美しさは武器だと知った。6歳の頃だった。私は娼婦の母と誰かの子種からできた子供であった。父親は未だ不明。けれどそれなりに綺麗な人だったのだろう。私がそれを証明している。
母譲りの妖艶な瞳、食べてしまいたくなるほど小さくて色付きの良い唇。黒い肌の母とは正反対の、玉のような肌、絹糸のように流れるブロンドの髪、ほっそりとした骨格。
街を歩けば皆、振り返る。そして口々に「美しい」と賞賛のため息を漏らした。こんな娼婦の街だから子供を産んでもその辺に捨てる親は少なくなかったが、母は人形を扱うみたいに私を可愛がってくれた。すべてこの顔と身体のおかげで、私は幸せに生きている。

物心ついた時には私には沢山の『おとうさん』がいて、みんな口を揃えて「君の花咲く日が待ち遠しい」「初潮がきたら言いなさい。お父さんとお祝いしよう」と高揚しながら言葉を紡いだ。中でも「なんでもしてあげるから」という言葉は魅力的で、私はおとうさんの1人に興味本位でお願いをしてみることにした。
「みんな怖いの。身体中ベタベタ触られて気持ち悪いの。みんな居なくなっちゃえばいいのにな……ねえ、おとうさん?ナマエのお願い、叶えてくれる?」
おとうさんに抱きつきながら可愛らしく、悩ましげに身体を預ける。私がしたのはここまで。この時は、ただ面白い事が起きればいいな、と思っただけだった。

その数日後、この街で『殺人事件』が起きた。
仕事が上手く軌道に乗り始めた中小企業。このままいけば大企業への発展も夢ではない、光ある未来を約束された跡取り息子が銃器を持って、ライバル会社の社長を射殺。周囲にいた一般人も大勢犠牲になった。たった数分の出来事。騒然とする群衆の中心、武装した警察に取り押さえられ事態は落ち着きをみせたらしい。
何故こんなことをしたのか。裁判にかけられた男は興奮しながら答えた。「あの子の為だ!あの子を困らせたあいつらが悪い!!」
当然弁護側の意見も通らず、男には死刑判決が言い渡されたという。

私は新聞でこの事件の記事を読んで、身体を震わせた。おとうさんの腕の中、大丈夫だよ、と甘い声が降ってくる。まるで現実味のない、本を読んでいるようだった。
犯人の名前は私が『お願い』をした人物。犠牲者であるライバル会社の社長は、大勢いるおとうさんの内の1人だった。
あの人は愚かにも子どもの戯れに付き合って、人生を台無しにしたらしい。1人の人生どころじゃない。死ねばそれまでだが、まだこの世にある会社、加害者家族、被害者家族。私のお願いのせいで様々なものがグチャグチャになった。
不思議と罪悪感はなく、言葉ひとつで人を動かせる喜びを知る。ああどうしよう、どうしようもなく楽しい……っ!
口角が上がるのを自覚しながら、顔を隠すようにおとうさんの腕にすり寄った。
「ねえ、おとうさん。お願いがあるの」

美しさは武器だ。だってこんなにも簡単に人を動かせる。誰にだってできることじゃない、私だけの長所で、最大の武器。
これをもっと磨けば今以上に楽しいことが起きるような気がして、私は未知の領域を前に高揚で身体を震わせた。

『傾国』
やがて私はそう呼ばれることになる。



ブロンドの長い髪を夜会巻きに。服は背中がガラリと開いた膝丈のマーメイドワンピースを。黒いワンピースに映える小振りのネックレスと大振りのイヤリングがシャラシャラ揺れる度、大勢の視線を集めた。ハイヒールのカツンッ、コツリという音が小気味良くホールに鳴り響けば、辺りの雑音はシンと静まり返る。
美しいものを讃える視線を一身に受けながら、私は人波が割けるその中心を真っ直ぐ歩く。ホールの最奥に佇む初老の男はそんな私を見て顔を綻ばせると、迎え入れるように腕を広げた。

「待っていたよ、私のコ・イ・ヌール」
「あら、私をあんな石ころだとお思い?」

落胆したと、分かりやすく表す為のため息を吐く。男はそんな私の手を取って、眉を下げながら媚びるように笑った。

「いやまさか!きみはあの美の女神、イシュタルよりも美しい。もちろん、コ・イ・ヌールよりも。だから機嫌を直しておくれ、わたしのスウィーティー」

情けなく媚び諂うこの人は、最近知り合った大富豪。名前は、なんと言ったか。ミスター、パパ、おとうさま、だいたいこの3つで通じるので忘れてしまった。
辺りを見渡す。老若男女、様々な顔が揃っている。新聞だったり映像だったり、大体どこかで見たような顔。みんな私の為に集められたのだ。数々の視線に微笑み返すと、石化が解かれたように皆口々に語り出す。「傾国だ」「美しい」とバカのひとつ覚えのように同じセリフを吐き出した。
つまらない。それ以外の言葉を知らないのかしら。まるでオウムね。

