とある忠犬の物憂い



『石田君、石田君、』




ある日突然、私は妙な女に飼われる身となった















「……何だ」

『いや、石田君がじっとこっちを見てたから。逆に何か用事?』

「貴様のその着物、大きさが合っていないのではないか?」

『合ってたよ。長い年月と洗濯を経て、今はだるだるに伸びきったジャージさんです』

「……新しい着物を買う余裕がないのか」

『愛着だよ愛着。物を大事に使う女なの、私』




決してそうは見えない女が袖を捲り上げ、再びゴロリと布団に寝そべった


女の名はゆの。あらさぁだと名乗るこいつは私よりも年上らしいが、具体的な年齢はたぶぅだとか何とか

室にも入らず職につき、あの伊達政宗…の父に召し抱えられているそうだ。まあ、この女に奥は無理だろう




『石田君もそんな背筋伸ばして座らずに、寝転がってゆっくりすればいいのに』

「…私は怠惰も、時間を無駄にすることも嫌いだ」

『無駄じゃないよ、この何もしない贅沢。石田君も分かるといいね』

「………………」




一生分からないだろうな。この女と私が分かり合うことはまずない

では何故、堕落しきった女と共にいるのか。私は…





「はいはーい、そのジャージ、洗濯しちゃうから着替えてきてね」

「っ…………」

『ええー…』

「不潔なのはゆのも嫌だろ?もう一着、乾いてるだろうからそっち着といて」

『…分かった。石田君、着替えてくるね』

「…勝手に行け」




男の指示にだらだらと起き上がったゆのは隣の部屋へ向かい、代わりにやってきた男は女の寝転んでいた布団を回収する

どうやらこれも洗濯するらしい。手慣れたように家事をするこの男は、ゆのの幼なじみだという




「…なに、じっと見て。ゆの以外に見つめられても困るだけなんだけど」

「…気にするな」




男の名は猿飛佐助。こちらの世では私たちの知る真田の忍ではなく、ゆのの世話係らしい

ゆのの生活のすべてを牛耳る男。それは異常なまでの執着で、はじめの頃は戸惑ったがもう慣れてしまった




「ふーん、ま、いいけど。ゆのが戻ったら、ジャージは適当に投げ捨ててって言っといて」

「………………」

「あと、ゆののだらけを否定しないでよねー。これだけだらしない女にするの、結構苦労したんだから」

「知るか」





…この猿とは、ゆの以上に分かり合えないだろう






















『…義輝様、これ、楽しい?』

「まあ待てゆの、今が最も大事な時だ…ふむ、では次はここでどうだ?」

『んんー……』

「…何をしている」

『あ、石田君。義輝様とオセロって遊びしてるの。囲碁…のルール分かんないけど、そんな感じ』

「…ほぼ全て黒だが」

『義輝様が強すぎてつまんない』

「諦めるなゆの!まだまだ予は遊び足らん、さあ、もっと楽しませてくれっ」

『………………』




…仮にも将軍を目の前に、これ以上ないほどふてくされた顔になるゆの。だが確かにこの男の相手はつまらんだろう


私がこちらにやって来てから少しして、この男…足利義輝は現れた

この男は誰よりも早く未来とやらに慣れ、また楽しんでいる。今もゆのと共に未来の遊戯にいそしんでいた




「ゆのは飽きてしまったか…ならば仕方あるまい、次はこちらで勝負といこう!」

『トランプ…』

「…その辺にしておけ、ゆのが死んだ目をしている」

「ならばうぬが…」

「断ろう」

「ううむ…」




そう唸って碁石を片付ける男は、あからさまに落ち込んでいた

それをチラリと横目で見たゆのは少しだけ悩み…すぐ、床に転がるとらんぷという札に手を伸ばす


…この女は存外、面倒見がよいのかもしれない

















…女は極希に、謎のやる気を出す





『毛利さん、じゃーん!これは何でしょーか』

「っ…これは我も知っている。貴様、使えぬ頭ではないようだ」

『佐助には内緒にしといてくださいよ』

「無論」

「…何をしている」

『あ、石田君も食べる?季節の天ぷらー』




珍しく台所に立っているゆの。その隣にはこれまた珍しく毛利の姿

そして二人の前には…揚げられたばかりの天ぷらが、山のように盛られていた。いや、多すぎではないか




『なんか急に食べたくなって…石田君もない?突然、山盛りの天ぷらが食べたくなる時』

