自分の発言にハッとして、体温が急激に失われてゆく。徐々に込み上げてくるこの後の展開に目眩がした。
本当は知っている、彼がもうこの世にいないこと。覚えてる、彼の痛々しい傷を。死んでもなお動き続ける、屍人形と化した彼を私は見た。

現実では先程の会話以降、気まずい雰囲気を引き摺りながら碌に話もせず、私達は二手に分かれ、結果カイトはNGL奥地に取り残され行方不明になった。
そのひと月後、シュートさんから「カイトを保護した」との連絡があり、カイトが行方不明になってから初めて希望を持てただけに、彼を見た時のショックは大きかった。ナックルさんは「カイトは敵に操られているだけだ、まだ生きてる」と励ましてくれたが、どうしてアレが生きているように見えたのか。私には死体が操られているようにしか見えなかったのに。
カイトの身体は全身傷だらけで、中には人の生命維持に関わる部分に傷があった。恐らく皮一枚にとどまらず臓器も破損しているはずだ。首も、切断されたのだろう。上手く繋がってはいるが痛々しい縫い痕で、彼の痛みを思うと耐え切れずその場に崩れ落ちた。

首を切られて生きていられる人間なんていないよ。現実を突きつけてやろうと思ったが、彼の死の一旦を僅かでも担った子達の前でそんな発言をするのは酷だと、なけなしの理性が働いた。ゴンが殴られる様を何の感慨もなく見続ける最中、その場で私だけがカイトの生存を諦めた。そして同時に考えた。
ごまんといる人間の中、愛しい人だけがいない世界に意味はあるのだろうか?

そうだ。ここは『泣き虫の逃避行』の中。
結局私は、彼のいない現実より彼のいる夢を選んだ。そしていま思い出したこともすぐまた忘れる。覚えていられるのはほんの僅かな時間だけ。だってここは、そういう世界だから。不安も苦痛も恐怖もない、甘い世界。夢だと思い出してしまったなら、また忘れて最初から始まる。
でも、その割には不思議だな。カイトとの幸せな思い出なら他にも沢山あったはずなのに、何故こんな喧嘩別れ直前の思い出を繰り返しているのだろう。

「ナマエ」
「……だれ?」

またこの声だ。意識して聞いたことはなかったが、よくよく聞き取り、性別や年齢などを考える。高い声に幼さが混じっている。年若い、女の子の声だろうか。思い返せば、これまでこの暗闇で聞こえてきたのは全て高い声だったような気がする。
まさか、ずっと私を呼びかけているのか。周辺を見渡しても彼以外に誰もいない。どこから……まさか、外から?あり得ない。『泣き虫の逃避行』は誰の干渉も受けないはずだ。これまで夢を見ている対象に家族や恋人が声をかける姿は何度か見てきた。けれどその努力虚しくどの対象も、なんの反応もないまま息を引き取った。

足は止めず、追いつけない彼の背から意識を声に集中する。やはり聞こえてくるのは女の子の声だ。私の名前だけじゃない、薄っすらと言葉も聞こえてくる。
もしかして、これまで能力に掛かった人達も声は聞こえていたのだろうか。ならば、このまま起きなければ私は逝けるのか。

「……ろっ!……て、れ……っ!!」
「聞こえない」
「……のむ、し……な」
「聞きたくないッ!!」

再び、必死に足を動かした。しかしまたここで疑問が生まれる。なぜ足を動かすのか。さっきは立ち止まれば夢を見れた。きっと足を止めれば夢を見れるのに、どうして苦しい思いをして彼を追いかける。
私は、彼をどうしたい?

「カイト」

振り向いてほしい、同じように手を伸ばしてほしい。けれどその前に、私は何か伝えなくちゃいけないことがあった。
ただ思い出すにはあまりにも長い時間が経ち過ぎていて、頭に靄がかかる。まずい、さっき見た夢の内容も曖昧になってきた。
また、何も分からず彼を追いかけるのか。

「い……やだ」

今度こそ、今度こそ伝えなくちゃ。
心臓が煩く叫び続けてるの、この音がおさまらないと落ち落ち眠れやしない。でもやはり何を伝えればいいか分からなくて、胸から込み上げてくる叫びは言葉にならず、叫びは液体となって瞳から溢れ出す。悔しい、また、また何も伝えられない。

「ぁ、め……なっ!諦めるな、ナマエ!」

微睡みの中から呼び覚まされるように、少女の声が鼓膜を震わせた。小さく聞き取れなかったはずの少女の声は、ハッキリとした真っ直ぐな声量で暗闇を色付けた。
「生きてくれ」「側にいるから」「目を開けろ」「やり残したことがまだあるだろ」「死ぬな」「逃げるな」
顔も知らない少女は絶えず様々な言葉を掛けてくれる。どの言葉も遠い昔、彼に根気強く言われたことばかり。あの時は無性に反抗的になった言葉も、何故かこの時は素直に受け入れることができた。

