ピリオド

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 打ち付けられ、むせ返る。体はくの字に折り曲げられたまま、一拍、呼吸を忘れる。その後、思い出したように、ひゅうと、血が喉に絡み、ままならない。ひゅうひゅうと僅かな隙間から音が漏れる。その惨めなこと。
──失敗した。
 鎧も服もはぎ取られ、裸体で拘束されて、身動ぎひとつとれず、床に転がされる。鉄さびのような臭いは己から発しているのか、部屋に染みついたものなのか分からない。拘束に使われているのは、不用品如きには勿体ないくらいに厳重なものだ。……この拘束具が出来るまでに、多くの同朋が残酷な、残忍な方法で、実験台の上で絶え果ていったのだろうことがわかってしまう。そんなことを想像しても、生憎と、叛逆に加担したのは、彼らのような存在の仇討ちなんて高尚なものではない。ただ自身の存在証明のために起こしたことだった。自分のことしか考えていない。それも、何もかもが無意味に終わる。ただ一人に認めてもらえるのなら、意味があったことなのに。彼の人の眼に映ることなく、罰せられることもなく捕えられ、この醜態をさらしている。無意味な死しか残らない。いいや、死すら、誰にも記憶されない。何一つとして成し遂げることが出来ない。何も残せない。悔しさと怒りにかっと、目頭が熱くなる。なのに、ぎりと唇を噛みしめることも、舌を噛み切ることもできない。轡が邪魔をする。髪を引っ張り上げられ、無理矢理に上半身を起こされる。抵抗は何一つできず、されるがままに、逆光の中で、敬愛していた顔が、酷薄な笑みを浮かべているのが見えた。
「最期になにかあるか?」
「……」
「まあ、いい」
 轡をさせておいて、言葉を発せられるわけがないのに、男は分かっていて聞いてきた。男を睨みあげる。星の民のなかでも、ひときわに、この男が残酷であることを知っている。完璧と評価した天司長であるあの方すら欺いて、おそろしいことをしている。俺は、この男が、恐ろしかったのだ。今まで、自分でも気づかないようにしていたのに、この時になって、最期のときになって気付いてしまった己を恨む。
「役割を欲していただろう? 有効に、活用してやるさ」
 俯せに、体を転がされる。背中をさらすことに生理的な嫌悪を抱いた。男の手が、背中を、コアを、鷲塚む。喉にせり上がる悲鳴を呑みこむ。男がそういうことかと何かを呟いた。コアが抜き取られたのだろう、意識が、飛ぶ。なんて、ちっぽけな最期なのだろうか。堕ちる意識のなかで嘆く声も、もうどこにも届きやしない。



 実験台の上で目覚めたそれに、確認を取る。
「役割はわかっているな」
「はい、ルシファーさま」
 真紅の瞳はまっすぐにルシファーを見上げる。
 見下ろすその肉体も、精神も何もかもが、完璧とは言い難い造りをしていた。ルシファーが手掛けた、原初の獣が完璧で、完全であるとするならば、比べるのも烏滸がましいほどに、怒り狂う程に、あまりにも粗末な造りをしていた。だからこそ、不可解でならない。ルシフェルは何を考えてこの、秀でた、優れたところを見つけられない造りにしたのだろうかと、優れた頭脳をもってしても答えが出ない。役割を明かしていなかったとはいえ、戦闘を考慮するのならば頑健な肉体にするべきだった。安定した精神性を求めるならば老成した気質を宿らせるべきだった。何もかもが、未成熟な不完全な造り。これがルシフェルが好むという進化の過程というのならば、獣が、造られた存在が、進化するかよと笑ってしまう。
「羽を顕現させてみろ」
「はい」
 畏怖や憎悪を宿さないあまりにも純真な視線がルシファーに注がれる。何もしていないのに、こちらに気付けば勝手に恐れて、怯えていたのが嘘のような、素直でしおらしささえある仕草に鼻白む。ルシファーの命令通りに、その背中から見慣れたルシフェルのものよりも小振りな三対、純黒の六枚翅が広がる。けれど、よく見れば、その一対にまだ僅かに、基の色が残っていた。不快感に、舌打ちをした。何処まで執着をしているのかと、呆れる。経過とともに、いずれは純黒になるであろう羽がぱさりと揺れる。舌打ちにびくりと怯えながらも、こちらを窺っている様子は媚びているようで気味が悪い。その様子を見知らぬふりをして、後ろを向けと命じればその通りに、素直に、躊躇いなく、天司にとっての急所を晒す。傷一つ残っていない背中に手を伸ばし、コアに触れてなお、それは疑問を抱く様子はない。全てを、ルシファーに委ねている。
 無垢では済まぬ。白痴である。純真といえば聞こえはいい。思考を放棄して"創造主"に身を委ねる。ぞっとしない。
「もういい」
 向き直ったそれは、ルシファーを見上げて、歪に口角を上げている。今まで見掛けたことのない表情に僅かに驚くが、やがてそれはルシファーの真似をしているのだと気付く。
──笑っていたのか。
 自身の口元を覆い確認する。それもまた、同様の仕草をしている。それから、なるほどと、ルシフェルが造り込んだ要素を理解した。矢張り、この姿のまま造りかえることにしたのは正解だったのだ。
 見上げてくるそれは、今度こそ、正しく、歪んだ笑みを作ってみせる。
「良くできたな」
 ルシファーは柔らかな髪をすくように撫でた。
 良くできた獣は、褒めてやらねばならない。



