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19

ただいま、我が家(マイホーム)。
おかえり、我が壁(マイウォール)。

いつもは、迫りくるような圧迫感が鬱陶しい、と見上げていただけだったそそり立つ壁が、今は愛おしくてならない。ああ、純白の女神よ、あなたはなんて美しい(デカい)のだろう。

なるほど、少しはウォール教の奴らの気持ちも理解できる。特に、危険な壁の外から帰ってきたときなど、感激もひとしおだ。いつか、口先だけの彼らも引きずってでも連れて行って差し上げようではないか。今の私と同じ感動をきっと味わえるだろうから。そう心に誓いつつ、エーリカは荷台の上に干からびた魚のように、ぐでっと体を投げ出しながら、安堵の息を大きく、長く吐き出した。


門をくぐると、大通りは割れんばかりの大歓声で満ち満ちていた。
沿道には見物客がひしめき、いつもにもまして熱気があふれている。おそらくは、トロスト区の商工連の連中の手引きだ。なぜなら、今回の遠征は、巨人領域からの塩の奪取という意味も込めての特殊な任務を帯びた遠征なのだ。成功であれば、その雄姿を讃え、失敗すれば、大観衆の前でその無駄金食らいとの汚名をなすりつけられる。どちらにしても、利があるだろう。

と、その声の中に聞き覚えのある声を聴き、エーリカは軋む体に鞭うって上半身を上げ、周囲を見渡した。
――――いた、調査兵団に出資している革新派に所属している連中だ。彼らに、軽く微笑み、ことは成功したという意味合いを込めて、手を振る。瞬間、わっと湧き上がる歓声。………なにこれ?

「なんか、ウケたみたいだね」
「は、はあ。――――どのあたりがです?」
「ほら、若くて可愛い女兵士が、英雄として(生きて)壁外から帰還して、笑いながら手を振ってくれるなんてめったにないことだからね。いつも私たちは、基本そんな余裕とか、あまりなくってさ」

そう苦笑を浮かべながらもハンジは彼らの心情を解説してくる。若い美人な女兵士……背中がかゆくなりそうな褒め言葉だ。まあ、そもそもの比較対象が少ない調査兵団内でなら、確かにそのレッテルは間違ってはいないだろう。だって、今エーリカの周囲にいるのは、むさ苦しい男たちと、眼鏡と泥で人相も分からないくらい顔を汚したハンジくらいだ。

しかし、人気取りか―――まあ、あれほどの死地と惨劇を潜り抜けて、大衆の人気取りをする余裕などあるはずもない。それは、従軍して嫌というほど身に染みた。こんな日和見の、人の苦労も知らないような者らに媚を売るなど馬鹿らしくてやっていられるわけがないに違いない。

なによりも、基本現在の調査兵団の任務は拠点の設置という一見成果が見えないものだ。調査兵団の本質からすれば、得られなかったに等しい消極的な成果と、失われたことによる人的被害を鑑みるに、英雄の凱旋なんてものから、心情的にも物理的にも程遠いに決まっている。

だからこそ、この私の対応が、民衆にとってよりもの珍しいのは理解できる、が

「―――あの、私、正規の調査兵団兵士ではないんですけど」
「まあ、いいじゃん。そんなこと彼らに分かるわけないんだしさ」

なるほど、確かにそうだ。遠征ごとにころころと変わる兵士の顔など、移り気な彼らが覚えているはずもない。せいぜいが、兵団の顔である団長と兵長くらいだろう。だが、……今回も少なからず被害が出たうえに、調査兵団としての実質の成果はゼロに等しいのだ。これ以上騒ぐのは、他の兵士に悪いだろうと判断して、その手を降ろそうとして―――――よぎる視界の端に、不快な顔を見つけてしまった。あれは

「あの豚面も、てめえの知り合いか?」
「………ええ、よく、知っている、人間です」

馬上から投げかけられるリヴァイの問いかけに、感情を抑えた低い声で返す。彼らは、私が壁外行きで死ぬことに賭けた、いや積極的に働きかけてきた既存の利権に腰を掛けている連中どもだ。その賭けに負けたという屈辱で歪んだ面を見ていると、忘れかけていた怒りがふつふつと湧き上がってくる。そんな彼らから目をそらそうとして……彼らが何やら口を開いて、笑みを浮かべていることに気が付いてしまった。唇の動きを見るに、なになに『あの無様な成りを見てみろよ―――負け犬の帰還じゃないか』……ですって―――?

