ああ、やっぱり世界はそんなものだ。
どんなにうまく生きても、たった1回の些細なことで、いとも簡単にくずれていく。
この手首の傷に誰も気づかないように、私は相手の心なんてわかるはずがない。
嘘という名のろうで塗り固められた、相手の心なんて。
私がもしもポケモンなら、そのろうを溶かして世界をくずさずにいれただろうか。






「君、こんなところに何しに来たんだい?」



スリバチ山へ入ろうとすると、後ろから呼び止められた。
でも私はその言葉の対象が自分ではないと思い、そのままスリバチ山へ入っていった。



「待って」



強い力で肩をつかまれた。
私に向かって話していたんだ、と気づき、後ろを振り返る。
そこには、エンジュジムのジムリーダー、マツバさんが立っていた。
怒っているような、焦っているような、複雑な表情で私を見ている。



「…何かご用ですか?」



私はジムリーダーということでこの人を知っているけど、話したことも会ったこともないこの人が、引っ越してきたばかりの私を知っているはずがない。



「こんな夜遅くに、何しに来たんだい?」

「何って……」



言えるわけがない。
死にに来ました、なんて。
だからこんな夜遅くに家を抜け出してきたというのに。



「…ジムリーダーさんには全く関係ないことですよ」



そう言って笑った。
ほっといて、心の中で叫んで。



「……っ
帰ろう、送るよ」



私の手をぎゅっと握り、足早にエンジュへと歩く。
私は慌てて制止の言葉をかけた。



「ちょっ、離してください!
大丈夫ですって!
1人で帰れます!」



帰るつもりなんてない。
この人と別れたら山へUターンするつもりだ。
私はもう決めたんだ。
こんな世界に未練はない。
それなのに、マツバさんはスタスタ歩いていく。
私は思いきって手を振りはらった。
マツバさんが振りむく前に山へダッシュ。
この暗闇。
一度見失えば見つからないだろう。
でもそうはいかなかった。

ポン!と後ろで音がしたかと思えば、黒いものが私の目の前へすべるように通せんぼしてきた。
でもそれに反応できず。



「わっ!」



蹴りとばしてしまった。
…と思った。
でもそれは足をすり抜けて、びっくりして転んだ。
ズキ、と膝が痛んだけど、構わず走りだす。
後ろで追いかけてくる音がしたから。
もう後には引けない。
捕まったらなんて言い訳していいかわからない。
するとまた、黒いものが通せんぼしてきた。
今度は少し距離を置いて。



「ゲンガー!
黒いまなざし!」

「!」



黒いものの瞳が赤く輝き、私はそれを見てしまった。
足が動かない。
赤く光る瞳から視線が離せない。
マツバさんの声が響く。



「催眠術!」



私の意識は、そこで途切れた。



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