「機嫌を損ねるなんてとんでもないわ、ミスター」

彼の手を握り返すと、私より少し背の低い老人は、怒りっぽい親から褒められた子供のように、安堵の息を漏らした。
今日は私の20歳の誕生日。それを知った彼が大掛かりなパーティーを開いてくれることになった。数ある誘いの中、彼を選んだのは、彼が私の望むものを手に入れたと言ってくれたから。虚偽ではないだろう。もしそんな嘘をついたなら、私は彼を見限る。彼にとってそれは、どんな財を失うよりも辛いことに違いないのだから。

「私の為にこんなに素敵なパーティーを開いてくださるなんて凄く嬉しい」
「そ、そうかね。気に入ってくれたかい?」
「ええ、とってもステキ」

「そうかっ……そうか、気に入ったか!」そう言って破顔した彼は私の手を引いて横に立たせると、ゲストへの挨拶を兼ねて私の紹介を済ませる。私を自分のものだと主張して、生ける傾国だと言い広めた。その間、私は人形のようにピクリともせず凛と姿勢を正す。その様も当然絵になる私であるが、内面は既に冷え切っていた。
女をアクセサリーにして自身を主張する男のなんと愚かで浅ましいことか。どうして自分のことでもないのに、それ程までに自慢げに話せるのか不思議でならないわ。私なら恥ずかしくて惨めで消えちゃいたくなるくらいなのに。

つまらない。本当につまらない。こんなパーティー、数え切れないくらい体験したんだもの。私はこんな見栄や虚勢で塗り固められた集まりより、欲望渦巻くお祭りの方が何倍も好きよ。闇オークションとかね。もう、貰えるものだけもらって帰ろうかしら。

「ねえ、ミスター?お願いがあるのだけれど」

光へ集まる虫の如く群がってくるゲスト達を無視して、彼の頬をひと撫でする。そのまま息を吹き付けるように耳打ちした。

「私、早くアレが見たいわ」

瞬間、彼は驚いたように私から身を離し「いや、それは、まだ」などと言い澱みながら目を泳がせた。
ここで見せるのはかなり困るのだろう。彼としては、このパーティーが終わった後、自室で私と2人きりになった際にプレゼントしたかったに違いないのだから。そのまま私とベッドへ入りたがっていたのも知っている。それを承知で強請っている。
別にこのパーティーが面白ければ、その後の相手くらいしてあげてもよかったのだけれど。仕方ないわ、つまらないのだもの。無駄な時間を過ごすのも私は嫌い。だからさっさと立ち去ってしまいたかった。
けれどこの様子だとそれなりに難航しそうだ。私は小さくため息を吐いて仕方なく、彼とキスが出来そうなくらい顔を近づけて目を合わせた。

「ね?お願い。待ちきれないの」

恋は盲目というけれど、本当の意味で盲目になってくれる人間はごく僅か。人間には面倒な、理性というストッパーが備わっている。
例えば、数億ジェニーの宝があるとする。恋人がそれを欲しいと言っても、彼氏は何もしない。何故か。そんなお金、彼氏は持っていないからだ。借金をして購入もできるが、それだと彼氏が破産して借金地獄に陥ってしまう。だから彼氏は何もしない。彼女のお願いよりも、自身の保身を優先する。好きな人のために動きたい本能がある反面、自分可愛さで発動する理性もある。私にとって、この理性はただ邪魔なだけだった。
6歳の頃、私の為に人生を投げ打ってでも動いてくれたあの男。みんなあれくらい無茶苦茶に動いてくれたら面白いのに。

だから私は、そのストッパーを無理矢理外す力を手に入れた。それが私の能力、運命の7秒ラブイズブラインド
相手と7秒、目を合わせる。それだけで相手は私のお願いをなんでも聞いてあげたくなってしまう。理性や常識を失って、私の為に尽くしてくれるステキなお人形になる。
ただし能力が効く相手は私に多少なりとも気がある人間だけなのだけれど。それも私にとっては些細な問題だった。だってみんな私を、美しいと言って好きになるのだから。

でもまあ、この能力を手に入れたことで、昔より楽しめなくなったのも事実。イヤイヤ言うワガママな男を相手にするのも楽しかった。運命の7秒ラブイズブラインドで素直にお願いを聞いてくれる人形が増えた喜びがある一方で、反発的で情熱的に私を翻弄してくれる人が現れてほしくもある。
タダで操れるお人形はつまらないもの。反抗的な人間を従順に丸め込む、その過程が楽しいの。

