ピリオド

  • since 12/06/19
 仕事人間。ルシフェルは自身のことを、そういう類のつまらない人間であると自負している。たいていのことはなんでもできてしまうから、何をやっても長続きしない。人付き合いは好ましく思うものの、相手と対等に付き合うことができない。最初は、相手も対等に接してくれていたのに、少し共に過ごすとへりくだって、その様子に申しわけなさを感じてしまう。そんなルシフェルにも付き合いの長い人間が僅かに存在している。彼らはルシフェルと正反対の人間だ。何処までも我を貫く。ルシフェルに知らない世界を教える。それが良いことばかりではないとわかっているものの、ルシフェルもそういうものもあるのかと興味半分、楽しんでいた。
「バーチャルアイドル?」
「ああ、ほら」
 言いながら、タブレット端末を操作して、とある動画サイトを開いた友人の友人はふんふんと鼻歌交じりに「お、登録者数増えてるな」と喜んでいる。世俗に疎いルシフェルであるが、現在では一種の広告塔として十分な役割を果たしている動画投稿者の需要については知っているつもりだ。
「……っと、悪いね。これだよ」
 端末が、ルシフェルにみやすいように広げられて、ルシフェルはそれをちらっと見て、目を奪われた。CGの人影が画面に映っている。フードを被った、おそらく青年で、表情は見えない。口元だけが見えるようになっている。合成らしい、抑揚が不自然な音声で、珈琲豆についてプレゼンをしている。よくある珈琲紹介のページから抜き取ったような、ありふれた内容ではなく、彼自身が研究しているようなマニアックな内容のようだ。それでも、わかりやすいようにと噛み砕いて説明をしようとする熱心さが、機械音声であっても、動画越しにすら伝わってくる。
 タブレット端末に穴が空くのではないかと言う程に、じっと見つめるルシフェルにベリアルが目を瞬かせる。長年の付き合いがある中でも見たことのないくいつきであった。
「いやあ、まさかアンタのツボにはまるとはねえ……」
「彼は?」
「……サンダルフォンだよ。だいたい週末だけど、不定期更新。よろしく」
「そうか……」
 サンダルフォンとは珍しい名前ではない。学校であれば、学年に一人はいる名前である。
 表情が分からない分を補う様に、彼の周りにハートや驚いたマークが表示されている。
 ルシフェルはそっと私物の携帯端末を取り出して「サンダルフォン バーチャルアイドル」と検索した。SNSを見つけて、遡るも「動画を投稿しました」という報告だけで埋まっていた。同業者とのコラボもしていない。
 その日から、投稿されている動画を全て見たものの彼のパーソナル部分は出てこない。分かったことは珈琲が好き、ということだけだ。あとはすこしばかり、被虐趣味の人間を寄せ付けるような雰囲気を出しているらしく、コメント欄が異色な賑わいを、極稀に見せている。ルシフェルは少し、不愉快な気持ちになる。彼が穢されたような気持ち悪さで、それらのコメントを消したくなるのだが、こういったコメントを彼自身は何とも思っていないようでやきもきとして見ているだけだ。
 バーチャルアイドル、とは良くできているジャンルだ。
 生身の人間と違う。彼らは不変であり、ファンが望む姿でありつづける。
 ルシフェルは感心しながら、サンダルフォンの投稿を待ち望むようになった。

「ほーらサンディ、今日の土産だ」
 満面の笑顔を見せて紙袋を見せる叔父の姿に、サンダルフォンは苦い虫を噛んだみたいに顔をゆがめて、紙袋を奪おうと手を伸ばした。のを、ベリアルはひらりと交わしてさらに高く持ち上げた。くそ。憎々しく呟いたサンダルフォンは爪先立ちになって、紙袋に手を伸ばす。
「おい!!」
 暫くムキになっているサンダルフォンを楽しんでいたベリアルだが、いよいよと苛立たしげな様子を見せるサンダルフォンの頭に、わざわざ紙袋を乗せた。あれ以上からかっていると大事な息子を蹴り上げられる。同じ男であるのに、情け容赦なく蹴り上げられて、泣いてしまうし達してしまうし気持ち悪いものを見る目で見下ろされてしまう。かわいそうな俺! と悦に浸りたい気持ちもあるのだが、生憎と今日はこれから打ち合わせもしなければならない。目下広告収入がお小遣いのレベルを超えてきたバーチャルアイドル様のご機嫌取りもしなければならないのだ。アイドル様はがそごそと紙袋を漁って珈琲豆を確認している。
「ついさっき、引き取ってきたものだよ」
「そうか。これから淹れるからちょっと待て」