「ない。しかし貴様がこのように手間のかかる料理をするとはな」

『うん、半年に一度の謎のやる気。毛利さんも現代食に嫌気がさしてたみたいだし』

「あの猿め、我の口に合わぬ食事ばかり…」

「………………」



ゆのに飼われる私たちの中で、最も食事にうるさいのはあの毛利だった

猿飛がわざと私たちの口に合わない食事を作るのもあるが…なるほど、確かにこれは私たちにも分かる




『佐助の料理も美味しいんだけどなぁ…あんまり期待せず食べてね毛利さん』

「端から期待などしておらぬ」

『んんー、辛辣』





その後、山盛りだった天ぷらはほとんどゆのの腹の中に収まった

この女は大食らいらしい















「ゆのちゃん、今日はこっちにしときなよ」

『…なんで?』

「なんとなく!俺の勘って当たるんだよ、これで今日は男の視線を独り占めだね!」

『……そうかな』

「そうだよ!」

「前田、その辺にしておけ。猿がうるさいぞ」

「え、だってこっちの方がゆのちゃんの可愛さを引き立てて…」

「それを止めろと言っている」




朝一番、ゆのを鏡の前に座らせあれこれと着物をあてがう前田慶次

それにげんなり…いや、戸惑っているゆのは視線で助けを求めている気がした




『可愛くないってば…佐助以外、私にそんなの言う人いないよ』

「あ、じゃあ俺が二人目ってわけだね」

『…もっと若い子に言えばいいのに』

「大丈夫大丈夫!ゆのちゃんだって年齢の割に若く見え−…いってぇっ!!?」

「………………」





…ゆのは、存外年齢を気にしている

そして前田慶次は詰めが甘い


















『…よし、ちょっと出かけてくる。夕方までには帰るから』

「どこへ行く」

『お墓参り』

「あの木か、ならば私も…」

『ダメだって、佐助に石田君と二人で行くの禁止されてるし。また武将が降ってきちゃう』

「しかし…」

「おいおい石田!たまにはゆのも一人にしてやれよ、アンタが寂しいのも分かるけどな、はははっ!!」

「長曾我部…!私はそのような意味で言ったのではないっ!!」

『どうどう落ち着いて石田君。なんとかべ君も喧嘩しないの』

「長曾我部だっ!!」




女は、人の名前を覚えるのが苦手らしい。私たちの中では特に長曾我部の名を、今でも記憶に留められていない…いい気味だ

そしてそのゆのは、今から友の墓参りに行くらしい。そこは私たちの世との境にもなっている




「ま、石田は寂しがってるとして…ゆのは大丈夫か?もし俺らみたいな奴がいたら危ないだろ」

「寂しがってなどいないと言っているっ!!」

『平気だよ。石田君の時だって平気だったんだから』

「だが…」

『心配ないから、良い子でお留守番しててね』

「っ、な、何をするっ!!」

「へへっ、じゃあな、気をつけて行ってこいよっ」

『はーい』




家を出るその間際、ゆのは私と長曾我部の頭を撫で、去っていった

すぐにその手を払った私と、撫でやすいよう身を屈めた長曾我部。それはまるで、犬を扱う飼い主のようだ




「くっ…!」

「…変な奴だよな、ゆの。本気で俺らを飼ってるつもりか?」

「……違う」





ゆの本人に飼い主の自覚はない。ただあの女は、亡き友と私たちを重ねているだけだ

撫でられた頭をガシガシと掻く隣の男と私は、ゆのが未だ忘れられない友に似ているのだそうだ………色が




「…色、なぁ。そこで判断されるのも初めてだぜ」

「………………」

「…石田は満更でもないんだろ?」

「黙れ」

「へいへい、」




玄関から、部屋の奥へと戻っていく。その途中で見えた姿見には、ゆのの好む銀色の己が映り込んでいた

長曾我部の言う通り、これについて他人から口出しされたことも自ら意識したこともない




「だが、私は…」






己よりも美しい、銀色を知っている























「おや…ようやく人が現れたね、君も迷ったのかい?」

『……おお、』





あの木の下で、不思議な仮面の綺麗な白い落ち武者に出会いました






20151212.
半兵衛、参上


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