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一週間の終わり。
私にとって金曜日は区切りの曜日だった。ごく普通のOLであるから土日は基本的に休みなのだ。
そう、今日は金曜日。
明日はゆっくり休める、と思いながら帰路につく。
「ただいま」
アパートで独り暮らしをしているのだから、おかえりという返事など返ってこないのについつい口に出してしまう。
部屋に一歩踏み出せば、ひやり、とした何かが首にあてられる。
「おかえり。突然で悪いんだけど、動かないでもらえるかな?」
疲れ切った頭を再びフル回転させて自分の置かれた状況を判断する。
背後から男の声がした。
どうやら空き巣に入られていたらしい。
きっと首には刃物があてられているのだろう。
恐怖はもちろんあった。
しかしそれよりも、疲労が勝ってしまった。
「すみません、私疲れてるんで座りたいんですけど」
しばらくの沈黙。
そして男は、ハァ?、とあきれたような声を上げた。
「置かれてる立場、わかってる?」
「わかってますよー」
そっと首の刃物に触れれば、背後の彼はしぶしぶとそれを降ろした。
居間に入り電気をつけ、振り返るとそこには迷彩柄の衣装に包まれた男が一人立っていた。
「…えっ、コスプレ?」
男の姿を見て思わず首をかしげた。
手に苦無を持ち、迷彩柄の装束に、明るい髪色。見覚えがある。
戦国BASARAシリーズの猿飛佐助というキャラクターそのものだ。
「アンタ、何者?」
気が付けば彼の手の苦無の数が増えている。
警戒されているのか、と客観的に思った。
「そんなことより、靴脱いできてくれませんか?家の中が汚れます」
不審人物に私の情報をそう簡単に話すつもりはない。あやしすぎる。
どうにかごまかすために話を逸らせば、彼は一瞬だけきょとんとした。
「家?…ああ、ここアンタの家なのか」
悪いね、と言った瞬間には既に履物が消えていた。
ああ、忍術か、と納得しそうになった自分に頭を押さえた。
これは夢なのだろうか。夢なら放っておけばいいが、私はまだ寝た記憶がない。
現実だとしたら、コスプレ男に家に不法侵入され刃物で脅されマジックを披露されるという奇妙な体験をしていることになる。
「夢?」
「夢なら俺様も困ってないんだけどねー?」
コスプレ男を見れば、口元だけがゆるりと弧を描いているが目は笑ってなかった。
”お前が俺になにかしたんだろう”と、そういわれているような視線を全身に感じた。
「夢じゃない?じゃあ今のは手品?なんで人の家に勝手に入ってまで手品を?」
首をかしげると、向こうも首をかしげた。
「アンタが俺様を連れてきたんじゃないの?」
「何のために?」
「何のため、って…」
とぼけるな、と鋭い視線が訴えてくる。
武器こそ突きつけられてはいないが、視線と重くのしかかるプレッシャーのようなものに押しつぶされるような感覚がある。これが殺気というものなのだろうか。
「なんで私が男の人を攫わなきゃならないの?」
目の前の男の話から察すれば、きっと気が付いたらこの部屋にいたという事だろう。そうでなければ「アンタが連れてきた」なんて言葉は出ないはずだ。
私が朝、仕事のために家を出たときは私のほかに誰もいなかった。という事は私が家を出た後に侵入したか、拉致られたか…。
なんだか、だんだん嫌な予感がしてきた。
私は夢見る乙女といった歳でも、あこがれる歳でもない。
ましてや、アニメや漫画のキャラに盲目的に恋をして現実に触れあいたいなんて幻想は既に抱かなくなっている。ネタでそう思ったりとかそういうネタを受け入れることはあっても、現実的にそう思ったことは一度もない。
なぜなら、しょせんはアニメ、漫画の世界なのだから。
しかし。
ならば、この目の前の男は誰だ。
声もしぐさも容姿も性格も人間離れした技も、すべて覚えがある。しぐさや容姿ならまだしも、声や忍の技なんてものはなかなかマネできないだろう。
【トリップ】
まさかとは思ったが、そんなこと絶対にあるはずがないのだが、疑わざるを得なくなった。
「…猿飛、佐助…?」
思考を巡らせているうちに思わず口にしてしまったその名前。それを聞いた途端に彼は私を拘束していた。
目にもとまらぬ早業、なんていうがまさにその通りで、瞬きひとつの間に私は押し倒されて両腕を掴まれ首元に苦無をあてがわれていた。
「なんでその名前、知ってるのかねぇ?」
頭上から声がする。
「もう一度だけ聞くけど、アンタ何者?」
目の前からも声がしている。
ああ、二人いるのか。
分身しているのだと理解すると同時にやはりトリップの類であると理解した。
こうなった以上、個人情報がどうとか言っていられない。
忍の読心術を信じて、素直に話そうと覚悟を決めた。
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