ピリオド

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 ずきずきと痛む下腹部に、痛みには、耐性があったはずなのに、耐えきれずサンダルフォンは冷や汗をたらしながら蹲る。しゃがみこむこともできず、ぺたりと足をつけて体を丸めた。
 星の民も利用する、研究棟を繋ぐ吹き抜けの通路。白い壁と床の合間からのぞく、陽気な日差しがじりじりと背中を焦がす。幸いなことに、今の時間帯は、研究や会議が立て込んでいるのか人がいない。眠りから目覚めたときから、違和感のあった下腹部は、とても、我慢できるものではなくなっていた。小首を傾げて、誰か研究者に報告しようとして、躊躇ったのは、いつまでたっても役割がなく一日何をするでもないサンダルフォンを見る彼らの眼を思い出してしまったからだ。冷たい視線は、サンダルフォンがなぜ生きているのだろうと暗に告げる。自覚はある。造られ、目覚めて以来、求める役割はいっこうに与えられない。
 サンダルフォンは鈍痛のする下腹部を抱えてふうふうと浅い呼吸を繰り返す。実験と称した拷問紛いの試験に耐えることができたのに、この、初めての痛みに耐えきれない。
「なにをしている」
 冷たい声に、何か、返さなければと思うのに、声が出ない。常のサンダルフォンは、怯えていても、どれだけ嫌味を言われても、礼儀として、無視なんてことはしない。そんな無礼な態度をとれば、たちまち、ルシフェルの顔に泥を塗ることになると、分かっているからだ。訝しみながらも、研究者としての探求心が首をもたげるのか、わざわざ腰をおろし、サンダルフォンの冷や汗をかいた顔を覗き込む。
 白い回廊に、黒い塊と、白い塊が二つ。奇妙な光景を、指摘する人間は生憎と暫くは通りそうにない。
「……今日は、どこの班からも実験要請は無かったはずだが」
 返事をすることが出来ないサンダルフォンは、首を僅かに振り、否定をする。はくはくと短い呼吸を繰り返しながら、どうにか状況を伝えようとする。丸めた背中は焼けるように熱いというのに、冷たい汗が止まらない。
「腹が痛い?」
 訝しむ、不可解さを隠しきれない声。サンダルフォンは涙でにじむ視界で、縋るように頷く。研究者。苦手な男だ。敬愛するルシフェルとほとんど同じ顔、同じ声をしているのに、見定めるような視線は冷たく、声には温度の欠片もない。けれど、今は、そんな男でも縋りたい。星晶獣についての知識がある、研究者の一人であるこの男なら、この不調も治るのではないかと、無垢なサンダルフォンのささやかな希望。
「その程度のことで……」
 呆れたような声。ようなではなく、事実、男は呆れていた。腹痛で泣くだなんて、蹲るだなんて子どものようだと、呆れている。サンダルフォンとて、腹痛如きで蹲るような自分が情けなく、恥ずかしさでいっぱいだ。身を隠したい。その思いで、精一杯に体を縮こめようとしたサンダルフォンは、身を捩り、ぬちゅりと下肢の違和感に気付いた。濡れている、らしい。それでいて、鉄臭い。そんな、まさか。サンダルフォンの様子に、ルシファーは気付いたそぶりはない。基より、人の機敏には疎い……どころか、気に掛けることのない男だ。今だって、サンダルフォンを心配しているのではない。初めて見る状態に気を取られている。
「俺が見てやろうか」
 ルシファーが立ち上がりついでといわんばかりに、サンダルフォンの腕を取る。ひっ。短い、サンダルフォンの悲鳴と、それから顔をしかめるルシファー。サンダルフォンはその視線から逃れるように、視線を床に落として、さきほどまで自身が蹲っていた場所に僅かな、赤いものが落ちていることに気付いた。見たことがない、なんて言うつもりは無い。血液だと、すぐにわかる。それも、どこから垂れているのか。黒いパンツに覆われているとはいえ、そこは確かに濡れていた。