 研究施設は常時よりも静まり返っていた。緊張の糸がぴんと張り詰められている。回廊で見かける星の民の姿も少ない。叛乱制圧のために前線に出ていたルシフェルは、一時報告のために帰還していた。ルシファーに与えられた個人部屋の中で、報告をする。叛乱は制圧寸前で、問題は何もない。面白みのない報告を受けたルシファーはそうかと答える。「ああ、そうだ」報告を終えて、前線に戻るためと背を向けたルシフェルに、ルシファーは思い出したように言葉を投げる。
「不用品、と評価したことは訂正する。お前の造ったアレにも、使い道はあった」
 振り向いたルシフェルは、感情を顕わにしていた。目を見開いて、それからルシファーを睨むように眉根を寄せている。恨み言を零さんばかりの憎悪の感情を、露わにしている。あれの用途を告げたとき以上の感情が剥き出ている。そのザマに、ルシファーは心をが満たされたのだ。
「彼に何をした」
「知ってどうする?」
「彼は──」
「彼は?」
 ルシフェルは、自身でも何を言おうとしているのか定かではないようだった。感情のままに、口走っているのだ。その目はぎろり、とでもいう様に、ルシファーに怒りか、恨み、あるいは両方を向けている。
「はは、そんな顔をするなよ。あれはもう、お前には必要のないものなのだろう?」
 ルシファーの言葉に、ルシフェルは何を言うでもなかった。その言葉を返す資格を、ルシフェルは失っている。だって不用品と告げられたとき、ルシフェルは否定をしなかった。否定をしなけれべならなかったのに、何も言わなかった。それは、肯定と変わらない。先ほどまで浮かべた表情も隠し去って、ルシフェルは部屋を出て行った。まるで、負け犬のようじゃないか。ルシファーは堪らず、肩を震わせて、笑ってしまう。公正無私な天司長は何処へ行った!
「ルシファーさま、お怪我はありませんか?」
「っは……。お前か」
「お部屋から不穏な気配を感じ取ったので……。何か、楽しいことでもあったのですか?」
「ああ、あったよ」
「そうですか。ルシファーさまが楽しいなら、俺も、楽しいです」
 ルシフェルが去ってから、サンダルフォンは顕現して、心配と当惑した様子から一転して笑みを浮かべる。造りかえられた肉体と記憶であっても、その笑みはルシファーがいつか遠目に見たものと同じで、何処までも幸福であると言われているようで思っているようで、なんだか気分が悪い。先ほどまで昂っていたものがウソのように、萎えていくのを感じた。
「……飲み物を用意しろ」
「はい」
 サンダルフォンはまた、笑みを浮かべる。
 初めて淹れたのはコーヒーだった。研究者の多くが常飲している、脳を冴えさせると言っていたから淹れたけれどルシファーは一口飲んでそのままだった。次に居れたのはハーブティーだった。矢張り、一口飲んでダメだった。ハーブティーと似た系列だけれどと思って淹れた紅茶だけは、飲み干してくれた。褒められたことはなくても、空になったカップを見てサンダルフォンは胸が暖かくなる。だから、この命令が一等に好きだった。



