(そういえばサカナになりたかった。)

まるで硝子の目玉を揺らすと微々たる塩素の匂う水面が波立つ、正直に言えば人間のかおりのするこの水は好きでない。
耳鳴るほどの静寂に悲鳴をあげようとすれば汚い泡のカタマリが鈍色に濁る光を抱いて消えるだけだった、(よくない色だ)例えば薄い紅だとか蒼に近い緑だとか赤みを帯びた黄金だとか、そんな色の向こうの透けるくらいの濃度にゆらゆらと身を任せて沈んでゆくのが丁度良い。

(ごぽりと泡が溶けてゆく。)
(烏がどこかで泣いている。)

さかなになりたい、魚になりたい、わたしはサカナになりたかった。幸せの名を語るだだ広い浴槽にぼんやりと生きるのなら何も知らずに狭苦しいとも気付かない瓶の中で死にたい。
例えば優しく掴んでいた筈の何かをいつの間にか握り潰していて、例えば尽くして愛を注いでいた筈の存在が腐り落ちていて、例えば確かに寄り添っていた筈の信頼に心の臓を刺されていたりする。その億劫を抱えたままに坂を転げ落ちる気力と理性はとうにどこかに置いてきた、あるのは必要最低限を欲する本能だけで良い、いい、イイイ要らない幸せはイラナイ。そんな、ものは!

ごつり、と。
鈍い音と光に薄い膜を持ち上げれば靄靄とした二つの目玉がじ、とこちら側を見ている。もしかしたらそれより遥か遠くかもしれなかった、(いしきのないめだま?)白くて綺麗な肌と黒くて長い睫毛を眺めていると喉が苦しい、息が、できない、どうしてだろう、嗚呼、ああ。
のたうち回りながら頭を見えない壁に打ち付ける、(アアアくるしい)泡ばかりを吐き出して音の出ない口を歪める、(あああクルシイ)どうにもならずに手で頭を掻き毟ろうとして。

「、」

そこでようやく、伸ばした腕が人間のそれでないことに気付いた。音のない視界の隅で緩い光の膜に濁る薄く鮮やな、赤いひれ。

(さかなの、うで。)

嗚呼、と一つ呟くとゆらゆらとなびくそれと一緒に意識も流された。

(結局サカナもニンゲンも同じだった。)
(きっと窓の向こうにも自由は、ナイ。)

「おかあさん、さかながしんでるよ。」



11夏/部誌掲載/透明



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