ふわり
視界の端で柔らかな白いワンピースの裾が風に揺られるのを見た。
無意識にその裾の先を視線で辿れば、あどけない少女が彼氏であろう男の腕に手を回し、幸せそうに笑っている。
「……いいな」
口から溢れた言葉。次いで脳裏に浮かぶ半袖にハーフパンツ姿の飾り気のない中性的な女。
帰路についていたオレの足は自然と傍に逸れていた。
***
「や。」
いつの間にか真後ろに立っていた仕事仲間の黒髪長髪の男。
インターホンも鳴っていない、来客の用事もない。正々堂々とした不法侵入にナマエは眉を潜めた。
偶のプライベートくらいは1人でゆっくりさせてはくれないものか。
そんなナマエの心境を察しようともせず、当の不法侵入者はシレッとした顔で挨拶をしてくるものだから、それもまた彼女の神経を逆なでする。
「何の用?イルミ。」
「オレさっきまで仕事だったんだけどさ、ナマエは何してたの?」
「聞いて人の話を。」
「ま、暇な事には変わりないよね。じゃ、ちょっと付き合って。」
要は少し付き合って欲しい事があるからここに来た、と。ナマエは理解する。
不法侵入者、もといイルミは人に合わせるということをしないのだ。
正に強引グマイウェイ。おかげで彼の周りの人達は自然と人に合わせるということを覚えていく。
ナマエは小さくため息を漏らし、イルミの手の内にある紙袋に目を向けた。
「その紙袋の中身が付き合ってほしいこと?」
「ピンポーン。オレ、ナマエのそういう察しのいいところ好きだよ。」
「そう。私はあなたの人の話を聞かないところが大嫌いよ。」
「じゃあ早速なんだけど」
「お願い聞いて私の話も。」
「これ着て。」
紙袋から取り出されたのは白いシフォンワンピースだ。脛あたりまであるであろう丈が上品さをプラスしている。
見たところ新品。一体どうしたのかとナマエは頭をフル回転させる。
「……えっと、今から仕事?何かの潜入に付き合えばいいの?」
「ハズレ。ただ着てくれるだけでいいよ。そこの服屋で買ってきた新品。着てくれたら後は好きにしてくれていい。」
「……つまり、プレゼント?」
「そうなるね。」
「ありがとう。……でも、こんな可愛いのはちょっと」
「え?」
「いや、すみません。何でもないです。」
そこの服屋といえば、女の子女の子していて女の私でも入りづらかったあの店のことか。
そんな店に身長180センチ越えの男が1人で入り、尚且つこんな可愛らしいシフォンワンピースを手に取りレジへ。並みの神経でできる話ではない。
ナマエはイルミに感服した。
しかし着るとなると話は別である。なにせラフで楽な格好を常に着てきたせいで、女の子らしい格好に耐性がない。仕事なら迷いなく着るがプライベートとなれば使命感より恥が勝つ。
そんなナマエの心境など、やはり知ろうとしないイルミは首を傾げる。最終的には無言の威圧で「早く着ろ」と訴えかけてきた。
「……ごめん。どうしても着なきゃだめ?」
「うん。」
「でもきっと、イルミの方が似合うよ。」
「オレがそんなの着たら、腕とか肩とか破れるよ。」
確かに。そんな事になれば笑うに笑えない。服もイルミも可哀想なことになるのは冷静に考えれば容易に想像がついた。
表面上は冷静を装うが、内面はそんな簡単な事が想像できないほどに焦っていたのだ。
あのイルミが、ただの仕事仲間に、プライベートで、プレゼントをくれた。
結局のところ、彼のことが嫌いではないナマエは可愛い服を貰えたことでちょっと浮かれ気味だったし、この世の終わりかと戸惑ってもいたし、貰えたのは嬉しいが着るとなると恥ずかしい気持ちもあったりして。
今現在、様々な感情がごちゃ混ぜになっている状態だ。
「でも」
「ナマエはオレが選んだ服、着たくない?」
急に弱気な声。
強引に進められたなら拒否できるのだが、彼女は弱気なお願いには極端に弱かった。
渋々。しかし着るからには妥協は許さない彼女は、洗面所にこもってラフな服を脱ぎ捨てて白いワンピースに身を包む。髪を整えメイクを施し、鏡には立派なレディが映っている。
中性的だが整っている容姿はメイクをすれば化ける。しかし当の本人にはそれが全く分かっていない。
自信過剰は困りものだが、消極的すぎるのもまた困ったものだ。
「どう?」
ふわり
待つこと数分。待ち人がやっと洗面所から姿を現した。
歩くたびに裾がひらひら揺れる。白いワンピースが赤く染まった肌を目立たせる。
イルミは満足気に頷いた。瞬き1つせず、穴が空くほど彼女を見つめる。
「いいね」
その一言に尽きた。
街中で見かけた少女よりも余程、魅力的だった。
恥ずかしそうに伏せられた目も、赤く染まった肌も、何より自分が選んだものを身につけている女が、とても愛おしいものに思えてくる。
「似合ってる。」
「……大丈夫?熱とかない?執事さんに迎えに来てもらう?」
「せっかく褒めたのに失礼だね。オレが選んだから似合わないはずないだろ。」
「すごい自信過剰。」
「事実だからね。」
「そっか……うん、そっか。ふふっ」
やっと見せた柔らかな笑顔。
ストン、と彼の中で何かが落ちた。イルミは漸く何故自分がナマエに服を贈ったのかを理解する。
街中で見かけた少女。あの白いワンピースを少なからず嫌いではない女が来たらどうなるのかという好奇心。結果は予想以上に良いものだった。
しかしそれ以上に、自分には見たいものがあったらしい。
「この後、一緒に食事でもどう?」
手を差し出して問う。
普通の男が、普通の女をデートに誘うように。
するとちょっとの間を置いて、その手に小さな手が乗せられる。
「喜んで。」
ふわり
ああ、その笑顔が見たかった。