寝転び、武装を放り出して、息苦しく首まで詰まったインナーを脱ぐ。みっともなく、上半身だけを晒して、ひやりとしたシーツに身を委ねて、微睡み、
「ここ、は」
中庭だった。咲き誇る花も、アーチも、何もかも記憶のまま。思わず、あの悪夢かと息を呑んで、けれど、目の前には、鏡がある。鏡だろうか。鏡が口を開いた。
「こんばんは」
「……こんばんは」
「きみも、座ると良い」
椅子を引いて、顔を見合わせる。テーブルには白地のカップがいつの間にか置かれている。中身は、珈琲なのだろう。鏡は、それを手にして、飲んだ。俺は、飲んでいない。だから、これは鏡ではない。混乱する俺に、それは笑う。
「混乱するのも無理はないな、俺も、混乱しているさ」
「そうは見えないが……」
目の前の俺は、肩を竦めた。彼も、虚偽なく、状況を理解していないようだった。悪意も敵意も無い。彼に倣い、珈琲を手にする。ゆるゆると波打つものを、飲む。強い酸味が広がる。味がある。
それが、初めての邂逅だった。
彼とは、必ず会えるわけではない。中庭の光景が広がるのも何もかも、規則性はなく、ランダムなようだった。
「相変わらず、険しい顔をしているな」
「きみと、同じ顔だろう」
本当に、俺なのだろうかと思う程に彼は穏やかだった。過去の俺、ではないらしい。彼もまた、叛乱を起こして、パンデモニウムに収監されて、脱走をして、災厄を引き起こしている。同じく、コアで眠らされて──。なら、どうして、こうも穏やかであるのかと眉をひそめる。
「きみは随分と、ひん曲がっているな……」
まあ、俺もかと言って彼は珈琲を口にした。返す言葉もない、俺も、珈琲を口にして、今日は好みのものではないから、ソーサーにカップを降ろした。向かいの俺も、同じようだった。ならばどうしてこの味が、珈琲があるのかと思えば、簡単だ。
「ルシフェルさまが、好まれそうな味だな」
そうだな。知っているさ。言われなくたって、わかっていたさ。
甲板に出てぼんやりと流れる雲を見ていた。あの雲は、バナナに似ている。それから、ちょっと前に、ハーヴィンの女性陣が自室から発掘していた栄養剤を思い出す。あれは酷い事件だった。……思い出に浸りたい訳ではない。暇つぶしだ。珈琲を淹れるには、キッチンは慌ただしい。何も、することがない。こういう時、自分はなんてつまらない生き物なのだろうかとつくづく実感する。
「サンダルフォン」
「……なにか?」
「いや、気の所為だったようだ」
すまないと謝罪する思案顔に向かって、俺では力に成れませんか、とせり上がる言葉を呑む。言ったところで"きみが案じることはなにもないよ"と返される未来が視えている。気まずくて、向かう場所なんてどこにもないのに、自室とは真逆へと彷徨う。彷徨っているうちに、倉庫に辿り着いて、掃除を手伝わされる。礼を言われて、悪い気はしない。
「きみと、ルシフェル、さまは、どういう関係なんだ」
頭を抱えた。夢の中で会う彼は、俺自身ではない俺である。願望ではない、どこかの俺であるという。とうとう頭がトチ狂ったのかと思う。
「きみが想像する通りの関係だよ」
「それが、想像できないんだよ……」
髪をくしゃり、かきあげる。目の前の俺はくすくすと笑っている。小ばかにしたものではない。俺は、そういう風に笑うのかと初めて知った。今も、笑えるのだろうか。
「俺は、きみが理解できない。なぜ、刃向った、裏切った人の隣に立つ。烏滸がましいと思わないのか」
「それは、思うさ、自分でも、虫が良すぎると、わかっているさ」
悲しげに、それでも彼は笑う。それでも、きみも、わかるだろう。わかりたくない。どうして、俺が泣きたくなるんだ。
くぁと欠伸をすると、団長が笑った。良い天気だもんね、眠くなるよ。そうだな。ルシフェル様がちらと相変わらずの考え込む仕草をしているのが目について、目を閉じて、眠るふりをする。早く、あっちへ行け。
「教えてあげようか」
手が伸ばされる。カップに手を掛けていた指がほどかれて、その指が絡まり合う。最初から、そうであったように、ぴったりと。
「あの人が、どんな風に、俺に触れるのか」
「サンダルフォン!」
「ルシフェル様?」
どうして、此処にいるのだろうと振り返る。その間に、絡めた指をほどいて、目の前の俺は立ち上がる。ルシフェルさまはぎょっとしたようにしてから、座っている俺を庇うようにして前に出る。困ったように笑ってから、立ち上がった俺が、口を開く、
「きみは、少し素直になるべきだろう。俺が言うのも、おかしいが」
「そうだな、きみもきっと、素直ではないだろう?」
「ああ。この性格には、苦労しているよ……自分だからかな。きみの前では、嘘も何も、なかった……それでは、もう二度と、会わないだろう」
「……ああ、さようなら」
あなたに、その目で見られるのは随分、堪える。去り際に、そうぼやいて、粒子となった。中庭も、崩壊して、俺は、
目を覚ます。手が暖かい。その先を辿る。ルシフェルさまが俺の手を握って、ほっとしたように息を吐いて、安堵したように、微笑する。きらきらと、輝いている。眩しさに、目を細めて、手を握り返した。
「きみが、いなくなるのではないかと、思った。消えてしまうのではないかと、不安になった」
「……いなくなっても、あなたには、関係がないのでは?」
ゆるりと、首が振られる。
「サンダルフォン、私は、きみが思っているよりも、きみは、知らないだろうけれど、きみのことが、大切なんだよ」
少し、素直になっても、いいかもしれない。あの俺が出来て、この俺ができないことはない、はず。
2018/06/17