一目散に走っていたなっちゃんは自分のクラスのある階まで来て、ようやく足を止めた。
後ろから追いかけてきた麻燐も、一拍遅れてなっちゃんの隣に立つ。


「なっちゃん……?」


少し俯き加減で手を固く握っているなっちゃんに、麻燐は不思議そうに声をかけた。
するとなっちゃんは、


「私……今でも、信じられない……」


そう、震える声で呟きました。


「こんなの、初めてで……すごく……嬉しくて……」


未だ興奮からか頬が紅潮しているなっちゃん。
その横顔を、麻燐は優しげな表情で見つめた。


「ありがとう、麻燐」


同じように見つめ返すなっちゃん。
その言葉に麻燐はにこっと笑い、


「麻燐は大したことしてないよ。なっちゃんが頑張ったんだもん」
「麻燐……」
「なっちゃんは凄いよ!麻燐、あんなに頑張ったなっちゃん初めて見た!」


真っ直ぐな目でそんなことを言われ、じわりと瞳に涙が浮かぶなっちゃん。
しかしここで泣いたら麻燐に心配をかけると思い、すぐに我慢した。


「うん……私も、自分でびっくりしちゃった」
「えへへ、麻燐もなっちゃんのこと応援するからね!」


屈託のない笑顔で言う麻燐。
その言葉に、若干複雑な気持ちになるなっちゃん。
それもそのはず。
テニス部レギュラーが麻燐のことを大切に想っているというのは周知の事実。
なので麻燐から応援すると言われても、不安しかないようです。


「ありがと。……私、麻燐に負けないから」
「?……うん!」


なっちゃんの言葉の意図には全く気付いていませんが。
最後になっちゃんが決意のこもった笑顔を見せたので、麻燐も嬉しそうに笑って返事をした。





それからは順調にクラス出し物の準備が進み、あっという間に放課後となった。
今日の放課後は、皆さん揃いも揃ってある場所へと向かう。
そこは、


「……はぁ、気が乗らねえ……」


目の前にある服飾室を見て呟く宍戸。
そうです。これから例の演劇の練習があるのです。
元々こういった事が苦手で、しかもねずみという役になってしまった宍戸のモチベーションは低いです。
モチベーションが高いといえば。


「いやぁ楽しみやな!俺の麻燐ちゃんのシンデレラ姿!」
「「「誰がお前のだよ」」」


見事王子役を勝ち取った忍足のみです。
勝ち取ったと言っても、くじ運が良かったということだけなんですが。
忍足の妙なテンションに後輩問わずツッコむ。
麻燐ちゃんはにこにこと楽しそうにしています。
その間にも跡部が代表として扉を開ける。
例の3人の襲撃を受けまいと、若干避け気味に。
すると三度目の正直なのか、今回は何の突撃もなしに無事部部屋に入ることができた。


「珍しいな。あの3人が麻燐を出迎えに来ないなんて」
「今日は雨でも降るんじゃねえか」


なんてことを言われてしまっていますよ。
この人たちにこんなことを言わせるとは相当なものです。


「……あ!麻燐ちゃま!」


部屋に全員が足を踏み入れた時点でようやく3人は麻燐の姿に気付きました。
急いで作業を中断し麻燐への元へと飛んでくる。


「ああ、今日も麻燐ちゃまの愛くるしいお姿が見られるなんて……」
「今日は一段と可愛らしくて、私の心臓は止まってしまいそうですわ」
「もういっそ、その愛らしさで私を殺してください!」

「「「(一体何がお前たちをそんなにさせるんだ……)」」」


もはやファンクラブというよりは宗教ですね。
麻燐に跪き手をとる3人。
そんな3人の好意を何の疑いもなく素直に受け取る麻燐は、


「麻燐も、おねーちゃんたちに会えて嬉しいよ!」
「「「はぁ……!」」」


それぞれ恍惚の表情を浮かべながら心臓の辺りを抑えている3人。


「「「(………やっぱり可愛いっ)」」」


その余波を受けて胸をきゅんとさせたレギュラーの皆さんも、宗教入りできそうですね。おめでとうございます。
周りに多大な影響を与えているという自覚のない麻燐は、突然崩れ落ちた3人の姿を見て首を傾げる。
無自覚ほど、罪深いものはありませんよね。
……なんて冗談は置いておいて、


「……練習、するのなら早く始めませんか」


比較的冷静さを保っている日吉がそう切り出す。
どうやら、先輩がこんなんだから自分がしっかりしなくてはいけないという責任感が芽生え始めたようですね。
理由は何であれ、成長したのはいいことです。