 いそいそとキッチンに行く後姿を見送ってから、勝手知ったるリビングで寛ぐ。そんなベリアルを監視するように、兄と義姉が笑顔で見つめるものだから、肩を竦め、写真立てを伏せた。
 年の離れた兄と義姉はつまらない人間だ。真面目で融通の利かない、冗談もなにも理解をしないし、口にしない。ユーモアが通じない。不仲ではないつもりだ。別段お互い嫌い合っているわけではない。縁を断っているわけでもない。ただ、相互理解できなかった。そんな二人に頼まれて、甥っ子であるサンダルフォンの面倒を見ることになった当初は、また厄介なことを押し付けられたものだと思ったのだが、このサンダルフォンが中々に良い人材だった。つっつけば突っつくほどに面白い。あのつまらない二人の下で埋もれさせるには惜しい才能を持つ。ベリアルは喜んでこの甥っ子の面倒を見るつもりであったが、実際はといえば、専ら面倒を見られていた。まずベリアルに青少年の健全な育成なんて出来ない。犯罪に手を染めているわけではないものの、彼は不道徳な生き方をしている。青少年の手本とは間違っても言えない。ある意味、反面教師としていえば手本ともいえる。そして、彼の基本生活時間帯は夜である。学生であるサンダルフォンはそんな時間は眠っている。気付けば食事洗濯掃除と勝手にやりだした。そして部屋もかってに模様替えされてた。出会った当初は遠慮がちに許可を求めてきたのになあと思いながら、日差しをうけてほんのりと温かくなっているソファに座った。
 一人で暮らしていた頃とは勝手が違う。庶民的な、家庭的な。それまでベリアルとは縁遠い感覚であるが不快ではない。
「あ、何してんだ」
 戻ってきたサンダルフォンが目ざとく気づくと、写真を元に戻した。うへっと、ベリアルは吐くマネをした。サンダルフォンはぷりぷりとしながら、ガラステーブルに静かにカップを置いた。黒い水面が揺れているのを手に取り啜る。
「んー……」
「アンタの口には合わないだろう」
「飲めないってことはないが……前の方が飲みやすかった気がするな」
 サンダルフォンはちょっと笑ったようだった。棘の無い子供らしい笑い方に、おっと思ったものの、すぐにカップで隠れてしまう。
 ベリアルはそこまで珈琲に執心していないの。だがこの甥っ子に付き合うようになってまあまあ善し悪しが分かるようになった。お礼代わりといっちゃあなんだが、外の世界にあまり興味が無い甥っ子にまあ叔父さんらしくちょっと遊びを教えてやるかと重い腰を上げて、勝手にモデリングしたCGを見せてやれば喜びのアッパーを食らったのも懐かしい思い出だ。合成音声のサンプリングを聞かせた時には喜びのあまり絶句していた。あの表情をとてもよかった。軽く達した。折角造ったそれを埋もれさせるなんてもったいない! という微塵も信じていない神の御言葉のままに作った動画を見せると、もう勝手にしてくれとぐったりと言ったので勝手にしたところそこそこな評価を受けて現在に至っている。ベリアル自身の本職が多忙であるためネタ作りなんて真面目に出来ず、現在では土産やら報酬やらでご機嫌取りをして協力を求めている関係である。ちょっと前に試験と重なってイライラとしたところを何時ものようにからかってしまい動画協力を一切されなくなり、渋々とベリアルが自分の趣味のマニアックな部分(初心者向け)をサンダルフォン(バーチャルアイドル)に解説させたところ大炎上したうえに乗っ取り疑惑やらチャンネル登録者の大量退会やらと酷い目にあった事件がある。趣味の投稿動画といえどもそこそこの収入源で遊ぶ金でもあったので困った。ベリアルは価値の分からない珈琲豆に数万を掛けてサンダルフォンのご機嫌をとって何時もの動画を投稿して、あれは悪戯でしたと無理矢理鎮火させた。燻っていた火が随分としつこかったものの、サンダルフォン(リアル)は興味がないようだったから、どうにか今も協力をされている。まあ、もっとも、その悪戯動画でついたファンが未だに追いかけてきているのは予想外であったが。無視を決め込んでいるがそれが良いらしい。ベリアルは激しく同意する。
「次はこれにするつもりだ」
 そういってサンダルフォンはルーズリーフを数枚、取り出した。神経質な細い字がみっちりと、ルーズリーフの裏表を覆っている。相変わらずの生真面目さだ。大学に進学すればさぞ教授受けの良いレポートを書くのだろうと思いながら目を細めながら文字を追った。
 読み終えたルーズリーフをテーブルに置いて、目頭を押さえる。怪文書かよ。サンダルフォンが期待したように見上げるから、ベリアルは
