ピリオド

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 ルシフェルは、定期報告のため研究所に帰還をした。サンダルフォンは、ルシフェルの帰還を知らされていなかった。だから、部屋の扉がノックされて、声を掛けられて、目を丸くして、慌てて居住まいをただした。それから、嬉しさを隠すことなく、ルシフェルを出迎えて、
「お帰りなさいませ」
 言われたルシフェルは、強張った顔を綻ばせる。些細な変化。自身すら気づかぬ無意識。
「中庭に出ようか」
 そう言ったルシフェルに、サンダルフォンは追従した。
 長い回廊を抜ける。ルシフェルを目にした天司が、頭を下げる。遠巻きに、星の民が視線を向ける。ルシフェルにとってありふれた光景を、サンダルフォンは、その背中から、寂しく、見つめる。
 二人分の足音が響いて、とけていく。
 どこもかしこも、無機質な研究所内とは対照的に、中庭だけは唯一といっていいほど、色鮮やかで、生命力に、溢れている。静かであることに変わりはないものの、寂しいほどの研究所とは異なり、心が落ち着く静寂に包まれている。
 麗らかな日差しの下。サンダルフォンが淹れた珈琲を口にする。美味しいよ。ルシフェルが言うと、不安そうな顔から、安堵したようにはにかむ。前回と、淹れ方を少し変えたのかい? サンダルフォンはぱっと顔を輝かせた。あどけない表情に、心が安らぐ。
「珈琲を淹れるのが上手になったね」
「そんなこと、ないです」
 サンダルフォンは照れを隠すように、否定する。その時、サンダルフォンの視界に入った回廊を、見知らぬ天司が歩いていた。堂々と、自身の役割に誇りをもつ、天司。サンダルフォンよりも後に産まれた、天司。焦燥に、駆られる。口にしていた。
「俺の役割は、いつ、与えられるのでしょうか」
「すまない、私には……」
「いえ、ルシフェルさまを責めているわけではなくて、ただ……」
 役割がない俺に、意味はあるのでしょうか。言いかけた言葉をつぐむ。幸いというべきか、ルシフェルが追求することはなく、ただ、申しわけない顔をするばかり。息苦しくなる。
 白磁のカップの底が、見え始めていることに気付いた。
「御代わりをいれましょうか?」
「いや、これから友に会いにいかなければならないから。サンダルフォン、あまり思い詰めてはいけないよ。きみには、きみの役割が、必ずあるのだから」
 そうでしょうか。浮かんだ不安をおさえて、頷いた。その姿に、胸を撫で下ろしたように、不安がぬぐえたように、ルシフェルは中庭を去ってしまう。天司長ではない。ルシフェルという個に、ひた向きな姿は、心安らいだ。サンダルフォンだけが、ルシフェルを求める。進化を、変化を司る役割でありながら、「永遠」を望んでしまう。サンダルフォンの変化を、おそれてしまう。サンダルフォンが、永遠に、隣にいてくれたらなら、この時間が、続けば──……。役割を求めるサンダルフォンに、決して言葉にする事の出来ない願いが、ルシフェルの胸の奥底、脳裡をちらりとよぎる。

 後姿を見送って、サンダルフォンは息を吐きだし、ずるずるとだらしなく、椅子の背もたれにもたれかかる。
 ルシフェル様は、知らない。それが、羨ましい、恨めしい、憎らしい。
 何気なく、褒めたのだと分かっている。思ったことを口にしたに過ぎない。本心から、思ってくださったのだと、分かっている。
 珈琲は好きだ。ルシフェルが、サンダルフォンに与えたものだから。最初は、ルシフェルと共有したいから、珈琲を飲むようになった。泥水のように、渋くてまずくて、とても飲めたものではなかったものが、舌に馴染み、酸味と苦味が心地よくなった。
 時間があるたびに、珈琲を淹れるようになった。蒸らす時間を変えてみたり、お湯の温度を変えてみたりと試行錯誤をした。だって、サンダルフォンには時間だけはあったから。珈琲を淹れる以外に、出来ることがなかったから。
 気に掛けられている。畏れ多いことだ。だというのに、ルシフェルを慕う気持ちが募れば募るほどに、サンダルフォンは欲深になる。強欲になる。醜い感情がうまれる。こんな感情を、知られたくない、見られたくないと、隠せば隠すほど、罪悪に苛まれ、おぞましいものになっていく。
 サンダルフォンは役割が欲しい。ルシフェルの役に立ちたい。そのために、役割が欲しい。

