飛行船の窓から見える下界は街灯や家の光が星のように散らばっていた。しかし遠くに見える一帯は言葉通り真っ暗で。夜の海のようだった。あの一帯は、かの有名な暗殺一家の敷地である。広がるのは山ばかり。灯りがないのも当然だった。ゆっくり遠ざかっていく闇を眺める内に、私はやっと一世一代の大勝負に勝ったのだと実感が湧き始めた。

「〜〜っ」

両手に収まる、大粒の宝石ひとつがぶら下がったネックレス。先程まで私の婚約者だった男の瞳と同じ色。伝説の暗殺一家の婚礼装飾品。それが今、手の内にある。
じわじわと腹の奥底から熱が湧き出し、ドッと心臓が騒ぎ出した。脳から背を伝い、足先まで痺れるような感覚が洪水のように押し寄せる。椅子の上で貝のように身体を小さく抱え込んだ。浅い息を繰り返しながら足の指先を丸めた。宝石を胸に抱くように握りしめたまま、深く息を吐く。目が眩むような高揚感。やっぱり耐えきれず、ダンッと床を鳴らして飛び跳ねた。

「ん〜〜っ!解放感!!」

これで堅苦しい生活ともおさらば!ザマァ!
個室のVIP席でひとり飛び回る。ひとしきり騒ぎ終わるとやっと興奮も落ち着いてきた。予め頼んでいたコーラを開けて一気に喉に流し込む。あの家では食べることの出来なかった特大ポテチの袋を豪快に開き、声高らかに笑った。首にぶら下げた宝石はひんやり冷たくて重かった。



ナマエとの縁談は、母さんが持ってきた。どこの家の出かは知らないが、親父がよく利用する武器商売人から紹介された女らしかった。つまり、親父公認でもあるその女は、オレの知らない内に懐まで迫ってきていた。

「ナマエです。よろしくお願いします」

身ひとつで我が家までやってきた女は、しおらしく腰を折る。その姿が昔の自分と重なったらしい母さんは酷く女を気に入り、父さんもそれなりに奴の事を気にかけていた。

面倒だが、両親の気に入った相手を公然に殺せるはずもない。初日はひたすら観察に徹した。母さんに2人だけの時間を設けられた時は、気にくわないことをすれば殺してやろう、とも考えたが女は意外にも場慣れしていた。

「お茶でも淹れましょうか?」
「いいよ、執事に頼む」

毒の耐性はあるが、知らない女の淹れた茶なんて気持ち悪くて飲めたものじゃない。断ると、女は嫌な顔もせず小さく頷いた。

「そうですよね……あの、ゾルディックさん」
「なに」
「少し、あなたのお母様にお話しなければいけないことがあったのを思い出しまして。席を外しても?」
「いいけど、話って」
「不躾にも身ひとつで来たものですから、明日から着るものはどうすればいいのかと思いまして」

ああ、女同士じゃないと話しにくいやつか。大体を察して、いいよと許可を出す。女は深々と頭を下げて退出した。

後日分かったことだが、あの女は敢えて退出したらしかった。曰く「いきなり他人がパーソナルスペースに入るのは彼の心身が休まらないでしょうから」と、母さんに直談判したらしい。それ以降、母さんが無理矢理オレと女を2人きりにする事はなくなった。それなりに気も回るらしい。

まあ、こいつなら、別にいいか。
丁度いい距離を保ち、家族とも仲は良好、オレ達の家業には一切口を出さない。他人でこれ以上煩わしくない女はいないだろう、少なくとも今は。

ナマエがやってきて約1年、オレはナマエと一緒に親父と母さんに結婚する事を告げた。母さんは鼓膜を破る勢いで喜び、ナマエを連れて退出する。早速、婚礼の衣装合わせをするらしかった。
オレはいつも通り微笑むナマエを傍目に、親父とじいちゃんの3人で仕事に向かった。現ゾルディック家の全勢力と言っていい3人で仕事に出るのは、この歳になって初めてのことだった。オレ達ひとりひとりに依頼する為の金額はそれなりに高い。依頼人もなるべく安くで暗殺を依頼したいようで、ひとつの案件につき1人が関わるのが通常だ。が、今回は単純な小規模の暗殺に3人がかりの仕事だった。不審に思ったのはオレだけではなかったようで、移動中オレ達は始終眉間に眉を寄せていた。数時間後、何事もなく終わった仕事に呆気なさを感じた。その直後だ。

