ーーピリリリリ。

高い電子音が腕の中で鳴り響いた。胸元に振動も与えて一気に意識が浮上する。重い瞼をゆっくり開けて、鬱陶しい目覚ましのボタンを押すと静けさだけが残り少しだけ安堵感を与えた。

起きなきゃ。

そう言い聞かせて目覚まし時計を見ると起床時間をオーバーした長針が目に入る。


一回目に止めた目覚まし時計を布団の中へと押し込んでからの本日二度目の電子音だった。




カーテンを開いたその先に青い空が迎え入れて窓を開ける。うーんっと腕を伸ばして軽い準備運動。着替えをさっさと済まして、まだ残る疲労と気怠い身体で荷物を纏めなければならない。

昨日の後遺症だ。心身共々回復はされていない。


「さてと…」


本日をもってこの一人部屋とさよならをする。










「デ、ナンデあたしがこんなコトしてンすかね?」
紗枝の教科書を積み上げながら呆れ口調に言う。

「もう弱音?まだ始めて五分よ?」
「いや、そーじゃなくて」
「あ、ノートは別に積み上げて」
「キイテマスカァー?」

聞いてません。とは言わず、ニコニコと笑みを浮かべたままの紗枝の腕は緩慢だった。疲れているのだろうことは容易に予想出来て、事実。思い返す接戦に身震いさえしたあの熱量とぶつかり合いは今も目に浮かぶ。

目の前の呑気な紗枝もその渦中の一人。






寮生活でも授業自体がなければもちろん休日はある。各々に過ごす土曜日に朝から鳴る携帯が柊を起こして暫く、不機嫌な表情で紗枝の部屋に足を運べば待ってましたと言わんばかり紗枝は紐と鋏を手渡した。

初めは何が何だかわからないといった柊は眉間に皺を寄せていたが、昨日の事を思い出し理解する。手伝ってと手渡された鋏を思わず受け取ってしまってから後悔した。自分でなくとも、と考えて柊は出掛けた言葉を飲み込んだのは来る途中、玲の部屋の前を通れば聞こえる盛大な鼾。


おかしい話だ。鳴り響いた携帯から「助けて」と切羽詰まった様子もなく、寧ろ楽し気な音色を含んだその声を普通ならば一切する筈が、律儀に脚を運んでしまった事実。寝ぼけてたのか、そうでないのか。しかし、確実に助ける必要もないことは理解していた。

戻ってきた事にさえ驚く事はなく、当たり前のようにすんなり落とされたものはなんなのか。

ただ、一つ分かっている事はただの日常だということ。

柊は鋏の取っ手を何度も開き、握る。シャキシャキと意味のない行動を繰り返し、音を立てれば紗枝の目は自然と向く。



「昼食奢れよ」


柊は潔く諦めて紗枝に笑いかける。







「もちろん」

思ったより弾んだ声に紗枝自身少し驚いた。
その理由を知っては、むず痒くなるのだが彼女の笑顔が消えてせっせと教科書とノートを分類していくから、勿体無いとさえ思う。そんなものに嫉妬するつもりもない。


許容された我儘に大きく笑いかけてくれる。試合最中に抜け出してしまったあの場所で、柊だけが見送った。アドバイスという言付けも添えて。昨夜、通り過ぎる剣待生達は異様な瞳で紗枝を見ていた。そこには不安と心配。行動に移した同級生と後輩たちは昨夜のうちに言葉を交わしていた。紗枝はその日、柊には会わなかった。

彼女はどんな顔をするのだろうか。呆れるのか、興味なさげなのか、気を遣うのか。考えてもどれも当てはまって気になった。しかし、拍子抜けするぐらい彼女は至って普段通り。ドアを開けた瞬間、眠そうな目は怠惰感が滲み出ていて、何時もより少しだけ低い声で「ナンすか?」なんて言うもんだから笑ってしまった。



「こんなもン?」
「うん。ありがと」

一箇所に集めた荷物を見下ろす。柊はパンパンと埃を取るように手を鳴らし、腰に手を当てた。紗枝は時計を一瞥する。見れば、少し早いが昼食を摂っても問題のない時間帯。ここまでしてもらえばあとは自分でと思う。ぞんざいで簡単な見返りを求めた柊の意図は本当のところはわからないが、少なからず場を和ますようにも感じられた。

彼女は優しい。謝罪を、懺悔を、気まずさを、分からないうちに拾っていってしまう。彼女だけがそのままで居てくれる。荒波は立てない。

「デ、部屋決まってンの?」
「へ?」

そんな彼女に感謝して、昼食にでも、と思って口を開きかけると遮られた。


「へ?じゃなくて、運ぶっしょ?」
「いやーーー」
「二人のが楽」

イイ、とは言わせてはくれず、教科書とノートの束と衣類類を持つ。

「それは自分で持て。大切っしょ」

それ、を指すモノを理解して、そして重い物を自ら持ってしまうから、わるい気もするのにどうしようもなく暖かくなった。それも自分で持て。と布団カバーや枕、掛け布団に目を向けて、そこもフォローする辺り、どれだけ彼女が出来るか、勘が良いか。空気を保つ術を知っている。

彼女が言う大切なモノは刀。それを腰に付けて布団一式を抱え込む。長すぎて困ったが、それも考慮済みなのか、不恰好と意地悪く笑う彼女はどこまでも彼女だった。


嬉しい。


穏やかな陽だまりのようだ。全て包んでくれるような錯覚さえ覚えるぐらいに。


乱暴に柊はドアを蹴り開ける。
「足癖は相変わらずね」
「脚が長くてさ」
「両手が塞がってるからでしょ?大着物」
「バレたか」

大きな背中を見て暫く歩いてから「で、どの部屋?」と聞いて呆れて笑う。知らないのに歩いている辺り、彼女の本質そのものだと思った。雁字搦めの紗枝にとって、こういう生き方は眩しすぎる。こうしたいと思う。真っ直ぐな後輩たちとは違う、安心出来る真っ直ぐさ。危なっかしい筈が、大きさで隠れてしまうから、その大きな背中だけでもいいから寄りかかりたいと願う。それさえも烏滸がましいことも知っていてーーー欲しくなる。


「あ、」

手一杯の彼女は咄嗟に振り返った。部屋は教えたわよ、と言えばちげーよと返された。だったらなんなのか、そう考える前に彼女の綺麗な唇は動きだす。


「おかえりって言い忘れてた」

ーーアンタもアホなンだからココに居りゃいいンだっつーの



照れ隠しに二言目を探したらしい、優しい悪態もあったものだ。彼女の瞳が僅かに下がる。

あぁ、彼女を選んで良かった。呼んだ自分は間違えてなかった。慰めて欲しいわけじゃない。心配なんてされたくない。励ましなんていらなかった。皆に有難いと思うし感謝もしている、
でも、違うの。違かった。
ただ私は、見送られ迎え入れてくれる、静かな居場所が欲しかった。

ありがとう。ありがとう。
我儘をきいてくれて。受け止めてくれて。
そのままで居てくれて。











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