彼は私のお願いに対して例に漏れず、とろりと溶けそうな瞳で私を見つめた。そのまま傍らにいたボディーガードに、奥から例のものを持ってくるよう指図する。
暫くして数人の警備員と共に運ばれてきたショーケース。変わらずゲストの視線を受けながら、私は口元を和らげる。

あれがあれば暫くは退屈せずに済みそうね。
そう思った次の瞬間、シャンデリアの光が消え、ホールは月明かりだけが頼りの暗闇と成り果てた。
バルコニーへ続く大窓から見える満月は美しく、満点の星空に寂しくポツンと浮かんでいる。あの月を見ていると無性に切なくなるのは何故だろう。
人々のざわめきを聞きながら、私は心奪われたように月を眺めていた。そのままジッと眺めていると、バルコニーの下から飛び出してきた何かに月への視線を遮られる。ホールの床には大きな影ができて、ソレはダンッと煩い音を立ててバルコニーの柵へ着地した。鉄製の柵が軽く歪んでいる。かなりの重量と衝撃だったらしい。そこで漸く、私以外の人達も、招かれざる客の来訪に気付いたようであった。

逆光で顔までは見れないものの、人の形をしていることはわかる。ただ、尋常でない筋肉と身長のせいで、人間かどうかハッキリ判別するのは難しい。けれどそれが不意に、咆哮を発したことで私はピンときた。

「まあ!ゴリラなんて初めて見たわ!」

私の声を合図に、黒服のボディーガード達がゴリラに対して一斉射撃を始めた。急に始まった乱撃にゲストは混乱して会場から出ようとするが、扉が開かないらしい。「出してくれ!」「助けて!」耳障りな声が聞こえてくる。主催者は慌てふためいて、私の手を取り「逃げよう」と言ってきたが、あえて聞こえないフリをした。どうして逃げる必要があるのだろう、今から面白くなりそうなのに。
ワクワクして、自然と顔が綻ぶのを感じる。ソレは私の期待を裏切らなかった。 ゴリラはボディーガードごと窓ガラスに体当たりして会場に入ってきたのだ。粉々になった窓ガラスを鮮血が彩り、キラキラと光っている。
武装組は呆気なく全滅。爛々と光る目がゲストを捉えた。そこからはもうお祭り騒ぎ、屋敷中に悲鳴が木霊する。殴り、蹴り、食い千切り、振り回す。圧倒的な殲滅が目の前で繰り広げられ、滅多に見られない光景に心臓が騒いだ。
数分後、血と肉に塗れた床の上でゴリラは私に背を向けたまま辺りを見渡すと、つまらなそうに大きな欠伸をひとつ溢す。

「こんなもんかよ、つまんねーな」
「あら、人語を話すゴリラなんてますます珍しい」

巨体が目を丸くしてこちらを見る。「はじめまして」とにこやかに笑いかければ、ゴリラは律儀にも頭をかいて「おぅ」と小さく返事を返してきた。

「返事もできるなんて、お利口なゴリラね!」
「ゴリラじゃねえ!人間だっ!!確かによく間違われるけどよ」
「嘘おっしゃい。そんな毛むくじゃらで大きな人間がいるもんですか。それにね、私がゴリラと言ったらあなたはゴリラなのよ」
「なんちゅー横暴な……そういうお前はえらく綺麗だな。人形か?声をかけられるまで気配も感じなかったぜ」
「つまらない質問ね、よく言われるわ。極力目立たない為に絶はマスターしているの。ところでゴリラさん?あなたこんなところに何しにきたの?まあ私としては面白いものが見れて満足ですけど」

ゴリラはご丁寧にもその巨体を屈ませて私に視線を合わせた。何をしに来たのか忘れたらしく、数秒腕を組んでうんうん唸ってから閃いたように手をポンと合わせる。
随分マヌケなのね、要件を忘れるなんて。

「ここにいる奴らの殲滅と、本を盗ってこいって言われたんだがよ、どこにあるか知ってるか?」

「ああ、それなら」と私は視線を手元に移した。
あの一方的な殺戮の中、飛んできた人間の頭によっていつのまにか亡くなっていた主催者。警備員の手からは既に離れて床に転がったショーケース。中の本は床に落ちた衝撃でシワが出来ていた。周りではまだ人が逃げ回っていて、これではショーケースが蹴られて中の本が更に傷付いてしまう。私は、主催者の胸ポケットに入っていた鍵を拝借して、ショーケースを開けた。手に取ったのは、少しシワの出来た、私へのプレゼント。つまりゴリラの探し物である本は私の手の中に。

