ピリオド

  • since 12/06/19
「愛してる」
 突然だった。口を開いたと思えば、前後の言葉がない。耳から入った言葉を、脳が理解するのに時間が掛かった。理解すれば、現状に似つかわしくない告白だと気付いた。太陽は燦々と高く昇り、汗ばみながら、次の島に移動するため、団員たちと共に慌ただしく、甲板から船内に荷物を運んでいた。周囲には彼の言葉が聞こえていなかったらしく、あの荷物は何処だこの荷物は何処に運ぶのかと声が飛び交う。だから、もしかして聞き間違いだろうかと思いながら、期待しながら、問いかけた。
「誰を?」
 言葉は濁された。視線の先を辿る。蒼い眼の見つめる先。納得した。羨ましいと思った。けれど、仕方ないとも納得した。
「そうですか」
 それ以上の言葉が思い浮かばない。保存食の入った木箱を運びながら、応援してますとでも言えば良かったのだろうかと思いつくも、自嘲する。白々しい、嘘。納得しても、仕方ないと思っても、身の内に焼け付いた二千年の執心は、頑固で、削ぐことも見て見ぬふりをすることも、出来そうになかった。
 俺の心を乱したことも気に留めないように、彼は団員たちと共に次々に木箱を運んでいる。
 彼が何をおもって俺に告げたのか、分からなかった。協力をしてほしい、という風でもなかった。ただ宣言をしただけのように思えた。俺が、特異点のことを慕っていると思ったのだろうか、牽制だったのだろうかと首筋を伝う汗をぬぐいながら考える。
 以前から、気にかけていることに気付いていた。気付いていて、知らぬふりをしていた。空の世界において彼が気に掛けるなんて、ただ一人。空の世界の進化を司る彼が介入するなんて、ただ一人。なんて、うらやましい。
「ねえ、サンダルフォンになにかした?」
「……いや、何も?」
「そう? なら、何か用事でもあった?」
「特にないが」
「ええ……。なんなの……」
 視線に我慢できないとでもいうような特異点は首を傾げながら、困ったみたいな、苦いものを噛んだみたいな、そのどちらも混ぜ合わせたみたいな複雑な表情を浮かべている。
「団長、ちょっと来てくれー!!」
「今行く!! なにかあったら声かけてね」
 呼び掛けられた特異点は、人が良い。
 俺は、特異点のことが嫌いになれない。殺しかけておいて、散々振り回しておいて、だけれど、嫌いには、なれない。寧ろ、感謝をしている。彼と、仲間たちと旅をしてきたから、俺は空の世界を好きになった。愛することができた。なのに、彼に想われる特異点が、うらやましい。こんな感情を、彼に、特異点に抱きたくない。愛している。呟いた彼の言葉を思い出せば、胸がきゅうと、痛んだ。心臓に爪を立てられたようだった。
 蒼い眼の先に、誰が居ても俺はこの痛みを抱く。ちっとも、納得なんてしていない。仕方ないなんて、思えていない。自分自身を偽れない。欺けない。
 すぐ傍には団員たちがいる。ここには俺の部屋がある。俺の名前を呼ばれている。なのに、見知らぬ場所にいるような孤独で心臓が早鐘を打つ。
 あの瞳は、もう、俺を映さないのだと思うと、この空でどうやって生きていけばいいのか分からない。途方に暮れるしかない。何処にも、俺が生きていい場所はないようにすら思えて、世界にぽつりと一人きり、取り残されている。こんな想いを抱くくらいなら、空の底に落ちてしまいたい。

