ピリオド

  • since 12/06/19
 快晴が広がっている。レースカーテン越しに麗らかな日差しが室内を明るく照らす。昨日まで、土砂降りの雨が続いていたというのに、久しぶりの晴れ間だった。式日和で良かったと、呑気に、安堵をした朝が、遠い昔のようだ。実際にはたった数時間前のことだというのに。
 重く、息を吐き出す。
 式場スタッフと、家族が慌ただしく話し合っているのが画面越しのワンシーンのように思えた。よくある、恋愛ドラマだ。サンダルフォンに当てはめられる役柄は、ヒロインではないようだった。
 サンダルフォンは静かに、鏡台の前に座り、じっと鏡を見る。鏡に映る、セットアップされた髪も、施された化粧も、真っ白なウエディングドレスも、何もかもが、色あせて見えてしまう。
 真っ白なウエディングドレスは、何度も試着を重ねて、シンプルなものにした。肌を見せるのが昔から苦手で、長袖デザインのウエディングドレスに出会ったときは、運命のように思えた。繊細なレースの長袖に、似合わないだろうかと不安になりながら、それでも、特別な日だからと、自分に言い訳のようにして、選んだウエディングドレスも、式を行わないのなら、相手がいないのなら、花嫁のコスプレにしかならない。痛々しいなと、鏡越しの自分を見る。
 夫となるはずだった男は、付き合って三年になる男は、この土壇場になって二股をしていたことが分かった挙句に、相手が孕んだからと言って、当日になって、逃げたのだ。電話も通じないし、相手側の親族も状況を把握できていない。幸いなことは、相手側の両親が常識人だったことだろう。顔を青褪めさせて今にも倒れそうなほどだ。そんな姿を見ていると、男への怒りも湧かず、呆れるしかない。いい年をして、式のキャンセルや、来客対応も何もかもを全て投げ出した幼稚な男。
 本来の段取りでは、既に式は始まっていて、神父の前で指輪の交換をしている頃合いだったはずだ。自分の指を見て、重い息を吐き出してしまう。

「綺麗だね」

 ぼんやりとしていた所を、声を掛けられて、はっと顔を上げる。鏡越しの、背後に、声を失う程の美丈夫が佇んでいた。日差しが反射して、きらきらと輝くような白銀の髪も、上等な宝石のような青い眼も、作り物めいた美しさで、生きているのだろうかと疑ってしまう。オカルトなんて、信じていないのに、不安になる。振り向いたサンダルフォンは、そこに、男が確かに存在していることに、ほっと胸を撫で下ろした。
 サンダルフォンが、あまりに驚いた顔をしていたからか、男は、安心させるように、落ち着かせるように笑みを浮かべている。その、笑みというには些細な変化だったが、サンダルフォンには彼が笑っているように思えた。

「……浮かない顔をしているね。結婚が、不安なのかい?」
「不安も、何もありませんよ。なくなりましたから」

 男は目を丸くして、それから我が事のように、不快そうな顔をする。無関係だからか、初対面だからか、ぽつぽつと理由を口にしていた。家族や、スタッフに、花婿に逃げられた憐れな花嫁と思われるのが悔しくて、意地を張って、強がったけれど、サンダルフォンだって、結婚に憧れていた。ウディングドレスに、夢を見ていた。

「相手に逃げられたんですよ。それから、二股を掛けられていて、俺は捨てられた」

 あ、俺って言ってしまった。しまったなと思う。成人をして、結婚を控えていた女が自棄になったとはいえ長らく封じていた一人称が、つい、零れてしまった。子どものころから、男の子になりたいわけでも、男の子に憧れていたわけでもなく、当然のように口にしていた、癖になっていた一人称は直したつもりだったのに。男は眉をひそめることまく、特に、気にした素振りをみせないから、訂正する間もなく、流されてしまった。

「そう、だったのか」
「こんな、作り話みたいなことって、本当にあるんですね。まさか、当事者になるとは思わなかったけど。ここまでくると、なんだか笑えてくるでしょう?」

 男が、困った顔をするので、サンダルフォンはすっかり自暴自棄になりかけて、暴走していた頭が冷静さを取り戻す。初対面だからといって、何を言っているのだろう。こんな事情を説明されても、困るしかないだろうに。途端に、申しわけなくなる。けれど、男が同情とはいえ、サンダルフォンに寄り添うから、サンダルフォンもまあいいかと思ってしまうのだ。どうせ、もう二度とあうことはないのだからと割り切ってしまう。

