「侑士、ちゅー」
「んー」

放課後、誰もいない保健室。ベッドに座る俺に向かい合うような姿勢で俺の膝の上に乗る彼女にキスをねだられる。
首に腕を絡め、自分の中でもきっと武器にしているであろう可愛らしい表情で。
目を閉じる彼女のそんな態度や表情を見ると、俺は拒否権なんてなくなる。元より拒絶する理由もないが。
俺も目を閉じ、そっと彼女の唇に自分の唇を重ねる。その時間は1秒程。
思っていた以上に軽いキスに、彼女は頬を膨らませながら目を開け、俺に抗議の視線を送ってきた。

「ひどい侑士。それだけじゃ足りないよ」

彼女の大きな瞳と目が合う。焦らすようにくすりと笑ってみせると、また彼女は不満そうに頬を大きくした。

「なんや、欲求不満そうやなぁ」
「そう、じゃなくて、欲求不満なの」

呟く彼女は言い終えて溜息をついた。俺はそんな彼女の言葉にすぐ返事をせず、グラウンドから聞こえる部活動の喧騒に耳を傾ける。
窓は閉め切っておりカーテンもかかっているというのに。それも仕方がない。サッカー部は近々大会があるらしいから。

「彼氏、相手してくれへんのん?」
「部活が忙しいんだって」

その彼氏が今まさにその部活で頑張って声を出して活動しているというのに。
目の前にいる欲張りな彼女は俺に物憂げな視線を向ける。

「ていうか、彼氏の話題出すの禁止」
「はいはい。我儘さんやなぁ」

苦笑しながら頭を撫でてやると、彼女は気持ちよさそうに目を閉じる。
本当、小動物みたいで可愛い。だが、彼女は自分のものではない。他人のもの。
二股をかけられている、というのも少し違う。これは彼女の退屈しのぎ。暇つぶしのお遊びだ。
自分もその立場を弁えている。別に彼女と彼氏の仲を裂いてやろうなどとは思っていない。
こちらとしても、彼女との関係はお遊びだから。

「今はゆーしのことしか考えてないよ」

などと彼女は吐く。
からかっているわけではなく、至極当然のことを言うような態度で。
これが彼女の罠だとしたら実に見事だ。他に愛する男がいるというのに。平気な顔してそんなことを言うのだから。
まぁ実際、彼女の言うことに嘘はないのだろう。今は♂エが彼女の目の前にいるのだから。

「………悪い子、やな」

俺は自嘲気味に少し吐き捨てるように呟くと彼女の唇に自らの唇を重ねた。
今度は軽く触れるような簡単なキスではない。
彼女が好きな……舌を絡ませる、深くて脳髄がとろけるようなキス。
突然のキスだったが、彼女は何の抵抗もなくそれを受け入れる。それどころか、自らも積極的に俺の腰に手を回した。
俺もお返しと言わんばかりに彼女の腰のくびれに手を回す。ほっそりとした彼女の体躯は俺の手に収まる。
ぎゅっとその手に力をこめると、彼女も同じように小さな手に力をこめる。
この時ばかりは彼女は俺のものになる。たとえ一瞬でも。
彼女にとって俺は都合の良い男だろう。彼氏が忙しくて会えない時に、寂しさと不満を紛らわす相手。彼女の都合で呼ばれ、俺から彼女を呼んだことは今まで一度もない。
どうして俺に白羽の矢が立ったのかは分からない。更に、どちらがこの関係を始めようとしたわけでもない。偶然二人きりの時に目が合って、それが数十秒と続いて……気付いた時には抱き合っていた。
運命、なんて綺麗な言葉ではない。本能でお互いを欲したのだと思う。恋だの愛だのとは違う、もっと汚らしい感情で惹かれ合った。

「……やっぱり、侑士とのキスは好きだな」

長いキスの末、ようやく唇が離れたと思うと彼女は恍惚の表情を浮かべながら言った。

「それは光栄やな。満足できたなら何よりや」

嘘。

「いつもありがとう。侑士のおかげで元気が出てきた」

本当。

「ええよ。またいつでも呼んでや」

嘘。

「うん。それじゃ、私もう行くね」

にこやかに笑って、彼女の方から最後にもう一度触れるようなキスをして、保健室を去った。
ああ、本当に。自分で自分が嫌になる。
彼女の本心は変わらない。今後も変わることはないというのに。
俺は。
俺のキスが好き、じゃなくて、俺が好き、という言葉が彼女の口から出てくることを期待してしまっている。
阿呆だとは分かってる。そんなこと有り得るわけがない。
だから俺は、彼女が望むような軽い関係を続け、表面だけの言葉を並べる。

「………違う。これは、遊びなんや……ただの、退屈しのぎで……」

彼女のぬくもりが残る掌を見つめながら呟く。
こんな気持ちになるつもりはなかった。
だがそれを自覚すると辛くて苦しいだけだということを知っている。
だから、俺は自分に言い聞かせるようにいつもいつも、心の中で呟く。

―――彼女のことを考えるな。愛くるしい表情もくすぐったい声も甘ったるい匂いも。全部忘れろ。だって、これは、





本気なんかじゃない。ただのお遊びだから。

別のところに居場所のある彼女を想うなど、我ながら滑稽だ。
かといって彼女に触れたい気持ちも収まらない。ピエロでもいい。彼女に一瞬でも必要とされたい。
そう思うのは……やっぱり、阿呆なんだろうか。