ピリオド

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 穏やかな昼下がり。麗らかな日差しがガラス窓越しに二人の天司を照らし出した。日差しを受けて、黒髪は赤み掛かり柔らかな色味になっていた。白銀の髪はキラキラと、目を細めたくなるほどに輝いている。二人の天司は、小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。手元には陶器のカップがある。ゆらめく黒い水面からは芳ばしい香り。数千年前の中庭でのように、珈琲を楽しもうとしていた。かつてのように。二人の浮かべる表情は異なる。ルシフェルはかつてのように、あるいは、かつてよりも甘く、どろどろととろけてしまいそうな熱視線をサンダルフォンに向けていた。その視線をひしひしと受けながらも、サンダルフォンはルシフェルに視線をむけることはなく、強張った様子で、湯気が立ち上る黒い水面に視線を落としていた。
 一向に、顔を上げる様子はなく、じっとただ時間が過ぎ去るのを待つようなサンダルフォンに、仕方ないと思いながら、ルシフェルは一口、珈琲を飲んだ。まろやかな苦味の後に、さっぱりとした酸味が広がる。サンダルフォンが淹れた珈琲は、何時だって美味しい。
「美味しいよ、サンダルフォン」
 心から思ったことを口にした。
 一言、呟かれた感想にサンダルフォンは条件反射のように、思わず、顔をあげて、みてしまった。目の前の人は、蒼穹をほそめて、笑みをうかべている、ありえない、これからなにをされる、なにをかんがえている、きっと、ひどいこと、おそろしいこと、こわい、いやだ。きもちわるい。逃げなければ。
「ひっ」
 錯乱したサンダルフォンの腕が、陶器に触れた。
 ガシャン、陶器が散らばる。珈琲が、真っ白なテーブルクロスに黒い染みをつくり、ぽたぽたと床におちていく。床にも、黒い水溜りが出来ていた。まだ熱かったはずだと、ルシフェルは、
「サンダルフォン、怪我はないだろうか」
 声を掛け、手を伸ばそうとしたのを、サンダルフォンは怯えたように身を捩って拒絶をした。宙を彷徨う手を前にして、はたとサンダルフォンは自身が起こした一連の動作にやっと気付いたように、くしゃりと泣き出しそうなほどに、顔を歪めた。
「申し訳ありません」
 雑巾をもらってきます。サンダルフォンは、逃げるように、部屋を飛び出した。倒された椅子にも気付いた様子はなく、ぱたぱたと遠ざかる足音と、走らない! 咎める声が遠くから聞こえた。ぽつねんと、ひとり、部屋に残されたルシフェルは、宙を彷徨わせていた手をだらりと降ろして背もたれにもたれかかる。ギシと、軋んだ。麗しいかんばせを曇らせて、ひとつ、胸の内から息を吐き出した。
「うまく、いかないな」
 かつてのように、とまではいかなくても、また新しく関係を築ければいい。二千年、耐えたのだから。長くかかっても、なんて、甘い考えだった。
 自嘲を浮かべ、すらりとした首筋、一文字に走る縫合跡に、ぷつり、爪を立てた。ぷっくらと、赤い珠が浮かび上がる。
 雑巾を手にしたサンダルフォンは、部屋の前で息を整えた、震え、汗ばむ手で、ドアノブを掴む。空気を吸って、吐き出す。呼吸の仕方を記憶。戦闘に赴くような心持だった。それ以上に、不安が付きまとう。扉を開けるなり、しゃがみ込んだルシフェルの後姿が飛び込んだ。かつてであれば、すぐに声を掛けていた。申し訳ありませんと声を掛けて、すぐに代わっていた。あの方に片付けをさせる自分が、許せないでいることに、変わりはない。醜態をさらした恥ずかしさに変わりはない。なのに、かつてであれば出来たことが、今は出来ない。ためらいがある。声を掛ければルシフェルは振り返るだろう。その顔を前にして、サンダルフォンは平静を保てない。だって、あの顔は──。
 同じ顔。そう、言われても、サンダルフォンは否定をする。全く、違うと、首を振る。確かに、ルシフェルとルシファーは"似て"いる。ルシファーが、世界を巻き込んだ計画のために、星晶獣として、完璧な存在として、ルシフェルを造った。その肉体を基にして、完璧な存在として、ルシファーは再び生を得ようとした。星晶獣の肉体と、星の民の頭部。最初からそうであったように、ぴったりと合わさっていた。歪な生き物として蘇ったそれの精神は、かつて、空の世界を見守ってきた天司長であるルシフェルだった。けれど、同時にサンダルフォンは否定をした。サンダルフォンは間違えない。けれど、だからこそ、ルシフェルだとわかっているからこそ、混乱をした。優しい視線が、おそろしかった。誰も何も言わないのが、余計におそろしかった。自分は間違っているのかと、自分ひとりがおかしいのかと不安になった。
「雑巾を、とってきました」
 怯えと震えが隠し切れていない声が喉から出た。
「欠片は片付けておいたよ」
「申し訳ありません、お怪我はありませんか」
 ああ。そう答えたルシフェルは振り向く事は無かった。背中に向かって、ほっと、胸を撫で下ろしたサンダルフォンは、そんな自分に、ほぞをかんだ。

2018/07/04
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