「なんだ、キキョウ」

母さんからの電話だ。親父は「少し待て」とオレ達に指示を出し、通話ボタンを押した。どうせ早く帰っとこいと催促の電話だろう。帰り仕度をして、死体の転がる部屋で通話が終わるのを待つ。じいちゃんが「相変わらずせっかちな人じゃのう」と呟いた。オレも結婚式が待ちきれなくなっての電話だと思ったが、様子が変だ。

「ナマエが?……とにかく落ち着け。帰ってから詳しく話を聞く……ああ、すぐに帰る」

いつになく険しい顔で通話を切る親父は、無言でオレの横を通り過ぎた。じいちゃんと顔を見合わせて後を追う。

「母さん、なんて?ナマエがどうかしたの?」
「……消えたらしい」
「は?」
「婚礼用のネックレスと一緒に消えたそうだ」

ナマエが?誰かに攫われたのか。いや、うちは簡単に忍び込めるほど柔なセキュリティじゃない。上手く忍び込めたとしても、人ひとり連れて逃げるのは不可能だ。

我ながら珍しく混乱していると、じいちゃんが冷静に口を挟む。

「考えたくないが……ナマエさん自ら消えたのが妥当じゃろうな」
「親父もそう思うか」
「それくらいしか思いつかん」

あのセキュリティを掻い潜るだけの実力がナマエにあったとは思えない。けど、じいちゃんがそう言うなら、ナマエにはそれだけの実力があるのか。そもそも、あいつはどこから来た。

「親父……ナマエって、何」

親父は驚いたように目を見開く。それくらいは知っているとでも思っていたらしい。
でもオレはナマエの素性について興味がない。家柄も、あいつのこともどうでもよかった。ナマエはオレと結婚して、子供を産んで、ゾルディック家の繁栄に貢献する。それだけの女だから。

「ナマエは鍛治屋の娘だ。オレの愛用するベンズナイフを作っている」
「へー」
「イルミ……お前、今までナマエと何を話していた」
「え?別に、何も」
「なんと」

2人は絶句した。「これはナマエさんが逃げ出すのも無理ないわい」とじいちゃんは呆れたように肩を落として車に乗る。親父も無言でそれに続いた。

遠回しに批判されているのは分かった。
しかし、親が決めた婚約者と一体なにを話せばよかったのか。深く関わらなくても、それなりに良い関係を築いていた筈だった。ナマエが出て行く意味が分からない。とりあえず携帯を取り出して、念の為登録していたナマエの番号に電話をかけてみる。暫くして聞こえてきたのは「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」という機械的な音声だった。
そういえば、ナマエに無視をされたのは初めてだな。

「……ナマエの分際で」


数日後、オレ達はナマエの素性が全て嘘だった事を知る。親父の愛用する鍛冶屋に娘はいなかった。戸籍も精巧に作られた偽物だ。じゃあ、あいつは誰だ。

ミルキに高額な金銭を支払い、あいつの素性を調べるよう言った。
指定した期限の最終日、弟の部屋を訪れる。またガラクタの増えた暗い部屋。パソコンの光に照らされたミルキは顔を青くしてオレを見た。血抜きされた豚に良く似ていた。そしてメインのパソコンを震える手で指差す。

「こいつはアドラー、この女はジェーン、この銀行員はサリィ、この家政婦はミナ」

パソコンには4人の女が映っていた。
防犯カメラの映像らしい。どれも解像度が低いが、その4人の女は殆ど同じ顔であることが分かる。どの女も、ナマエと同じ顔だった。

「もっと顔はあるだろうけど、分かったのはこれだけだ」
「つまり、ナマエも偽名ってこと?」
「多分……騙されたんだよ、オレ達」

ミルキの震える声が響く。
騙された?オレ達が、こんな女に?あの従順なナマエも全部嘘だったのか。オレ達に近づいてきたのは、全てあの宝石の為。そうとも知らず、オレ達はまんまと嵌められた。

「は、はは」
「あ、兄貴?」
「はははははははっ!」

やるじゃないか、ナマエ。まさか1人でゾルディック家を敵に回すような真似に出る人間がいるなんて思いもしなかった。そして今回はオレ達が負けた。素性も知れない、たった1人の女にだ。

「ミルキ、そのままナマエの情報を集めてくれる?」
「いいけど……あいつの居場所が分かったらどうするつもりだよ」
「決まってるだろ?」

確信した。頭脳も度胸も最上級。きっとあれ以上、家の繁栄に繋がる女はいない。

「連れ戻して、早く結婚式を挙げようか」
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