私だって、憧れてたんだよ。あの人みたいに前を向いて生きること。
けれどその道は辛く険しいと知っていたから、端から無理だと決めつけた。弱虫な私じゃ、彼みたいに生きられないって分かっていたから諦めた方が楽だった。
本当はずっと、あの人と同じ景色を見たかったのに。

暗闇の奥。あの人の更に奥。虹の輪を見た。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫。色鮮やかな言葉は暗い世界を照らし、銀の他に様々な光をもたらす。
彼の存在が『微かに残った生への執着、後悔』とするならば、その奥で月のように優しく輝く虹はきっと。

「逃げるな、ナマエ。世界を見に行くぞ」
「せかい」

ふと、あの人の泣きそうな顔を思い出した。最後に真正面から見た彼の表情。きっと彼は何も言わなかったんじゃない、言えなかったんだ。自分が死んだ後のことを考えて、無責任な言葉を投げかけられなかった。本当はいつもの調子で怒鳴り散らしたかったはずなのに。
そうだ。私、ずっと後悔してた。すぐに夢に逃げようとする弱い自分が嫌で、でもどうすることもできなくて。いつの間にか、彼と一緒にいた理由さえ忘れてしまっていた。そんなどうしようもない私を見放さないでくれたあの人に、最後まで心配をかけ続けた愛しい人にッ!彼が、カイトが戻ってきたらずっと言いたかった……っ!

「カイト!今までごめん!」

相変わらず振り向かない背中が、ぴたりと足を止めた。私はこれまで以上に足に力を込めて走り続け、腹の奥底から叫びにも似た声を発する。

「それとありがとう!私、生きるよ。世界を見に行く!」

隣にあなたがいなくても、あなたがいた世界なら、あなたが美しいと言った世界なら、私がそこで生きる意味はきっとある。

随分と近くなった距離。勢いに任せて手を伸ばしてみれば、大きな手にやっと私の手が届いた。漸く、追いついたんだ。大きくなる心臓の音。でも、まだ終わりじゃない。彼に追いついたら、次に目指すのは『未来』だ。少し足がすくむが、きっと大丈夫。私にしては楽観的な考えが新鮮で笑みが溢れる。
小さな、けれど着実な一歩を踏み出した。すると少し強引に手を引っ張られる。この状況で手を引っ張るのは1人しか存在せず、驚きながらも斜め前方を見れば、やはりカイトが自主的に私の手を引いていた。

「もう、大丈夫か?」

少し心配そうに問いかけてきた彼に、私は笑って頷いた。

「大丈夫だよ」

「そうか」安堵するように息を吐いて振り向いた彼と共に、暗い世界がパッと笑ったように輝いた。



夢から覚めるように浮上する意識。久々に戻ってきた現実では身体が鉛のように重かった。指一本動かすのも億劫で、薄っすらと重石が乗っかっているように感じる瞼を開く。眩い光が隙間から差し込み、思わず顔をしかめた。
そうか、今は日中か。向こうの体感で果てしない時を過ごしていた私にとって、目に差す光はちょっとした……いや、かなりの刺激物となり、まるで陽の光に苦しむドラキュラの如く呻き声を上げる。瞬間、傍らで椅子が転倒するような大きな音が鳴り響き、頭に直接音が飛び込んでくるような錯覚に襲われた。
あれ?現実ってこんな刺激の多いものだっけ。

「ナマエ……?ナマエ!聞こえてるのか?ナマエッ」
「うる、さぃな」

喉がカラカラで、声を出すのも大変不快。
肩を掴んで身体を乱暴に揺さぶってくる小さな女の子らしい手を根性で掴めば、手のひらからビリビリと電流のようなものが走った。やはり手に力が入らず、掴む力もかなり弱い。これまで夢に逃げていたツケが一気に襲ってきたみたいだ。まだ命があるだけ良しとしなければいけないか。
未だ陽の刺激で目は痛いまま、なんとかぼんやりと見えてきた景色に目を凝らせば赤い髪が映り込む。知らない女の子、でもこれだけ名前を呼ばれたらあなたが誰か嫌でも分かるよ。

「ぉ、はよ。カイト」
「ッ、遅い……ッ!このッ、大馬鹿が!」

パッチリとした可愛らしい目から大粒の涙が溢れて、私の頬を濡らす。随分と心配させたようで申し訳ない。上がらない腕を動かし彼の涙を拭おうとすれば、カイトはその手を取って遠慮なくギュゥと握りしめた。
痛い、きっと男の身体で握り締められたら私の骨ポッキリいってる。

「また会いに行くって言っただろ。なんで待ってなかった!」
「……ねえ、カイト」
「……なんだ」
「いっしょに、見に行こうね。世界」

『一緒に世界を見に行こう』やっと思い出した、彼と交わした約束。
口にすれば、彼は驚いたように目を見開いた後、深いため息をつきながらベッドに顔を突っ伏す。「まったくお前は」呆れるような声には様々な感情が込められているようで、また怒られるのではと身構える。
しかし首をコテリとこちらに向けたカイトの表情は怒りでも呆れでも悲しみでもない。

「仕方ないから、最後まで付き合ってやる」

ずっと見たかった笑顔がそこにはあった。
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