「ありがとうございます」
「いいえー」
そう言いながらクラスメイトは友人たちの元へと駆け寄っていった。桃井に視線を移すと矢張り青白く、額に汗が滲んでいた。
「どうかしました?」
(風邪だろうか。朝の部活ではそんな様子が無かったけれど)
「あのね、テツくん・・・ナプキン持ってない?」
桃井が小声で耳打ちをする。
なぷきん。
黒子が口の中で其れを繰り返し、やっと桃井が求めているものがなんなのかを理解し、申し訳なさそうに眉を八の字にする。
「ごめんなさい、持ってないです」
「ううん、ありがとう」
言って桃井はまた他のクラスへと行った。どうやらナプキンを持っていなかったらしい。いつも用意周到な彼女にしては珍しいなと黒子はその後ろ姿を見る。長い桃色の髪がさらりと揺れている。自分とは真逆だ。水色の髪は男子程ではないものの、短い。
黒子は中学2年になっても、月のモノが来ていなかった。だからなのか、女性的な体付きとは程遠い骨ばった体で、女子にしては高い身長(かといって男子バスケットに参加するには低い)はそろそろ165になるだろうかというくらいだった。暫く前は部活が第一だったし、男女間のことだとかに興味がなかったけど、月経のように体の仕組み自体に関わるものとなれば黒子も若しかしたら自分の体はおかしいのかもしれないと不安になった。その不安を打ち消すように、黒子はますます部活動に精を出すようになった。けれども、元から体力はある方ではないため、直ぐに無茶をしては倒れるという繰り返しだった。それでもどんなに無茶をしても、男子の体力にもついて行けない。黒子はもどかしかった。
黄瀬や桃井なんかは露骨に心配しているし、緑間だって何時も遠まわし過ぎて逆にわかりやすい心配をしている。黒子は彼らに申し訳ないと思いつつも無茶を続けた。身長は168になっていた。背が伸びる度に、嬉しいと思う気持ちとどうして生理が来ないのかという不安さで板挟みだった。
青峰の才能が開花したのをきっかけに、チームの全員がそれぞれの才能を開花させていったとき、黒子は目の前が真っ暗になった。
どれだけ足掻いても彼らの視界に入ることはできない。
それから、黒子は夏の大会の後姿を消した。顧問に退部届けを提出すると、渋るような様子だったけれど、無事に受理された。夏の大会から、無茶苦茶な練習も無くなったからなのか体が重いように感じていた。切る意味もなくなった髪は随分と伸びた。
吐き出す息が白くなったとき、黄瀬を見かけた。しまったと思っていたら、黄瀬は何の反応もしめさず取り巻きの女子と共に黒子の横を通り過ぎた。自意識過剰、誇大妄想、過大評価。そんな言葉が脳裏を過ぎり、黒子はかっと顔が熱くなった。
春。未だ着慣れないセーラー服に袖を通す。鏡で見ると体は随分と角がとれたようで、多少骨ばってはいるものの、男性に見間違えられることはなくなった。体だけではなく、髪も肩甲骨を覆う程度まで伸びた。伸ばしてから気づいたのだけれど、くせっ毛なようで髪は内巻きになってくるりとなる。
「行ってきます」
黒子は結局、高校でもバスケを続けていた。プレイヤーとしての限界を感じていたのでマネージャーとして関わっていた。元々新設校でもあり、部活動の数には限りがあったためか女子バスケ部は無かった。高校での部活動は少人数だったため、試合ではなくただのゲームとしてでは黒子も参加することもあった。中学時代程の切羽詰った様子の無い部活の時間が、黒子は好きになっていた。
仮入部期間が終わり、本入部をした。黒子はすっかり部活動にも慣れて同級生の男子とも先輩とも良好な関係を気づいていた。帝光時代は実力主義で先輩はいないも同然だった。黄瀬の進学した海常との練習試合という想定外の出来事もあったけれど黒子は一歩前進したようなやりがいを感じていた。(ちなみに黄瀬はすっかり「女らしく」なっていた黒子にただ驚いていた)
「黒子さん?!」
「え?」
学生でありながら監督も引き受けている相田の呼び声に振り向く。ガラゴロとバスケットボールを籠ごと運んでいるときだった。
「どうかしました?」
何やら険しい顔をしているため、自分が粗相をしたのだろうかと構えているとカントクは良いから来てと言って手を引いてずんずんと歩いていた。
黒子の通った道に、ぽたりと赤が垂れていた。
カントクはトイレに向かっていた。まさか、リンチだろうか。そんなまさかと思っているとカントクは少し気まずそうに視線をさまよわせる。
「あのね、黒子さん。垂れてるの」
「たれてる・・・?」
「だから。その、血が・・・垂れてる」
訳が分からず、そっとカントクがちらりと見たさき(黒子の足元)を見ると血がたれていた。黒子はへたりと座り込みそうになる。それをカントクが手を脇に入れて支える。
「ちょ、汚いから!」
「・・・すいません」
それでも力が出ずに手洗い場にもられかかる。
「もしかして、初めてだったりする?」
「・・・はい」
カントクは放心している黒子に「ナプキン、持ってるからとってくるわ。ここにいてね」と言ってトイレを出て行った。
(これが、生理)
手洗い場に備え付けられている鏡に映るのは青白い顔をした女だった。頬にサイドの髪が張り付いて、まるでホラーのようだ。
安心したような、気持ち悪さだけのような、不思議な感覚だった。
それから帰ってきたカントクは使い方を教え、今日は帰っていいからと言った。用意周到というか、帰る意外は許さない!とでもいうように黒子のカバンや着替えも持ってきたのだから黒子も従わざるを得ない。
ナプキンのある感覚は気持ち悪い。カントクに言うと笑うだけだった。
「黒子、大丈夫か?」
「はい」
翌朝ただ体調が悪いから帰らしたと言われただけの火神が心配すると黒子は二日目特有の気持ち悪さに耐えながらも頷いた。その様子は全く大丈夫そうではなく心配になった火神が保健室に行くかと言っても黒子は大丈夫ですと、矢張り青白い顔で言うだけだった。
部活ではカントクの視線をひしひしと感じていた。
「黒子さん、無理しないでね。市販薬だけど薬も持ってるから辛くなったら言って」
「ありがとうございます、でも大丈夫です」
「大丈夫そうじゃないから言ってるの!」
ぴん、とデコピンをされる。
部活に専念すると気持ち悪さも忘れて動き回っていた。
初めての月経は4日程で終わった。保健の授業では1週間かかると言っていたのにと不思議に思い、また遅い初潮だったからなのかと不安になり調べてみると初潮から暫くの間はそういう、不定期で短かったりするものらしい。
初潮は黒子家でささやかな祝いとなった。古風な家ではないけれど、両親共に不安になっていたのだと改めて黒子は気づいた。不安にさせていたのならば、やはり一度は産婦人科に行くべきだったろう。
それから少し調べてみると、黒子の中学生活のそれはとてもじゃないが生理を迎えるものではなかった。無茶な運動やストレスは生理を抑制していたらしい。それが良い事なのか悪いことなのか、高校で全部断ち切ってしまった途端に生理になるだなんて。
(結局、僕は離れなければならないのか)
課題をしながら、考えているのはバスケと彼らのことだった。結局のところ、黒子は矢張り女でありコートの中で彼らと等しい存在ではない。否、なれない。黒子はやっと男女の性差を身をもって経験をして、何時だったかの桃井の羨望の意味を理解出来た。