人気なんだね」


忍足と麻燐の王子役≠フ価値はきっと違う。
だが、今はまだそれでいい。


「あのぎこちないダンスをしとる時、楽しくて幸せやった」
「うん、麻燐も楽しかったよ」


この楽しい≠焉B
きっと違う。


「あの時だけは、いつもは絶対になれへんのに、麻燐ちゃんと二人きりになれた」
「いつもは皆がいるからね」


皆といると楽しいよね、と笑う麻燐を見て、忍足はどことなく優しい気持ちになる。
少しくらいは、いいだろうか。
この無垢な子に……自分の気持ちを、少しばかり告白しても。


「その時間をな、あの時はもっと楽しみたかったんや。麻燐ちゃんと離れたくなくて、思わずあないなことになってもうた」
「……麻燐と?」
「そうや。俺は麻燐ちゃんのことが大好きやからな」


首を傾げる麻燐に、忍足は何の躊躇いもなくごくごく自然に言った。
本気の告白。だが、忍足の態度がきっと本気だと思わせない。
それに、


「麻燐もゆーし先輩が好きだよ!ダンスも、すごく楽しかった!」


麻燐は本気の告白だとは少しも思っていない。
忍足のことを好きだと言うのと同じ気持ちを、きっと他の皆にも抱いている。
それを分かっているから、忍足は自然に好きだと言うことができたんだ。


「はは、ありがとさん。麻燐ちゃんから好き言われて、嬉しいわ」
「うん!麻燐も、ゆーし先輩からの好きは嬉しい!」
「そないなこと言うて。皆から言われても嬉しいやろ?」
「そうだけど……でもね、少しだけ、ゆーし先輩は違うの」
「え?」


どうやら麻燐は自分でもよく分かっていないのか、うーんと難しい顔をしながら言う。
予想外の言葉に忍足は目を丸くして麻燐を見つめる。
目の前の小さな天使が、一体何を悩んでいるのか。
そして自分の心に芽生えた少しの期待感。


「麻燐ちゃん、」
「?」


うーんうーんと唸っている麻燐の名を呟くと、ふいに抱き締める忍足。
突然のことに麻燐は目を丸くする。


「ゆーし先輩?」
「ああもう、ほんまに可愛いなぁ、麻燐ちゃんは」


こんな場面、テニス部の皆さんに見られたら半殺しじゃ済まなさそうですね。
ですが、それすら構わないくらい、忍足の感情は高ぶっているようです。


「それ以上考えんでええよ。きっと、いつか……答えは出るやろうから」
「んー……そう、かな?」
「ああ。麻燐ちゃんがもうちょい大人になったら分かるわ」
「むう……分かった!麻燐、頑張って大人になる!」


忍足のぬくもりを感じながら、麻燐はそう決意する。
全く、抱きつかれていることに慣れている麻燐だからいいものの……。
とはいっても、忍足が抱きつくのは初めてのような。


「ああ。俺も頑張るな」
「?なにを?」
「秘密や」


麻燐が大人になって、自分の気持ちの答えを出すその時まで。
自分が麻燐の特別≠ノなれているように。
そう密かな想いを込めて、忍足は麻燐を手離す。
今はまだ、皆の麻燐のままでいて欲しい。
それが麻燐にとっても自分たちにとっても、幸せの形。


「そろそろ行かな。皆心配しとるやろ」
「うん、わかった!」


廊下ではようやく妄想の世界から帰ってきて、麻燐がいないことに気付き始めた皆さんが騒ぎ始めている。
二人で何をしていたんだと問い詰められる前に、皆の元に戻ろう。
最後に、


「今の話は二人だけの秘密やで」
「うん!秘密ね!」


学園祭最後の思い出を手にして。