「やあ、サンディ」
「俺のことを、言っているのか?」
「ああ、そうだよ。気に入ったかい?」
「…………悪いが、わからない」
 ふっと、鼻で笑った男に、見覚えはない。にたにたと、先ほどまでルシフェルが座っていた場所に、頬杖をついて座っている。星の民ではないことは分かる。彼らが、サンダルフォンに話しかけることは無い。だから、同族。天司なのだろうと思うのだが、サンダルフォンの知る天司とは異なる雰囲気に、戸惑う。胡散臭い、というのだろうか。短い黒髪をつんつんと逆立てる赤目の男。
「きみは、」
「俺のことは気になるのかい? だが今は良いじゃないか、なあサンディ」
 ねっとりとした口調に、サンダルフォンは、眉をひそめる。神経を逆撫でられて、不愉快になる。サンダルフォンの様子に、気付いていながら、気遣うことなく、改めるつもりもなく、男は口を開いた。
「天司長もずいぶんと非道い」
「非道い? あの方は何時だって御優しく、慈悲深い」
「慈悲深いだって?」
 げらげらと、背を丸めて、机に突っ伏して笑う男に、サンダルフォンは戸惑いを隠せない。ルシフェルを愚弄された腹立たしさよりも、笑いだした男に言い知れぬ不気味さを抱いた。ひいひいと笑いながら、眦に浮かんだ涙を拭った男が、
「慈悲深いなら、どうしてきみはいつまでも役割が与えられないんだ」
「そ、れは、まだ……その時ではないから、あの方も、知らされていないから」
「なんだい、それは? 天司長であるなら、知っていて当然だろう?」
 何も、言い返すことなく、サンダルフォンは唇を噛む。サンダルフォンも、薄々と思っていた。本当は、ルシフェルはサンダルフォンの役割を知っているのではないか、と。知っていながら、黙っているのではないかと。思っていた。考えることが、あった。そんなまさかと、言い切ることができない。否定することが、出来ない。
 中庭で、ルシフェル以外とすれ違う事は無かった。ルシフェルが取り計らっていたのか、研究員たちが遠慮をしていたのか、近付いてくるものは無かった。男は悠々とそんな、暗黙のルールを破ってサンダルフォンに囁く。
「今からでも遅くないさ、天司長を追いかければいい。次は何時来るのか、わからないだろう?」
 サンダルフォンには、ルシフェルの帰還スケジュールを、定期報告があることを、知らされていない。男の言葉に、サンダルフォンは、迷いながら、立ち上がる。顔を上げれば、誰もいなかった。サンダルフォンの、妄想にしては、いやに現実味がある。けれど、この際だから、尋ねよう。知らないのであれば、仕方のない事だ。
 サンダルフォンは、ルシフェルの後を追いかける。その姿を、男が見て笑った。

