王の誕生を心待ちに、女王へ捧げる食材集めの準備をしている最中である。ピトーがその女と出会ったのは。

「まだこんなところに人間がいたのかニャ」

人里離れた森の中。近隣の村では既に人間が食材として巣に運び込まれた後だったが、微弱な気配を辿って森の中に進んでみればまだ人間が生きている。
さて、この人間も持っていくかとピトーが一歩踏み出せば、女は振り向いて首を傾げた。

「どなた?」

人外の、今にも己を殺そうとする生物を前に、誰だと聞く女の姿はピトーの目には間抜けに映った。そして、人間から受ける初めての対応に困惑した。
キメラアントを見て、叫ばない人間はいなかった。怯えない人間もいなかった。それが今はどうだ。穏やかな雰囲気を保ったまま、人間同士で関わるように接してくる。

なんだ、こいつは。ピトーが何も出来ずにいると、女は穏やかに笑ったまま一歩下がって頭を下げる。

「ごめんなさい、私、病気なの。移したら大変だから、どうかお引き取り願えないかしら」
「病気?」
「ええ、病気です。みんなからは不治の病と言われて、もう誰も私に近寄りません」
「病気って、どんな?」
「え?あ、ええと……血を吐いたり、身体中が痛んだり、目も見えなくて。変なこと聞くのね、あなた」

女が驚いたように目を見開く。
当然だ。不治の病と聞けば、大抵の人間が足早に去っていく。移ってしまえば最後、自分も危ないのだから。けれどピトーは、興味津々に病に食いついて、目を輝かせた。

これまで食材になった人間の中に、不治の病など患っている者がいたなど聞いたことがない。元々好奇心旺盛なところがあるピトーにとって、未知の生物はとても興味深いものだった。

「ふーん、だからこんなところに追いやられたんだ」
「追いやるって……よくないわ、そんな言い方。みんな、死ぬのは嫌でしょ?だから私、自分からここにやってきたの」
「目も見えないのに?」
「目が見えなくても、私は感覚が鋭いから何処に何があるか、なんとなく分かるのです」

自慢げに胸を張る女を、ピトーはどうでもよさそうに見た。
叫ばず、怯えず、栄養価もない。殺そうと思うほど不愉快でもなければ、女王の食事にも相応しくない人間。

さて、この女をどうするかとピトーは考えた。
そもそも、人間の価値など食料として役立つくらいのもの。実際、ピトーは生きた人間とここまで長い時間接するのは初めてで、この先どうすればいいか迷っていた。
そんなピトーの思考を遮るように、女が声を上げる。

「ねえ、まだそこにいらっしゃるんでしょう?病気が移らない内に、早く」
「人間の病気くらい平気」
「人間の、病気?まるであなたが人間じゃないような言い草ね」
「それよりさ、キミこれから何をするの?」
女は気の抜けたような息を吐いて「マイペースな方なのねえ」と呟き、カゴに入ったキノコと山菜を見せつけるように持ち上げた。
「これで、スープを作るの」
「すうぷ?」
「まさか、知らないの?」
「知らない。人間は、そのすうぷってやつを食べるの?」
「えー……スープは温かい飲み物で、他にパンや魚を調理して食べるのだけれど」
「調理……っ!」

目が見えずとも、目の前にいる生物が幼子のように目を輝かせているのが分かる。女は少し考えた後、何かを決意したように小さく頷いた。

「あの、よかったら、うちに来ますか?」
「え」
「あ、でも病気が」
「行く」
「即決!?」
「え、ダメだったの?」
「いいえ、来てくださるのは大歓迎ですよ。ただ、みんな病気を怖がって近寄らないから新鮮で」
「だから、ボクにキミの病気なんて移らないニャ」
「なら、いいのだけれど。ふふっ、お客さんなんて、何年ぶりかしら。どうぞ、ついてきて。すぐそこですから」



ピトーはそこで、初めてのものを沢山見た。人間から見ればただのおんぼろな木小屋でも、生れたばかりのピトーにとってその家は未知の山だった。

「ごめんなさいね。汚いでしょう」
「ねえ、あの赤いのは何?」
「赤?」
「近づくと、熱い」
「え、あっ!触ったらダメですよ!火傷しますから」
「やけど?」

家の奥、煉瓦の中にある揺らめく赤い物体は「火」という名前なのだと、ピトーは学ぶ。
人間の生活には欠かせないもので、これで魚を焼いたり、スープを煮るのだと女が教えると、ピトーは興味深そうに間近まで暖炉のそばに寄り、パチパチと弾けるような音に耳を傾けた。

「なんか、落ち着くニャ」
「確かに。でも気を付けてくださいね。さっきも言いましたが、火に触ると大怪我しますよ」
「切れるの?」
「焼けます」

こんな風に。そう言って女が串刺しにした魚を火に沿わすと、ジュウッと焼ける音が鳴る。
ピトーはびくりと身体を揺らして、みるみる表面が変色していく魚を好奇心たっぷりの目で眺めた。

その間に、女は鍋にスープの材料を入れていく。これが人間の生活なのかと思うと、自分たちの生活は酷く簡単なものなのだとピトーは感じた。

「人間も、火にかけるとこんな風に焼けるのかニャ」
「さあ、どうでしょう。でも、きっと、火の源になるんでしょうね」
「ん、それは?」
「スープですよ。これも火にかけます」

火の前に座り込んでいたピトーが立ち上がり、今度は女の手元にある鍋の中を見る。そこには、ピトーにも見覚えがあるキノコと山菜が入っていた。ここに来る前、女がカゴに入れていた食材だった。

「これ、さっきの」
「はい。これも煮てスープにしていきます」
「でも全部小さいニャ。キノコなら、もっと大きいのが生えてたのに」
「あら、多分それ、毒キノコですよ。赤かったでしょう」
「毒?キノコにも毒があるの?」
「ええ。キノコだけじゃなくて、山菜にも、魚にも。食材には毒があるものが混在してるので、見分けないと死んじゃいます。あなたも、気を付けてくださいね」
「キミは?」
「え」
「キミは、毒入り?」

女が一瞬、息を呑む。しかし驚いたような、傷ついたような表情はすぐに元の笑顔に塗りつぶされ「そうですね」と答えた。

「人間の中では、私はきっと毒入りなんでしょうね」

なるほど、じゃあこの女みたいな人間は女王に差し出さないように伝えなければ。
そう思い立ったピトーはいい焼け具合になった魚だけを手に取り、女の横を通り過ぎた。
女は困惑しながら「あの、何処へ?」と尋ねる。ピトーは扉に手をかけて「んー」と間延びした声を発すると、パクリと魚を口に放り込んでもごもご口を動かしながら言った。

「ちょっと用ができたから帰る。キミは殺さないでおくよ」

また面白いこと聞けそうだし。殺すには惜しい人間だ。ピトーはそう判断した。

「またね」
「え?あ、はい、また」

一方、もてなしを蹴られた女は開けっ放しになったドアをポカンと見えない目で眺めていたが、不思議と嫌な気はしなかった。
そういう人なのだと割り切っていた。そもそも、人ではない、何かだったのかもしれない。それでも、女にとっては久々の客人で、可愛い人だと思ったから家に招き入れた。こんなに楽しかったのは、いつぶりだろうか。

まるで生まれたての生物ように瞳を輝かせ、今も空や木々に心を躍らせているのだろう。またね、とも言ってくれた。次に会えるときが待ち遠しい。

そうして、家の脇にある水を汲みに外に出たところで、女の記憶は途絶えている。
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