「ああ、いいんじゃないか? 預かるよ」
 サンダルフォンの頬の血色が良くなったのを見て、ベリアルはその癖っ毛をかき回した。なにするんだという抗議を無視している撫で心地を堪能していると、顎にその頭がヒットして意識が遠くなった。瞼の裏でちかちかと星が回っている。どんだけ、石頭なんだと掠れる意識で鳥の巣のようになった頭で見下ろすサンダルフォンに思ったことだけ覚えている。
 食欲をそそる匂いでぼんやりと起き上がると、ダイニングテーブルで夕飯を食べているサンダルフォンを目にした。のろのろと立ち上がり、前の椅子に座る。
「……食べるのか?」
「ああ」
「ちょっと待ってろ」
 ごくりと咀嚼したサンダルフォンはキッチンへ。ベリアルは残されたプレートの、食べかけのポテトサラダを指でひとくち、つまみ食う。実家の味とは違う味だった。サンダルフォン独自の味付けなのだろうか。義姉の実家の味なのだろうか。滑らかな舌触りで、ほのかに甘味がある。どれもう一口と思ったところで、サンダルフォンが用意を終えたらしい。今日はハンバーグがメインのようだ。ぐうと腹が鳴った。

 ルシフェルの最近の趣味は珈琲だ。当然、熱心なバーチャルアイドル「サンダルフォン」の影響だ。なお、バーチャルアイドルは趣味ではない。最早生活だった。以前から珈琲は、仕事の最中のお供として良く選んでいたのだが、味わうことはあまり無かった。まずいとか、美味しいという味の善し悪しよりもカフェインを摂取するための行為だった。脳を活性化させるための手段だ。友と呼ぶルシファーもカフェイン中毒のようであったが、彼の場合は珈琲では物足りなくなっておりより濃度の高いものを好んでいた。デスクの上には常に空き缶が散乱して、ゴミ箱には収まりきらなかったものがあふれている。そのうち過剰摂取で倒れるのではないかと周囲に不安がられている。そんな彼とは、珈琲で語り合うことは出来ないため、寂寥感を抱く。誰かと語り合いたい、と思ってはそれまで見向きもしなかった喫茶店や珈琲専門店を、休日になって巡る日々を過ごしていた。
──カラン、カラン。
 オープンと表札されているドアを開くと、ベルが鳴った。ルシフェルは趣ある店内にほうっと息を吐いてから、カウンター席に座り、あまり愛想があるとは言い難い店主に注文をした。隠れ家のような店構えで、今もルシフェル以外に客はいない。クレシックレコードがBGMのように掛けられていた。ときおりぶつり、ぶつりと音が途切れている。
(落ち着く店だな)
 自分は随分と、忙しない人間だった。ほっと息を吐き出す瞬間が出来てから、改めて思う。それから、少しだけ心に余裕が出来た。具体的に言えば、楽しみを見つけられるようになった。出勤時に青信号で、一度も止まらずに出社出来たときに、誰かに伝えたくなった。急にこんなことを言われても困るだろうから、ひっそりと、自分のなかでやったなと思ったのだ。今までなんとも思わなかったことが、楽しく思えた。
「おまちどおさん」
 渋い声で、店主がことりと、ソーサーを置いた。カップと、それから隅に市松模様のクッキーが乗せられている。なんだろうと店主を見上げた。
「初めてのお客さんだろ? サービスだ、娘の店で出している。向かいの菓子屋だ」
「ありがとう」
 にかりと不器用に笑った店主に、ルシフェルも微笑みを返した。店主は、気難しそうに見えて娘想いの優しい人らしい。クッキーは手作りらしい素朴な味で、珈琲ともよく合う。ぶつぶつと途切れていたレコードはとっくに役割を終えていた。店主の新聞を捲る音と、壁時計の針を刻む音。それから外の音。ざあざあと石畳に跳ねる水音に、雨が降っていることがわかる。通り雨だろうから、珈琲を飲み終わる頃には止んでいる。ルシフェルがカップを手に取って口を寄せたときに、カランとベルが鳴った。思わず、そちらを見た。フードを被った青年が申し訳なさそうな雰囲気で立ち竦んでいる。青年はフードを外し、パーカーを脱いでから、顔に張り付いた髪を耳に掛けた。
「すいません」
「ああ、お前か。ちょっとまってろ、タオルを出す」
「ありがとうございます」
 どうやら、常連らしい。店主が店の奥に入っていったのだが、ルシフェルは気付かなかった。ただじっくりと青年を見つめる。その声を、知っているから、つい、
「……サンダルフォン?」
「え?」
 赤い目がまるく、不思議そうにルシフェルを見つめた。

2018/06/25
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