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「おや、目が覚めましたか」
そろそろ出勤の準備をしなくては、と毎朝の憂鬱に打ち勝ち体を起こすと、目の前には銀の長髪の男性がいた。あまり顔色がよくなく、一見死神に見えて悲鳴を上げかけたがそれが音になることはなかった。
「静かに。あまり騒ぐと困ります」
口を押さえられた拍子に再び布団へと押し倒されて身動きが取れなくなる。
「静かにできますか?」
動けない代わりに目で訴えると、彼は口角をゆるりと上に持ち上げた。
「良い子ですね」
口を塞いでいた手が離れ、ようやく自由になった体を再び起こす。
「貴女、名前はなんと言うのです?」
「…、」
なぜこんな怪しい男に名乗らなければならないのだ、と思う一方で、名前を言わないとまずいことがおきるような…そんな威圧感を感じた。
「話せないのですか?」
「…れん、です」
「そうですか、れん。ではれんはどうしてここにいるのですか?」
「え?」
どうして私がここにいるのか。
そんなものはこっちが聞きたい。
私は昨晩、確かに自分の部屋のベッドで寝たはずだ。にもかかわらず、今は布団で寝かされている。
「貴方が…誘拐したんじゃないんですか?」
誘拐犯相手にこんなこと言っていいのかと思ったが、いわずにはいられなかった。
それを聞いて目の前の男は一瞬だけ、驚いたような表情をしたがすぐに笑い始めた。
「面白いことを言いますね。あいにくですが、私は女に飢えたという理由で人攫いをしたことはありませんよ。これからもないつもりです」
「女に飢えた以外の理由なら攫うんですか…」
「ふふ、どうでしょう」
にこにことしている彼の心の底が見えない。
もし、彼の言うように本当に私のほうが彼の元へ来たのであれば、こんな平然とした態度はとらないだろう。怒るか困惑するか冷たい態度で私を問い詰めるはずだ。
だが、彼が私を誘拐したのだとしたら、その目的すらわからない。身代金目的ならば一般的な家に育った私よりももっと裕福な家を狙うだろうし、わいせつな行為をするにしてもいまだ何かされた気配もする気配もない。何より本人がそれを否定した。
「れんは、気がついたらここにいたんですよね?」
彼の問いかけにうなずく。
「でしょうね。何もないところからいきなり現れて降ってきたんですから。はじめは暗殺にきた忍かと思って斬り殺しそうになりましたよ」
「え?」
「斬らなくて正解でした。貴女は退屈しなさそうだ」
振ってきた?私が?
それに現代に似つかわしくない物騒な発言に聞き返せば、再びその物騒な発言を繰り返された。
現代に似つかわしくない、といえば彼の服装もそうだ。浴衣にも見える和服に身を包んでいる。部屋だってそう。板張りの床に、障子で区切られた部屋。時代劇に出てくるような印象がある。
「…あの、ここはどこなんですか?」
近所にこんな立派な和風のお屋敷はなかったはずだ。
この部屋だけでこんなにも広いのだからきっと大きな家なのだろう。
そう判断して聞けば、スケールはもっと大きなものだったようだ。
「ここは私の城ですよ」
「へ?城?」
「ええ、坂本城です。ご存じないですか?」
坂本城…といえば、琵琶湖の近くにあったといわれるお城だ。今は城自体は残っていないようだが、記念碑ぐらいは立っているのだろう。その坂本城のことだろうか。
だが、私の家はそこからずっと離れた場所にある。一晩で琵琶湖までつれてくるなんて不可能なはずだが。
「坂本城、って…明智光秀の…?」
「ええ。そうです」
「でも、坂本城は再建されてないはずじゃ…」
「再建?まだこの城は立ったばかりですが」
うすうす感じてはいたが、会話がややかみ合っていない。彼は「忍」とか「斬る」とか現代では空想の世界になってしまうようなことを平然と言っている。
常識が違う。
「…今って、何年ですか?」
「何年、とは?」
「西暦…はこの頃ないんだっけ…」
この時代のことを戦国時代などと呼び出したのは最近のことのはず。だとすればなんというのが手っ取り早いのか、必死に思考を巡らせる。
「…れんは南蛮の者なのですか?」
「え、南蛮?」
「着物が、私の見知っているものとは違っていたので」
その言葉に、自分がパジャマ姿なのを思い出した。
銀髪の彼に視線から逃れるように体を隠すと彼は、おやおや、と好奇の眼差しに晒された。
「なぜ隠すのです?」
「…だってパジャマですもん」
「ぱじゃま?」
「…寝巻き?のようなものです」
「ああ、では襦袢のようなものでしたか」
「襦袢のようなものはちゃんと中に着てるのでまたちょっと違うのですが…、まあそれで良いです」
改めて会話してみて、ますます疑いが強まった。
ここは戦国時代なのかもしれない。
襦袢なんて、現代ではよっぽどのことがなければ着ないだろう。着物や浴衣を着るときぐらいにしか。
それに、パジャマが通じない。
外来語なのだからこの時代の人には通じないだろう。
「あのぅ…」
「なんです?」
「明智光秀のいる時代なら、織田信長とか…伊達政宗とか…いるんですか?」
「ああ、いますね。各地に有名な武将がいますよ」
やっぱり!やっぱりいるんだ、武将が!
それにしても、と目の前の彼を見る。
ここが坂本城なのだというのなら、彼は明智軍に属しているのだろう。こんな派手な色の髪をした武将が果たしていただろうか。武田信玄なんかは歌舞伎の獅子のような真っ赤な兜が印象にあるが、明智で思い当たる者はいない。私の知る史実の戦国時代ではないとすれば、ここはどの戦国なのだろうか。無双?BASARA?花の慶次?戦国乙女…はさすがにないか。どれも詳しくはないから生きていけるか不安だ。
というか、私はこのままだと普通に牢へ放り込まれるか殺されるんじゃないか?あの明智光秀の城に、気がつかなかったとはいえ忍び込んでいるのだから。
「…ふふふ、本当に面白いですねれんは」
「えっ?」
表情がころころと変わってみていて飽きません、と笑われて、殺されるかもと思った緊張がほんの少し和らいだ。
「ああ、せっかくいい表情をしていたのに…」
…それは、私が困っていたり苦しんでいる表情が良かったといっているのだろうか。
思わず顔をしかめると、彼は良いいたずらが思いついたように声を発した。
「そうだ、良いことを教えましょうか?」
先ほどの発言のせいで疑心暗鬼になっている私にはそれが良いこととは思えないのだが、聞きたくないと断れるわけもないので続きを待った。
「私、明智光秀と申します」
「…え?あ、明智光秀!?」
つまりこの建物の中で一番の権力者であり、私の命を簡単に左右させることができる人物だ。そんな相手だったとは知らずに散々いろいろなことを言ってしまった。
悲鳴に近い叫び声をあげると、それを聞きつけたらしい人々によって外が騒がしくなった。
殿、何かありましたか!?と廊下をばたばたと走る音が聞こえて何人かの男たちが障子にシルエットになる。
「だから騒ぐな、といったのに…困った子ですね」
口元を緩めてこちらを見つめる彼に、私は何度目かの恐怖と懐疑心を抱いた。
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