※現パロ

妻は昔から、触れ合うタイミングというものがよく分かっていない。手を繋ぐ、抱きしめる、キスをする。物事の始まりには必ずといっていいほど雰囲気やきっかけがある。しかしどうもソレを見逃してしまうようだ、それはもう奇跡的なほどに。
「ナマエ、目閉じて」キスを促す一言ですら意味が分からなかったようで「まつ毛にゴミでも付いてた?」と純粋に聞き返してくる始末。付き合い初めは避けられてるのかと疑ってしまうくらい触れ合えなかった、しかし彼女は何も悪くない。雰囲気もタイミングも分からなくなってしまった最大の原因は彼女の兄、曇 天火にある。俺の友人でもあるそいつはいわゆるシスコン、ブラコンというやつで特にナマエに対しての愛情表現は凄まじい。彼女に想いを寄せる男には普段使わない頭をフルに使い対処、警戒を怠らない。学生時代、朝早くに登校してナマエの靴箱に入れられたラブレターを処理する場面に立ち会った時は正直ゾッとした。つまり彼女が極端に恋愛慣れしていないのはあのシスコンカニ頭が原因だと断言していい。現実が無理でも年頃の女子が読む小説や漫画で知識は吸収できるはずだが、それすらも天火は読ませないらしかった。曰く「俺の可愛いナマエちゃんが恋なんぞに興味を持ったらすぐに彼氏ができちまうだろ?」とさも当然のように奴は語った、俺はお前の思考が怖い。俺が彼女にアプローチを仕掛ける際も何度邪魔されたことか。あいつがいながら恋人の期間を経て夫婦になれたのはもはや奇跡といっていい。

だが天火の元から離れても彼女の鈍さに変化はなかった。さすがにキスの合図くらいは分かってくれるようになったが、夜そういった雰囲気になっても兄譲りの明るい笑顔で「どうしたの?」と尋ねてくるばかり。そこも愛おしく夫婦になったのだが、偶には彼女から求められてたいと思うのは純粋な男心だ。
だから誕生日前、彼女に「何か欲しいものある?」と聞かれてつい「ナマエからのキスが欲しいかな」と、答えてしまったことについて反省はしていない。ほんの少しの悪戯も混ざっていたし、初心な彼女にあまり期待はしていない。ダメ元だ、言うだけタダ。首まで真っ赤に染まった彼女を見れただけで言ってみた価値はある。

「じゃあ行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」

四月一日、俺と片割れの誕生日。いつも通り朝がきて、彼女もいつも通り変わらない。だから俺への見送りも変わらずにこやかに送り出してくれると思っていたのだが、今日は違った。いつもなら行ってらっしゃいと手を振ってくれるのに、今その手は俺のスーツを掴んでいる。どうしよう、これじゃあ行ってらっしゃいって言われても仕事に行けないな。

「どうしたの?」
「……行ってらっしゃいのキスって、どう思う」

不意に彼女が聞いてくるものだから思考止まる。行ってらっしゃいのキスっていうと、新婚の夫婦や付き合っているカップルがやることで有名なアレか。どう思うかと聞かれると、まあやってほしいけど。
あわあわと慌てながら言葉を探す彼女は可愛らしい。ああ、もしかして前に俺が欲しいと言ったものをくれようとしているのか。気持ちは嬉しいが、まだナマエには早いだろう。

「ナマエ、無理しないでもいいよ」
「だって、ほしいって、前に……い、行ってらっしゃいのキスはね!通勤中の事故確率も低くなって、仕事へのモチベーションも上がって、な、長生きの秘訣にもなってね、それにあと、病気にも精神的にも強くなってっ!あと、あとね夫婦円満にも繋がるんだって!!だから、や、やってもいい!?」
「……。」

何だこの可愛い生き物。キスするのにそんなに前置き必要なの?もっと気軽に、挨拶程度の勢いでしてくれてもいいんだよ。っていうか俺からしたいんだけど、ダメなんだよな。ナマエの勇気を無駄にしちゃダメだよな、堪えろ俺。

「し、白子?」
「ああごめん、いいよ大丈夫問題ない」
「顔、怖いよ」
「元々こういう顔だから気にするな」
「そ、そう?」

「じゃあしゃがんで?」と促してくる彼女の言葉に従う、ついでに目も閉じると目の前から呻き声が聞こえた。小声で「顔がいい」と呟かれた言葉は聞き逃さない。彼女を少しでもときめかせられるなら、この顔に生まれてよかったと心から父と母に感謝できる。同じ顔なら弟がいるが、ナマエ曰く俺とは何かが違うらしい。俺と弟の違いが分かる妻で本当によかった。

「よ、よし!いくよ」
「どうぞ」

まるで決闘前の気迫がこもった声を発した彼女。目前にナマエの気配を感じて、唇が触れ合うのはいよいよかと思われた。が、背後の扉、外から聞こえてくる騒がしい足音で邪魔が入る。パッと焦ったように俺から離れた彼女の様子を見るに、奴が来たのだろう。何故いつもいつも、いい雰囲気になった時を見計らったようにウチに来るのか。盗聴器でも仕掛けられられてるんじゃないか。いや、そんなものを見逃す俺じゃないが、奴のタイミングの悪さには怒りや呆れを通り越して感心する。

「よう、ナマエ!ついでに白子!嫌な予感がして来てやったぜ!」
「チッ」
「お兄ちゃん……タイミング考えて」
「歓迎されてないのは分かったが来てよかった!さあさあ白子くぅん、通勤がてらお義兄様に何があったか聞かせてもらおうか」

天火が俺の左腕をトントンと叩く。視線をやれば腕時計の長針が6を回ろうとしていた。確かに、そろそろ出ないと遅刻だな。

「じゃあ、今度こそ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね、ご馳走用意して待ってるから」
「ナマエ、お兄ちゃんも頑張ってくるから!あわよくば夜もお邪魔するから!行ってきますのちゅー」
「お兄ちゃんウザい、ほらっ行ってらっしゃい!頑張ってね!」

ウザいと言いつつも外に向かって天火の背中を押すナマエ。さすがこいつの妹、どうしようもないシスコンの扱いに慣れている。ウザい、だけなら拗ねて面倒になるのは分かっていたんだろう。背中を押して一言頑張ってと添えるだけでこいつは上機嫌にそれなりに整った顔を破顔させるのだ。これなら通勤中の質問責めもまだマシになると確信して息を吐いた。

「あ、そうだ」

先に天火を外に出したナマエがくるりと振り返る。瞬間、胸倉を掴まれ引き寄せられた。頬に柔らかな感触が触れたのは一瞬で、気付けば背中を叩かれ俺も外に出されている。何が起きた?

「行ってらっしゃい!」

頬に手を当てて後ろを見れば既に家の扉は閉まっていて、頬にキスされたのだと理解したのは天火に引っ張られて電車に乗った後だった。……よし、今日は早く帰ろう。空丸と宙太郎にこいつを任せて、嫁はめいいっぱい甘やかす。雰囲気やタイミング?知ったことか。今日ならきっと若干無理に手を出しても怒られやしない。
一刻も早く帰りたい衝動に駆られながらニヤける顔を引き締めた。
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