 冷たい風が吹き荒ぶ。甲板に出ている稀有な人間はいない。俺は、人間ではないから良い。冷たい空気にさらされると、頭が少しだけ、すっきりとした。
「顔色が優れませんよ」
「……ルシオか」
「おや。私では不満ですか?」
「いや、君で良かった」
 俺の言葉に、彼は驚いたような表情を浮かべた。いつも、穏やかを気取っている彼には珍しい変化だった。少しだけ気分が良くなって、つい、笑ってしまう。
「貴方にしては随分と素直だ……。本当に大丈夫ですか?」
「なんなんだ、君は……」
「だって気持ち悪いくらいに素直なんですから。具合が悪いのでしょう?」
 あの言葉を耳にしてから数日が経つ。その間、体と心が休まる時間なんて無かった。ルシオの手が、喉の腫れをみるように首に触れる。そして、額から熱を測るために後頭部が固定された。なにをするんだと言う気力もない俺は、なすがままだった。ぼんやりと、近づいてくる顔を見ていた。
「何をしている」
 冷ややかな声が耳朶を打つ。
 殺気交じりの声に、体を震わせる俺に対して、ルシオは人の喰えない、いつもと変わらない様子だった。神経が図太すぎるのではないか。
「何って……。体調が悪いようでしたので具合を見ようとしていただけですよ」
 それ以外に何かありますか? なんて煽るような言葉を付け足すルシオに気が気でない。
「サンダルフォン、本当だろうか」
 はらはらとしていたのは俺だけだった。ルシオの言葉に、冷え冷えとした殺気は露散する。気遣わしく俺に問いかけられる。俺を心配したのか、ただのデバガメなのか、ルシオが俺の具合を見ようとしていたのは事実だ。はい、と答えようとしたけれど声は喉に引っかかって出る事は無い。今まで、触れたことのない彼の殺気に怖気づいていた。
「体調が悪いなら、私が診よう」
「そんなこと」
「……私では、不満だろうか」
「そういう訳ではなく、御手を煩わせることでもないことですから。眠れば良くなります」
「ほんとうだ。目の下にクマが出来ていますね、睡眠不足ですか」
 ルシオの手はまだ後頭部を固定したままで、見下ろす目は無遠慮だった。親指の腹がうっすらと出来ていた蒼黒いクマをなぞる。体調不良の原因はただの寝不足だ。自己管理が出来ていないだけ。だから、彼の手を煩わせるなんてしたくなかった。マッサージをするように撫でられると、その部分がじんわりと熱を宿したように気持ち良くて、瞼がゆるゆると下がっていくのが分かった。くすくすと笑う声に、はっと瞼を開ける。羞恥で、顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。
「顔色が良くなった」
「はなせ、もういい!!」
 手を払いのける。幼い子どもの癇癪のような態度に、ルシオは怒った様子も、悲しんだ様子もなくにこにこと笑みを浮かべるだけだった。ビィ様が呼んでいるようなので、失礼しますね。なんて去ってしまった。うそぶく理由が無いにしても、あのトカゲがお前を指名することなんて滅多にないじゃないかと思いながら、ルシオが触れていた目の下に触れる。
「サンダルフォン」
 断じて、忘れていたわけではない。それでも、睡眠不足で思考能力が低下していて、ルシオに気を取られていたのは事実だった。癇癪をおこしたみっともない姿を見られていたことに気付いてしまって、消え入りたくなる。みっともない姿を散々にさらしておいて、今更なことなのに。意地っ張りで、ちっぽけな矜持だ。
「……失礼します」
 居た堪れなさに、俯いてその場を後にしたから、彼がどんな顔をしていたのか、何を言おうとしていたのか、俺は知らない。

 二千年前から、創られたときから慕っていた。あの人がいたから、どんなに苦しいことも痛いことも耐えることが出来た。役に立ちたかった。褒められたかった、認められたかった。いつも、夢を見ていた。あの人の隣に立つことを。あの人に、必要とされることを。思えば、なんて烏滸がましいことを願ったのだろうと呆れる。けれど、あの時はそれだけしか考えられなかった。俺にとっての全てだった。それを否定されて、逆恨みをした挙句、裏切って、憎んだ。あの人に何の咎も無い。俺が、愚かだっただけ。いつだって、あの人は正しかった。いつだって、天司長として空の世界を守り続けた人が、己の心のままに慈しむべき存在を、唯一の存在を見つけたのなら、それは祝うべきこと。それは、喜ぶべきことだった。
 俺が、横から口を出すことではない。
 かつての悪夢を見る事は無い。ぞっとしない、最期の瞬間をみることはない。あの方は生きている。横顔を見上げる。俺を、気に掛けた様子はなく、一心に何処かを見ている。何を、見ているのですか。問いかけは喉に引っ掛かり、怜悧な声が突き刺さる。
「きみに、役割はもはやない」
 呼吸の仕方を忘れる。
「もう、きみは必要ない」
 美しい空の色は、俺を映す事は無い。清廉なる手が、俺に触れることはない。優しい声が、俺の名を呼ぶ事は無い。最初に、映すことをやめたのは俺だった。手を振り払ったのは俺だった。名前を呼ぶことを止めたのは俺だった。今更、何を言っているのだ。後悔を、今更、しているのか。最初から手に入れたことなんてなかったのに、何を惜しがっているのだ。頭で、冷静に理解しようとしているのに、心が追い付かない。縋ることもできない、手を伸ばすこともできない、名前を呼ぶことも出来ない。
 飛び起きる。汗で、張り付いた髪。はっはと畜生のような浅い呼吸。ごうごうと低いエンジンの音。夢だ。夢に過ぎないのだ。あの方に言われたことはない。全部、被害妄想に過ぎない。誇大妄想。俺は、もう、あの方が気にかけてくださる存在ではない。ただの、作られた命にすぎない。
 喉の渇きを覚える。のろのろと寝台を出て、ふと顔を上げれば部屋に備え付けられた鏡が亡霊を映し出す。
「ひどい、顔だ」
 かろうじて生きているだけ。死にぞこない。我ながら、あまりに、ひどい顔だとくつくつと笑ってしまう。
 昼間の喧騒が嘘のような静寂が騎空挺を包んでいる。暗い廊下の奥から、入り込んだ冷たい風が、寝汗をかいた体を冷やしていく。ぺたりと廊下に足音が響く。