「スペア」
「不用品」
「廃棄」
「愛玩」
 聞いてしまった言葉が、耳から離れない。聞こえてしまった呪詛が、頭の中で、繰り返される。スペアとしてつくられたことが、不用品だと、片付けられることが、廃棄か愛玩かという選択肢が、ショックだったのではない。その場にいた、ルシフェルが、何一つとして、否定をしなかったことが、サンダルフォンには、耐えられなかった。
 頭が、痛い。割れるように、ずきずきと痛む。吐き気がする。臓腑が腐っていくように重い。何もかも、気持ち悪い。空の蒼さも、珈琲の香りも、何もかもが不愉快でたまらない。自分が自分でなくなる。俺は、空が好きだったろうか。珈琲が、好きだったのだろうか。あの人を追いかけて、自分を、騙し続けていただけに、すぎないのではないのか。
「憎いだろう?」
「ちがう、おれは」
「違わないさ。サンディ、君には権利がある。きみは憎んでいい、だってそうだろう?」
 それは、甘い囁きだった。墜ちてこいと、囁く声が、耳に心地よい。だめだ、まだ、間に合う。いけないことだ。ルシフェル様に、迷惑を掛ける。墜ちてはいけないと、理性が訴える。もう一人、本能が吠える。だからなんだというのだと。あの人は、俺を見捨てたじゃないか!
 見捨てたなんて、烏滸がましい。
 あの人にとって、俺は、愛玩にも劣る存在だった。ただの「暇つぶし」だった。
 サンダルフォンと言う存在は、天司長には、ルシフェルには不要だなんて、今更なこと。
 くつくつと、自分の道化さに笑ってしまう。さぞ、滑稽な姿だったのだろうと、彼の悪趣味に笑ってしまう。それに気づくことのなかった自分の、間抜けさ!
「気分はどうだい?」
「……悪くは無い」
「そうか、よく似合っているよ」
 ベリアルという男は信頼できない。信用してはならない。サンダルフォンのことを、憐れんで声を掛けたのではない。同情したから、親身になったのではない。彼にとって利用しやすい駒に、たまたまサンダルフォンがあてはまっただけ。それも、もう、どうでもいいこと。
 あの人によって、天司長によって、ルシフェルによって造られたものを捨てる。
 濁り、よどみ、黒く染まる。

 各地で起こった星晶獣たちの叛乱。ルシフェルは天司長として、進化を司る役割の天司として、叛乱を制圧しながら、違和を覚えていた。叛乱をおこした星晶獣たちは、お世辞にも知能が高いものは多くない。それが、ぽつり、ぽつりと各地で、見計らったように叛乱を起こしている。誰か、指示を出しているのでは、糸を引くものがいるのではないか──。
「天司長! 研究所にお戻りください!」
 役割故に、研究所で待機をしていた天司。命というべき象徴の羽は無残に、肉体の損傷も激しい。ただ事ではないことは彼の姿を見て察した。四大天司に各地への対応を命じたルシフェルは、研究所へ帰還する。研究所が狙われることは予測できていた、そのために、最大の防衛をした。だが、彼の天司の姿をみるにあたり、突破をされたようだった。星の民の安否と、そして──サンダルフォンが気がかりだった。
 目にしたのは、瓦礫の山となった、かつて、研究所であった施設。星の民の安否も、制圧も、抜け落ちて、瓦礫の山に腰掛ける影に、目を据える。
「サンダルフォン?」
 そんなわけがない。
 名前を呼んでおきながら、否定をされたいと、願う。
 ゆるりと、顔を上げた目が、ルシフェルをとらえる。嫌な気配がした。とん、と瓦礫から軽やかに飛び降りた。こつりと、高い踵が鳴る。一歩、一歩とルシフェルに迫る。光にあたると、赤みが加わる黒髪は、やわらかな癖を持つ。同色のまつ毛で縁どられている、夕陽の色。すべて、ルシフェルが自ずから、定めて、造り上げた彼に違いない。
「あなたが、俺を選んでくれたなら、」
 サンダルフォンの、ぞっとする、冷たい手が、ルシフェルの頬に添えられる。温もりの消え失せた、つくりもののような、冷たさ。
「貴方が、俺を必要だと、言ってくれたなら、」
 赤い眼がうつろに、ルシフェルを見上げる。悲しんでいるのか、憎悪に駆られているのかも、判別できないほどに、濁り切った目。
「俺は、あなたのもとにいたかった」
 サンダルフォンは、笑おうとしたのか、泣こうとしたのか、寂しい顔で苦しげに、楽しそうに、つぶやいた。ルシフェルに向けての、願い。サンダルフォンにとって、抱いた理想。
「さようなら。天司長」
 伸ばしかけた手が、空を切る。
 黒い羽根が舞い落ちる。

 ルシフェルは、永遠を失う。
 ルシフェルの抱いた安寧は、失われた。

2018/11/24
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