内容はなんの変哲も無い、ただの本だ。ただのと言っても、世界に数冊しかない本なのだけれど。有名著者のシリーズ物である最終巻。ただし内容があまりにも残虐過ぎた為に出版禁止になってしまった代物。出版禁止になったその後は代用の最終巻が出版されたが、やはり本来出されるはずだった物を読みたいというのがファン心。その希少価値からかなりの値がするらしいし、そもそも売りたがる人がいないから現物を見れる機会もない。だからあの大富豪は死ぬ前に良い行いをしてくれたわ。

「本は私の手元に。それにしても、とうとうゴリラが強盗する時代が来たのね。いつの間に時代は進化したのかしら?」
「強盗じゃねえ、盗賊だ」
「随分と荒っぽい盗賊だこと。それに殲滅ってことは私もその内に入るのだけれど?」
「ん?あー、そうだよな」
「あら、嫌なの?」
「なんつーか、勿体ねえだろ」
「おだてても本は渡さないわよ。これはね、私の暇つぶしのひとつなの。読み終わったらあげてもいいけれど。というかあなたみたいな巨体が本なんて読むのね」
「あ?オレが読むわけねぇだろうが。そんなちっせえもん、ページを捲れるかどうかも怪しいぜ」
「それもそうね。なら外で待機しているお仲間さんの誰かかしら」

今はもう静まり返っているが、先程まで扉の外から響き渡っていたのは悲鳴だった。恐らくこのゴリラには飼い主がいるのだろうと想像して酷く、嫉妬した。こんな面白いものを独り占めしているなんて、ズルいわ。
未だ私を殺すか殺すまいか悩むゴリラのそばに近付いてみる。あら、近付くと更に大きいわね、このゴリラ。

「ねえ、そんなに私を殺したくないの?」
「ん?おー。この先お前みたいな美女に出会えるかどうか怪しいしなぁ」
「無理ね。この世界で傾国と呼ばれてるのは私くらいなものだもの。絶世の美女は聞いたことがあるけど、傾国はそういないわ」
「傾国ぅ?……ああ、聞いたことあるぜ!なんだったか、確かお前の為に滅んだ男は数知れずってやつだろ?」
「そう、それが私よ」
「って、どうしてくれんだ!それを聞いちゃますます殺すのが惜しくなってくるじゃねえか!」
「ゴリラにも理性が備わってるなんて驚きね。ほら、私と目を合わせて。獣らしく本能に忠実に、欲しければ欲しいと仰い」

背伸びをする。ギリギリ届く強靭な顎に手を添えて、まどろっこしく悩むゴリラと目を合わせる。ゲスト達を殺したあの凶暴な目つきはなりを潜め、月光が少年のような瞳を照らし出した。綺麗で優しい目。こんなに純朴な目を見るのは久々。私の中まで見透かされているようで、胸が高鳴るのを感じながら、妙に長い7秒が経過。運命の7秒ラブイズブラインドが発動した。

「ねえ、あなたは私をどうしたいの?ハッキリ言いなさい」

ゴリラは黒い顔を赤く染めると、私の肩を掴んだ。まるで一世一代の告白を受けるようで思わず笑みが漏れる。遊び慣れてそうで純粋だったのね、このゴリラ。

「オレの女になれ!!」
「お断りよ」
「……普通、この流れで落とすか?」
「私の全てあげるのよ?あなたも何かくれないと釣り合わないわ。……そうね、私を飽きさせないなら、あなたの女になってあげる」

私の返答に、彼はキョトンと瞬きして「マジ?」と尋ねてきた。おめでとう、大マジよ。容姿はまあ置いといて、このゴリラが気に入ってしまったんだもの。彼になら振り回されてもいいと思うくらいには。
つまらなければ捨てるから問題なし。彼の反応を見るに、了承ってことでいいのだろう。

「私はナマエよ。ゴリラさん、あなたの名前は?」
「ウボォーギンだ」
「長いわね」
「ウボォーでいいぜ、他の奴らにはそう呼ばれてる」
「ウボォーねぇ……微妙に呼びにくい。やっぱりゴリラでいいんじゃない?」
「勘弁してくれ」

目元を覆って深いため息を吐いたウボォーは私を抱き上げると広い肩に乗せて、バルコニーに出る。涼やかな風が火照った頬を撫でた。

「掴まってろよ、ナマエ」
「えっ、ぁ……!」

そう言うや否や、ウボォーは歪んだバルコニーの柵を踏み台にして夜空に身を投げ出す。急なことに驚きながらも反射的にそばにあった彼の頭に抱きついた。重量に従ってゆっくり落ちてゆく身体。降下する時間より浮いていた時間の方が多く感じた。
ぶわりと一面に広がった星々はこれから起こる楽しいことを予感させて、ウボォーの毛むくじゃらな頭に抱きつきながら、私は腹の底から湧き上がる笑いを隠すことなく吐き出した。
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