「……それもそうだな」


短く咳ばらいをし、いつもの調子を整えた跡部もそう声を漏らす。
そして皆さんがはっと我に返ったところで、


「それでは、練習を始めましょう……」


美衣がそう仕切り直す。
とは言っても、まだ若干麻燐を愛しそうに見つめていますが。
今更ながら……この人たちの将来がとてつもなく不安です。
ですが、一旦練習を始めると、比較的まとまりのある風景になる部室。
意外と真剣に劇の練習をしています。
昨日の今日ですが、皆さんしっかり台本は読んで来ているみたいです。
麻燐は主役で台詞も多いため、常に台本を片手に喋っています。


「うう……私も、お城の舞踏会に行きたいな……」
「可哀想なシンデレラ……」
「シンデレラ!お…ぼ、僕たちが舞踏会に行けるように助けてあげるぜ…じゃなくて、あげるよ」

「ちょ、やばすぎやろ、麻燐ちゃん可愛すぎやろ」

「でも、そんなことをしたらお母様たちが……」
「それよりも、シンデレラの悲しんでいる顔の方が見ていて辛いわ!」
「そうだぜ!…ちげ、そうだよ!僕たちを助けてくれた恩返しをしなくちゃな」
「ねずみさん……ありがとう」

「麻燐ちゃんの微笑!!これは貴重や!写メ写メ!」

「はいカット。ついでに忍足くんもカット」
「待て待て待て!!なんで俺も……つかジロー!ほんまに鋏持ってきたらあかん!」


真奈の言葉で、傍で見ていた芥川が忍足に制裁を下そうとしている。
後半になるまで出番が全くないためか、調子に乗っていた罰ですね。
それについて芥川は大分苛々していたようです。止められて不満そうにしています。
ですがそれも、芥川だけではなく、


「ったく侑士……少しは静かに見てらんねえのかよ」
「しゃーないやん。麻燐ちゃんが可愛いんやもん」
「そういう侑士はきもいけどな」


隣に居た向日も呆れ顔で言う。
はしゃぎたい気持ちは分からなくもないが、忍足みたいにオープンではしゃぐのもどうかと思っているようですね。
劇の邪魔になってしまいますよ。


「それより、」


さっきの言葉で忍足を落ち込ませた向日は、続いて演技をしていた3人を見る。
そして、


「宍戸、演技下手すぎだろ!」
「う、うっせえ!仕方ないだろ!」


ぎゃははと笑いながら言う向日。
台本に書いてある台詞は、ねずみらしく、可愛らしい口調になっていますからね。
普段そんな口調を全く使わない宍戸には言いにくく、そして恥ずかしいもののようです。


「でも、りょー先輩すごく可愛いよ!」
「か、可愛っ……!?」


心外な言葉を言われ、麻燐にとっては褒め言葉であろうその言葉も素直に受け取れません。
逆にナイフのように心をえぐります。
肩を落としている宍戸に、ぽんぽんと肩に手を置いて慰める芥川。


「後で一緒に忍足に八つ当たりすればいいC〜」
「なんでそんな流れになるん!?」


あなたが王子役だからです。


「それにしても、麻燐ちゃんの演技は可愛いね」
「本当?ありがとう、チョタ先輩!」


演技ということで、少し肩が張っていつもよりはきはきとしゃべっていた麻燐。
一人称が「私」というのも新鮮なため、何かと皆さんは和んでいたようです。
それにしても、意外と麻燐は演技がうまいですね。


「ふっ、麻燐は感情が豊かだからな。演技が上手いのも当然だ」


何故あなたが偉そうに言うんですか。


「それに比べて宍戸は……残念としか言いようがねえな」
「くっ……てめーに言われたくねえよ!」


キッと跡部を睨む宍戸。
確かに、この人は「演技?はっ、んなもん素でできんだよ!」派の人ですからね。
悔しそうにしている宍戸に寄ってきたのは、


「大丈夫だよ、りょー先輩の演技は素敵だから!」
「麻燐……」
「うまくできないところがあっても、本番までに直せばいいんだもん!麻燐も、まだ台詞覚えられないから……一緒に、頑張ろう!」


一生懸命自分を励ましてくる麻燐に、きゅんと胸を鳴らす宍戸。
もちろん、その麻燐の期待を裏切るわけにもいかないので、


「わ、わかったぜ……。俺も、全力でやってやんよ!」


乗せられるかのように、そう答えました。
それからも何回か全員での通し練習を終え、本番に備えた練習はこれが最後となりました。
衣装等は本番の日に渡すということで話も終わり、その日は皆さんで仲良く家に帰りました。