「俺、壊れて、しまったんですか……」
 絶望に、青く染まる顔をルシファーが笑う。どこまで、人でなしなのだと思う反面、いつまでたっても役割が与えられない状況での、
「いや、安心しろ。お前は、壊れていない。それどころか……」
 その先を、サンダルフォンは聞き取れなかった。機嫌の良いルシファーが、歩けない程に衰弱しきったサンダルフォンを軽々と抱えてみせる。横抱きに、すぐそばの顔に、サンダルフォンは戸惑う。虚弱な印象を抱いていたルシファーといえども、十代半ば程度の少女を模したサンダルフォンを抱えるくらいは、容易いようだった。
「よごれて、しまいます」
「どうせ捨てればいい」
 捨てる。言葉を失う。呆気なく、その程度と斬り捨てられる。おそろしい、男だと、一瞬感じた優しさも忘れてしまう。こつりと足を動かしたルシファーに、サンダルフォンは汚れた床はどうなるのだろうと不安になるが、今は動くこともままならない。こつりと研究室に向かっているらしいルシファーに身を委ねるしかなかった。
「あの、ルシファーさま」
 見知らぬ部屋に連れ込まれたサンダルフォンは、四方を埋め尽くす本棚にみっちりと詰められた書籍と、床一面に散りばめられた書類に圧倒されながら、不安に、ルシファーを見る。ルシファーは、穏やかに、笑みを浮かべていた。はたとすれば、ルシフェルかと錯覚してしまうほどだった。驚きで、痛みを忘れてその顔を見ていた。視線に気付いたルシファーがどうしたと声を掛けるまで。
「珈琲を好むらしいが、今の状態ではよいとは言えないな」
「そう、なのですか……?」
「ああ。俺も専門分野ではないが、な」
「本当に、俺は、壊れてないんですか? 役割は、与えられますか? あの御方の、役に立てますか?」
 矢継早の質問にルシファーはくつりと笑いを零す。
「ああ。その点については安心しろ。お前は壊れていないし、役割もある」
 ほっと。胸を撫で下ろしたサンダルフォンは、ルシファーが用意した香りの強いハーブティーを、警戒することなく口にした。ハーブティーとは名ばかりの、強い香りづけのされた飲み物の中身は、強い痛みどめと睡眠導入剤だ。サンダルフォンは重くなる瞼に逆らうことなく、寝台の上で無垢な寝顔を晒している。青白いのは、痛みからではなく、貧血状態にあるからだろう。女性体についてのぼんやりとした知識とはいえ、当人よりも知識がある。だからこそ、おかしくて仕方ない。
 眠るサンダルフォンの横に腰掛ける。スプリングが軋む。サンダルフォンは、深い眠りについているようで、反応はない。青白い顔にかかる髪を払う。何も知らない、わかっていない。だというのに、その肉体は確かな「進化」をしている。「成長」をしている。
「喜べ、サンダルフォン。お前にも、役割ができたぞ」
 不用品と、破棄する予定だった。愛玩でもかまわないと、選択肢は与えるつもりではあったものの、これを溺愛するルシフェルが選ぶとは思えない。まさかこの土壇場で覆されるとは思わなかった。自分の予想を、良い意味で裏切ったサンダルフォンに、ルシファーはこれからの実験が、研究が楽しみでしかたないと、浮き立つ気持ちを抑えきれない。
「早速、宛がう相手を見繕わなければ」
 それは、動物同士の掛け合いの末、優秀なサラブレッドをのぞむブリーダーの喜びとなんら変わらない。
「一番期待できるのはルシフェルだが……。いや、まずは……で試して……」
 ぶつぶつと、湯水のように湧き上がるアイディアをまとめるように、口にする。無垢で無知なサンダルフォンは、自分の行く末も知らず、ただ気まぐれのようなルシファーの優しさを勘違いして、すっかり心を許し、寝顔を晒していた。

2018/11/10
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