 水を飲んで一息つくと、ぞくりとした寒気が背筋を這う。汗がひいて、体が寒さを訴える。部屋に戻らなければと思いながら、ぺっとりと根が生えたように体は動かない。シンクにもたれ掛かりながら、騎空挺の走る音に耳を澄ませる。
「サンダルフォン?」
「ぁ、ああ……ルシオか」
 すまない、起こしてしまっただろうかと申し訳なく思いながら声を掛けても、彼は応えることなく、俺の傍に寄る。不審に思いながら、見上げて、その時になって、やっと勘違いしていたことに気付く。さっと血の気が引く音した。
「申し訳ありません、ルシフェルさま!!」
「いや……。顔色が悪い。まだ、体調が良くないのだろう? 部屋まで送ろう」
「一人で、大丈夫です。お気になさらないでください」
 言葉は無視される。手が、伸ばされる。
「だめです、ルシフェルさま」
 寝不足がたたったように、体は重く、腰に回された手から逃れることができない。足が宙に浮く。膝裏に腕が差し入れられた。力強い腕。俺が、暴れたところで無意味だと悟ってしまう。
「私では嫌だろうか」
「嫌、ではないのです。あなたの手を、煩わせたくない。それに、これでは誰かに見られれば勘違いされます。離してください、お願いします」
 あなたの幸せの邪魔を、したくはないのです。
 夜が遅いとはいえ、手練れの団員たちは気配に聡い。誰が突然現れても、不思議ではない。
 団員たちが、俺とルシフェルさまの仲をからかうのも、それを特異点が笑っているのをみるのも、俺には耐えられなかった。そのからかいに、少しだけ気分が良かったのも、事実だった。だって、絶対にありえないことだから。口では、からかうなとか、ルシフェル様になんてことをいうのだなんて言いながら、喜んでいた。
 触れられるたび、浅ましく願ってしまう。名前を呼ばれるたびに、罪深く、願ってしまう。
 貴方の瞳に映りたい。貴方の特別になりたい。
「勘違いをさせておけばいい」
「だめです、ルシフェルさま」
 否定するたびに、悲しい顔をされる。蘇ってから、俺はかつてのように振る舞ってきたつもりだ。やりなおし、なんて思っていない。ただ、二千年前のように、彼の望む安寧であろうとした。こんな顔を、させたいわけではなかった。自分は、何も、この人の役に立てない。惨めさでいっぱいになる。このまま消えてしまいたい。泣きたくないのに、憐みをうけたくないのに、涙が溜まっていく。
「私は、嬉しかった。勘違いされて、きみと、恋仲といわれて、嬉しかった」
 ぽつりと、静かな声。俺は何も言うことが出来ない。目を丸くして、何を言っているのだろうとわなわなと、言葉を発しかけて、唇を結んだ。
「……彼らに恋仲のように思われていることに、喜んでいた。恋人同士に、思われて、私は嬉しかったんだ」
「な、ぜ」
 微かな声に、小さな笑みを零す。
「言っただろう。きみを、愛しているからだ」
 ぽとりと、溜まっていた雫が頬を濡らす。
「だから、恋人といわれて舞い上がっていた。きみの、気持ちを置き去りにしていた」
 哀しそうにいう。その悲しみを、俺は知っている。諦める声を、知っている。
「だって、あなたは、特異点のことが、」
「特異点?」
「……あなたは、特異点のことを、愛しているのだと……」
「私は、二千年前からきみのことだけを愛している。何故、特異点のことを愛しているのだと?」
 不思議そうに、首を傾げられる。本当に、訳が分からないというように。
 勘違いだった。今まで、何を悩んでいたのだろう。全部、ひとりで空回っていただけだった。気まずさに、顔を見られないように大人しく、腕におさまる。愛してる。愛されている。望んでいた言葉に、感情が追い付かない。もう、遅いのだろうか。気持ちは、離れてしまったのだろうかと不安が過る。けれど、俺を見下ろす目が優しいから、また、期待してしまう。
──明日、珈琲を淹れよう。この人のためだけに、とびっきりの珈琲豆を挽こう。
──それから、二千年前から、創られたときから、愛していると、告げよう。
 今まで俺の胸に巣食っていた重い物が消え失せて、緩やかな振動が優しい眠りに誘う。

愛してると突然言われた。その時相手はどこか遠くを見ていた。誰を、と問えば、濁される言葉。その視線の先にいるひとをちらりと見る。うらやましいなあ、と思いながら。
#愛してると言われたら
2018/10/07
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