「ひどい、男もいるものだね」
「ええ、ひどい男ですよね。でも、結婚をする前で、良かったのかもしれない。うん。もう、良い。もう、夢を見れたから。俺が見るには、似合わない、あまりにも可愛すぎる夢だったから。あとは覚めるだけです。あー……でも、来客対応が面倒だな、会社の人も呼んでるし」

 出社をしたら、良い笑いものだ。特別に仲の良い友人だけでなく、付き合いとして招待をした人にとっては、良い話のネタになってしまうだろう。そう思うと、ずっしりと、気が重くなる。自覚している、無駄に高い自尊心は、笑いものにされることに、慣れていない。

「…………どうか、しましたか?」

 話を終えたつもりだったのに、男はいつまで経っても、部屋から出て行こうとしない。そもそも、関係者以外立ち入り禁止のはずな部屋にいる時点でおかしいのだが。男はどう見たって、式場スタッフではない。式場スタッフにしては、あまりにも、主役である花嫁花婿の立場を喰ってしまう。

「お客様への、説明をしてくるわね」

 話し合いを終えた母親がサンダルフォンに声を掛ける。わかったと、返事をしかけたサンダルフォンの言葉を、男が遮った。

「いや、式は行う」
「なにを」「私と、結婚すればいい」

 本当に、何を言っているのだろう。冗談を言うような男には思えなかったが、ふざけているのなら、今は遠慮してほしい。馬鹿にしているのか。冷静なサンダルフォンなら、男の言葉を一蹴するのに、どこか、まだ、自棄になっていた。サンダルフォンは、呆れも怒りもなく、笑ってしまった。アイツが好き勝手をしたのだから、俺も好き勝手をしてやろう。子どもみたいな張り合いかただ。まったく、らしくない。

「うん、母さん。俺、この人と結婚するから、式はこのままする」
「結婚するって、サンダルフォン」
「いいから。スタッフさん、そういうことで、お願いします」
「え、あの」
「ああ、そっか。服はどうしよう。流石にこのままじゃまずいかな」
「ご用意はできますが」
「なら、お願いします」

 てきぱきと進める娘の姿に、母は言葉を失い、提案者である男を見る。男は、スタッフに連れられて着替えに行くようだった。男と、スタッフがいなくなると、部屋が、がらんと静かになる。

「……あんな奴よりも、格好いい人ね」
「だろ?」

 母親の言葉に、サンダルフォンはくすくすと笑ってしまう。



 ヴァージンロードを歩く。BGMは流行りの音楽ではなく、チャペルの雰囲気に合わせたクラシックだ。厳格な父親が初めて不安そうな顔を見せたから、サンダルフォンは大丈夫だと言い聞かせた。それでも、父親の顔色は晴れない。両サイドの参列者が、こそこそと話し合っている。そりゃそうだろうなと、サンダルフォンも思う。特に、失踪をした元恋人の関係者にとっては赤の他人の結婚式なのだから、わけもわからないだろう。
 父親から、会ったばかりの、新郎に、引き渡される。
 レースのベール越しに見上げる男は、緊張をした素振りはない。サンダルフォンにも、緊張はなかった。不審がる視線にも、囁き声にも、焦りも不安も生まれない。
 男の腕をとる。
 そういえばと、今更になって、この場所に立って、知らなかったことに気付く。

「あなたの名前を聞いてなかった」
「ルシフェルだよ」

 口に、馴染みやすい名前だなと、思った。

「ルシフェル、さん」
「うん? なにかな」
「お人好しすぎないか?」
「……はじめて言われた」

 ルシフェルが、心底、驚いたように言うから、サンダルフォンは吹き出しそうになるのを耐えるのに、必死になってしまう。これで、お人好しでないなら、なんだと言うのだろう。態々、時間を割いて、見知らぬ人間に取り囲まれて式を行うなんて、普通の人間ならば、しないことだ。

「はじめて会った人間と結婚式なんて、ありえないだろ。まあ、付き合ってもらっておいて、いうことでもないけど」
「そうだね、きみではなければ、私も此処にいなかったと思うよ」
「なんだ、それ」



 思わず、笑ってしまったから、ルシフェルがどんな顔をしていたのかなんて、サンダルフォンには分からなかった。結婚をするといっても、式だけの盛大な茶番だとしか、サンダルフォンは思っていなかった。招待客へは、後日、離婚をしたとでも言えば良い。親しい友人にだけ、本当のことを伝えておこうとだけ思っていた。提案者であるルシフェルも、そのつもりだと思っていた。だから、誓いのキスを、本当にされるなんて思っていなかった。だから、控室で、いつのまに入手したのか、結婚届を書かされるなんて、夢にも思っちゃいなかったのである。

2018/12/29
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