「おい、どうしやがった」
「………」

―――――よろしい、ならば完膚なきまでにそのプライド、叩きのめしてやろう。僅かに顔を伏せること、数秒。再び顔を上げたそこには、可憐で優美そのものの、完全無欠、奇跡的なまでに美しい営業スマイル。もちろん100%演技だ。これは出し物なのだから、役者は観客の歓心を買うためにも道化になる必要があるのだ。そんな芸術の成果を惜しみなく披露できる舞台を無名の女優は作り出した。

美しく見せるため、太陽光の当たり方と、零れ落ちる髪の一筋まで完璧に計算されたその角度・そしてポーズ。首筋や壁外で打ち据えた体軋みを上げるが、美とは概して辛いもの。困難を乗り越えてこそ、多くの心を打つ美が生まれるのだ。よって、その痛みを微塵も感じさせないよう、痛みを押し殺して微笑みを浮かべる。可憐に、しかして媚過ぎない程度に。彼らの歓声を受けてるは、はにかんだ清純極まりないと評判の微笑。

途端、湧き上がる歓呼の嵐、高揚する空気。そして、荷台が石に乗り上げた瞬間を狙って、自然な動きで荷台の幌を滑り落とす。純白の黄金。奇跡の岩。光を反射して輝く岩塩だ。どよめく観衆。爆発的に湧き上がる大歓声。そして、愕然とする豚ども!

「ふ、ふふふ。見てください兵長。あの苦虫をかみつぶしたような顔!元からつぶれた顔なのに、もう蛙みたい!」
「前から思っていたが、てめえの性根はろくでもねえな――――だが、よくやった。もっとやれ」
「胸がすくような、晴れやかな気持ちです。ああ、……本当に、生きていてよかった」
「奇遇だな。俺も初めてこの見世物じみた、胸糞悪い凱旋を楽しめそうだと思っていたところだ」

命の危機を乗り越え、小さく信頼を交わすように微笑みあう二人の男女。更に爆発する歓喜の声。その微笑みの裏でこそこそと交わされる、性格が捩れきった会話。その発言者が、人類最強と歌われる男と、この騒ぎの中心となっている(見た目だけ)かわいらしい乙女だということに、世の無常と儚さを感じ、ハンジなどは眼鏡の下で顔を引き攣らせて、なんだか切ない気分になった。



壁外でのエーリカの活躍は、お粗末なものである。

空中でガスが切れること、2回。巨人に追い掛け回され、死にもの狂いで逃げ回ること(徒歩)1回。いや、本当に鈍重な巨人で本当に良かった。

訓練期間数ヶ月の付け焼刃で、何とかなるとは思っていなかったが、本気で危うかったが、何とか生き残れたのだ。もはや、これだけで、勝利したと言っても過言ではない。運命とか死亡フラグとかに。だが、その上当初の目的まで達成したのだ。完封勝利。誰にも文句は言わせない。

特に、塩の運搬時なんて、集まる巨人をちぎっては投げちぎっては投げ(比喩)、八面六臂の大活躍だった。私がではなく、私の所属した班員が。私は後ろや空中からちまちまと、飛び道具で視界を奪ったり、踝を切って機動力を奪ったり、ひたすら逃げていたくらいである。その際、何度か巨人の手が体を掠めたが、生きているのでよしとする。過去は振り返らないのだ。もとより、足を引っ張ると分かり切っていたのだ。ならば、徹底的に補佐に徹するのが、道理だろう。

だから、この成果は驚くほどのことではなく、当然の結果でしかないのだ。
少なくとも、エーリカにとっては。

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