いつまでも、明けない夜の中であなたの背を追いかけていた。
不思議な世界だった。光のない闇の中、あなたの美しい髪が星のように目印になっている。月に手が届くんじゃないかって必死になる子供のように、いくら追いかけて手を伸ばしても報われることはない。どうやら私達の間には途方もない距離があるようだった。
それでも馬鹿の一つ覚えみたいに追いかけて追いかけて追いかけて、身体より先に心が悲鳴をあげる。
──もうやめようよ、届かないよ。
諦めようとする私がいる。けれど、もう少し走ったら手が届くんじゃないか、そんな小さな希望がニョキリと芽を出して、私の足を止めてくれない。

そもそも、私は何故あの人を追いかけているんだっけ。あの人の名前はなんだっけ。何か大切な約束を交わした気がするのに何も分からない、時間が私の中の殆どを持って行ってしまって。
なのに、あの人に振り向いてもらえるなら、同じように手を伸ばしてもらえるなら、命の全部をかけてもいいと本気で思えるんだ。

「ナマエ」

どこからか声が聞こえる。一瞬何を言われたか理解するのに時間がかかったが、それは間違いなく自分の名前だった。
誰かの声を聞いたのなんていつ振りだろう。声の主は当然前のあの人ではなく、この空間全域に何処からともなく響き渡っている。このまま走り続けて彼を追いかけた方がいい、そう思うのにいつまでも1人走り続けるのが嫌で、他に誰か人がいるのならと縋るような気持ちで足を止め振り向いた。

「……カ、イト?」
「珍しいな、お前が昼寝なんて」

そこには緑の木々と青空をバックに、口角を軽く上げて見下ろしてくる彼がいた。考えるより先に口から言葉が漏れる。カイト、そうだ、彼の名前。
さっきまで走っていた私は、何故か草原の中で寝そべっている。

「あれ、私……今まで暗い場所に」
「寝ぼけてるのか?ほら立て、スピンにどやされるぞ」

手首をやや強引に掴まれ、釣り上げるように引き起こされる。寝ぼけて、いるのだろうか。あれは全部夢?
辺りには見覚えのある緑が広がり、木漏れ日に照らされ輝いていた。涼やかな風が一陣吹き抜け、暑い頬を冷やしていく。どう考えてもこっちの方がリアルだ。悪夢をみた後のように、嫌に心臓が騒いでいる。

「夢、だったのかな」
「ナマエにしては随分と寝覚めが悪いな、そんなにリアルな夢だったのか」

高い位置から問いかけてくる彼の声も仕草も体温も間違いなくカイトのもので、未だ私の手首を掴んでいる大きな手を解き、手のひらに指を沿わせてそっと握る。
カイトは驚いたように目を見開いていたが、振り解くことなどせず優しく握り返してくれた。ここにいる、大丈夫だと、安心させるように力強く。その温もりが、仕草が堪らなく愛しくて、彼ごと景色が歪み目から大粒の涙がとめどなく溢れた。
「どうした」と焦る彼に、胸に巣食う空虚感をポツリポツリと吐き出してみる。所詮夢だと笑うような人ではないから、柔らかな言葉をくれる人だと知ってるから。

「カイトがどこか遠くへ行っちゃうんじゃないかって、そんな夢を見たの……怖かった」
「……こういったときどういう言葉をかけるのが正解か分からんが……大丈夫だ、オレは自分からナマエの元を去るつもりはない。約束する」
「でも死んじゃったら」

カイトが死ぬなんて考えたくもなかったが、それでも可能性がないわけではない。つい口から出た言葉に後悔しつつも、ちらりと視線を上にやれば彼は見たこともないくらい優しく笑っている。目深に被った帽子の中から覗く目は愛おしげに細められていて、見られているこちらが恥ずかしくなってしまい頬が熱く火照るのが分かった。
けれど顔に上った血の気はザァッと波が引くように去ってゆく。そして急激に冷まされた頭が、おかしな事を考えるのだ。
いつか遠い昔もこんなことがあったような気がする、と。

「そしたらまた会いに行くさ」

嘘つき。胸の奥底から込み上げた言葉をぐっと飲み込む。
人は死んだら生き返らない、生まれ変わりも生憎私は信じてない。死んだら人は、ただの肉になって、骨になって、土へ還るだけ。
最悪、もし死体を操る念能力者がいたら散々弄ばれた挙句、土にさえ還れないんだよ。首を切られて全身傷だらけで見ているだけでも痛々しい、そんな状態になっても休めないんだよ。どうやって会いに来るっていうの?そんな気休め求めてないのに、無理なら無理ってハッキリ言ってよ。

「待ってられないよ。もしカイトが死んだら、私は夢に閉じこもって死ぬ」

少し苛立ちながら、そう吐き捨てた。まるで子供の癇癪だが、私の念能力『泣き虫の逃避行』なら今言ったことが実現できる。

望んだ者にのみ幸せな夢を見せることができる、それが私の念能力だ。
人生で幸せだった部分を切り取り、その幸せを拒まない限り命尽きるまで、望むかぎりいつまでも夢の中に閉じこもることができる。謂わば安楽死にも似ているかもしれない。寝ている間に全て終わる。誰もが一度は夢みるであろう理想的な死に方。
だから夢に閉じこもる、なんてバカげた発言も『泣き虫の逃避行』なら容易に叶う。人は死から逃れられないが、死の苦痛から逃れることはできるのだ。この能力なら『死』どころか『人生』からも逃れられる。痛くて苦しいのが苦手な私が編み出した、自慢の能力。

ただ、カイトは酷くこの能力を嫌った。人生から逃げるなと、何度も何度も言い聞かされた。最長で一晩中……いや、私が根負けするまでネチネチ言われ続けた記憶がある。サッパリした性格の彼にしては随分と粘った方だった。
でも「逃げるな」なんて、強い人が言い張る理屈じゃないか。私はそんなに何度も頑張れない。今まで私に夢を見させてくれと頼んできた人達もみんなそうだった。頑張りたくても頑張れないから、逃げるしかなかったんだ。
苦痛から逃げて何が悪いのか、辛い現実で頑張り続けて何の意味があるのか、私は未だに答えを見つけられずにいる。

「このッ」

怒号が飛んできそうな第一声。続く言葉は、馬鹿野郎、か。
拳骨でも落としてきそうな声に身構えたが、一向に激痛は走らない。嫌に静かだ。いつもなら盛大に怒鳴り散らしてくるくせに気味が悪い。恐る恐る、ちらりと彼の表情を覗き見る。

「……ァ」

そこに広がるのは怒りでも呆れでもない、悲しみだった。そのままグッと拳を握って立ち去ってしまったカイトの後ろ姿を、ワンテンポ遅れて追いかける。
まさかそんな、泣きそうな表情をされるなんて知らなかったの。もう私には、何を言っても無駄だって諦めたの?ごめんなさい、側にいて。置いていかないで。

「待って、待ってよ……っ!カイト」

1人は、寂しい。
伸ばした手は虚しく宙を掴んだ。
気付けばまた暗闇。美しい緑も木漏れ日も全て消え失せ、辺りは真っ暗。その中でカイトの輪郭だけがハッキリ分かる。
考える暇もなく、颯爽と歩み続ける彼に置いてかれまいと走り続けた。追いつけない、届かない、分かってる。けれど滑稽にも、私はカイトの背を追いかけ続けるのだ。
なんで届かないの?

「夢でくらい、振り向いてよッ!」
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