 実験室の主たるルシファーは、サンダルフォンを留守番にして席を外していた。サンダルフォンにとって今まで何度も任された留守番だった。今まで、ルシファーの実験室を訪れたものは誰もいない。だから、少し、気が緩んでいた。
「天司長のお気に入りちゃんじゃないか」
 現れたのは、サンダルフォンの知らない同族だった。だというのに、軽薄な笑みを浮かべながら、サンダルフォンに声を掛けてくる。ずっと前から知り合いだったかのように振る舞っている。けれど、サンダルフォンの記憶にはない。何の反応も見せないサンダルフォンを、頭から、足の爪先までじっとりと見る。その視線はねっとりとしていて、居心地が悪い。
「ふぅん……そういうことか。やっぱりファーさん面白いな」
 ファーさん。その呼び方にちらりと、ある人を思い出すが、そんな気さくな間の抜けた呼び方が似合う人ではなかった。
 視線が合う。
 サンダルフォンとよく似た色の眼をしていた。サンダルフォンが朝焼けの色なら、男の眼は宵にかかる色をしていた。似ているのに、同じではない。
 男の視線から逃げられない。じっと、ただ見つめられているだけだ。なのに、体を動かすどころか、視線を逸らすことも、出来ない。
「ベリアル、何をしている」
「あーあ。折角、良いところだったのに」
 ルシファーの声に、ベリアルの視線が逸れる。サンダルフォンはぱっと、ルシファーの傍らに控えた。ベリアルは目を瞬かせる。サンダルフォンはすっかり安堵した様子で、天司長の前でしか見せない表情を浮かべている。
「珍しい……ファーさんのお手付きなんて……」
「くだらんことをいうな。此奴の元々の造りだ。ルシフェルは何を考えていたんだかな」
 刷り込みにすぎん。吐き捨てるように言ったルシファーに、ふぅんと気の無い返事をしたベリアルはサンダルフォンをじろじろと見る。サンダルフォンの眼に、怯えは無い。安心しきっている。絶対的な信頼を、あろうことか、ルシファーに寄せている。かつて、ルシフェルに愛着されていたときにはありえない姿だった。かつてであれば、視線の先に天司長がいただろうと思えば、それはベリアルにとって愉快だった。
「天司長が、ねえ」
 刷り込み。
 星晶獣、とりわけ天司はヒエラルー構造が確立している。天司長を絶対として、その麾下となる(生憎とベリアルや一部は例外となっているのだが)その天司長が造ったサンダルフォン。刷り込みなんてせずとも、ルシフェルの命令に従う。ちらりとも、疑いなんてしないのに。態々、仕組んでいた。公正無私な、面白みのない天司長のおぞましい執着は、ベリアルの興味を刺激するには充分だった。



「俺は役に立っていますか」
「ああ、お前は役に立っている」
「……良かったぁ」
 黒い六枚羽に繋いでいたコードを取り外す。当初は僅かに残っていた元の色はすっかり、塗り替えられていた。吸い込まれるような黒に染まり切っている。その羽が、サンダルフォンの感情につられるように小さく羽ばたいて、羽が舞った。
 堕天司として、ルシファーの手によって造りかえられたとはいえ、サンダルフォン自身の当初の性質に変わりはない。サンダルフォンは何処までも無知に、盲目的に、ルシファーを慕う。ルシファーの行いが倫理に背こうが、空の世界にとって脅威となろうが、なんだって構いはしない。ただ、ルシファーに認められることだけを望んでいる。ルシファーの役に立ちたい。ルシファーに必要とされたい。ルシファーに求められたい。サンダルフォンの行動原理は単純で、利用するには容易い。
 ルシファーがサンダルフォンに応える限り、サンダルフォンはルシファーを否定する事は無い。愚直。笑っていたのに、長く過ごすようになれば、愛着するようになる。サンダルフォンの無垢に慕ってくる様子に、ルシファーはいつしか、心を許すようになった。
「……まぁ、悪くはない」
 ふにゃふにゃと笑みを浮かべたサンダルフォンを見て、甚だもって、ルシフェルが、愛玩としなかったことが、愛玩と認めなかったことが不思議だった。

2018/08/22
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