「サンダルフォンを見ていた」
「あ、ほんとだ。声は掛けないの?」
「……彼は、あんな表情もするのだな」
「しょっちゅうしているじゃない」
「私は、知らなかった」
ルシフェルが見つめていたのはサンダルフォンだ。珈琲を淹れようとしていたところを、団員に見つかったようで、強請られている。嫌そうな、鬱陶しそうな表情を、上辺だけ浮かべている。サンダルフォンが頼られることを嬉しく思うなんて、団員たちには浸透していることだった。この天司長はどう思っているのかは知らない。けれど、グランには団員たちすら知っていることも知らないように思う。ルシフェルは、サンダルフォンに夢を見ているようだった。
「幻滅したの?」
グランの言葉に、ルシフェルは首を振る。それから、サンダルフォンに声を掛けることもなくするりと食堂を後にしていった。くう、とアピールをする腹にグランは目的を思い出した。ついでに珈琲をもらおうと、サンダルフォンに声を掛ければやっぱり嫌そうな顔をされるけれど、お願い、と頼めば、結局、彼は仕方ないなと言って淹れてくれるのだ。
「ルシフェルに持っていけば?」
「……頼まれていない」
なんてことないように提案してみれば、彼はにべもない返事をした。
復活してから騎空団に身を寄せるルシフェルに対して、サンダルフォンは余所余所しかった。団員たちですら他人行儀だと感じるほどだ。ルシフェルはサンダルフォンだからと、そんな態度も受け入れている。サンダルフォンは自分の態度が決して、褒められたものではないと分かっていながら、態度を改めることはしないし、改めることは出来そうになかった。サンダルフォンはルシフェルを嫌悪している訳でも、今更、嫌忌している訳でもない。
「何を見てるんですか?」
「なにも見ていないよ」
「ルシフェルさんのことを、見てたじゃないですか」
「分かっているなら聞くな」
サンダルフォンは嫌そうに言うから、ルリアはちょっとだけ委縮してしまう。はっとしたようにサンダルフォンは、すまないと小さな謝罪を零す。だから、ルリアはこの人が嫌いになれない。サンダルフォンの真似をして見つめる先にはルシフェルがいる。歴史について研究している団員の質問に答えているようだった。団員の質問責めに対して顔色一つ変えていない。
「ルリアを苛めないでよ」
「苛めていない」
「苛めているように見えるんですぅ」
グランがからかうように言えばサンダルフォンは忌々しそうな顔をする。ルリアがおろおろとしだしたから、グランはこの会話を切り上げる。
「何を見てるの?」
「君もか」
「ルリアと一心同体だからね」
「なら言わなくても良いだろう」
可愛くない態度のサンダルフォンは、じっとりと見つめる二人分の視線に堪えかねたように、重々しく、気が進まないまま口を開く。
「ルシフェルさまだよ。……ルシフェルさまは何を考えているのだろう」
「サンダルフォンのことだけ考えているんじゃない?」
むっとしたらしいサンダルフォンの気配に、グランはちょっとだけしまったなと思う。つい、日ごろの恨みが出てしまった。何てことないように振る舞っている二人に勝手にやきもきとして、あれこれ気を使っているのだ。グランの気づかいなんて知る由もないサンダルフォンは何てこと無いように言う。
「あの人にとって、無垢だった俺はどこにもいない。安寧もなにもない。それは、きみたちが与えてやってくれ。俺には役割なんて、もうないから。あの人が求めるものを、与えることは出来ない。そんな俺に、どうしてあの人は優しくしてくれるのだろう。話し掛けてくれるのだろうと、あの人が分からない」
サンダルフォンが口にした言葉に、グランはどうしよう、と思う。ルリアも困った顔をしている。だって、サンダルフォンは忘れているのか知らされていないのか、この会話はルシフェルに筒抜けなのだ。そのルシフェルは怖い顔をしている。それまでメモを取っていた団員が、顔を引きつらせている。すっかり考え込んでいるサンダルフォンを余所に、修羅場になりそうな現場から、グランはルリアの手を引いて、避難をする。
──サンダルフォン。
声は何処までも静かで、荒げていない。だというのに、よく聞こえた。
目の前にルシフェルがいる。サンダルフォンは視線を彷徨わせた。どうにも、かつてのように振る舞えない。まっすぐに、ルシフェルを見ることが出来ない。あの蒼い目で、何を言われるのか、思われているのか、想像するだけでサンダルフォンは呼吸を忘れてしまう。
「私は、」
珍しいことに、ルシフェルは言葉に迷っている。言うのを躊躇っているのか、言葉を探しているのか。視線をサンダルフォンに注いだままだ。口にした言葉の先を、サンダルフォンは分からない。悲しい想像にしか繋がらない。
「ああ……。どうしたものだろう」
ルシフェルは、言いよどむ。サンダルフォンに理解してもらいたいのに、適切な言葉が分からない。ルシフェルは、求めてばかりだった。サンダルフォンは応えてくれた。けれど、ルシフェルはサンダルフォンが求めるものに応えられなかった。だからこそ、サンダルフォンが知りたいと求めた心を明かしたいのに、ルシフェルにはそれを伝える術が分からない。サンダルフォンへ抱く想いを、言葉なんかで言い表せない。ルシフェルの知る言葉では、あまりにもちっぽけなものになってしまう。
ちらりとも伝わらないルシフェルの想いは、サンダルフォンを不安にさせる。
「なんと、言えば良いのだろう」
ルシフェルが手を伸ばす。サンダルフォンの眼にかかる前髪を払えば、その下からはルシフェルが愛しく思う赤目が現れる。夕陽の色。朝日の色。血の色。命の色。視線を彷徨わせていたサンダルフォンは、猫だましでもされたように目を丸くして、ルシフェルを見つめている。
「これだけは、分かっていて欲しい。私は、君を憎んだことも、嫌ったこともない。これからも無い。きっと、何があっても変わらないことだ。これだけは、信じてほしい」
その言葉はあまりにも切実で、胸を締め付けられて、サンダルフォンはこくりと頷いていた。ルシフェルは小さな笑みを浮かべる。
「いつか、きっと、君に伝える。それまで、待っていてほしい」
サンダルフォンは戸惑う。いつか。そんな日が来るのだろうか。いつか。その日まで、この人は俺を忘れないでくれるのだろうか。いつか。その日までなら、許されるだろうか。
「待っています、その日まで」
前髪を抑えていた手が、ゆるりとサンダルフォンの頬を撫でる。冷たい掌が心地よく、サンダルフォンは目をつむる。いつか来るその日まで。この人の隣にいれるように、誰かに願った。団員たちはまだ戻ってこない。二人ぼっちで天司はいつかに思いを馳せる。
2018/09/11