1.帰巣

部屋を荒らす犬を追い回したら黒い空に青い道の迷子になった、はじめて往く所には知恵の実をかじるその感覚と帰れぬやもしれぬという恐怖をない交ぜにした思いを抱いていたのを思い出す。(今は、どうだ。)
なにもない、花も亡ければ歌も亡い、宛てもなければ、
(このまま死ぬのかもしれない。)
靄々とした夢すらなくした貘のように、暗礁にどろりと溶け沈む魚のように、愛すべき相手も歌も忘れた鳥のように。不思議と涙の溢れることのないのには苛立ちも寂しさも覚えない、ある意味での優しい、夢。吹かないはずの風が豪、とせせら笑ったような気がしてごぼりと透明な泡が空に漂う。

ふと眼前に現れたのは細々としながらも凛とした一本の白だった、拭いきれなかった希望と受け入れかけた眠りとを一緒くたに絡めたそれは止まっていた脚を動かし変わらない景色を性急に流してゆく。気泡を吐き出すかのような気だるい呼吸など欲しくなかった。
例えば、確証はない。荒野かもしれなければ断崖なのかもしれない、手探りをしていることにすら気付かずゆっくりと見えない砂地獄に呑み込まれているのかもしれなかい。
(それでも、それでもニンゲンは、)
息も絶え絶えになる頃に途切れた糸の、その儚い強かを尚慈愛で包み込むかのような純白を湛えたドアを朧気な水晶体に捉える。暖かい風の吹いたような気がして数度瞬いた時にはもう、何もかもを思い出していた。
(わたしにはまだ。)
躊躇いなく冷たいノブに手を掛け回して引く、際限なく溢れ出す色に今度こそ涙はこぼれそうだった。

「ただいま」
「おかえり」

(まだ、帰る場所がある。)



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