ピリオド

  • since 12/06/19
 会場に入る前に、手渡された仮面を付ける。洒落たデザインを省いた、白いだけの、目元を覆うだけの簡素なものは、それでも、互いの素性を隠すという面において効果的であるらしい。二階の個室に通される。階下の"商品"とモニター、それから来場者がよく見える席だった。誰もが同じく、仮面を被り、それでいてこれからの悪趣味なものに興じて、ざわついている、酷く、おぞましい光景に、気分が悪くなる。
「お前も興味があれば参加すればいい」
 ルシファーはパンフレットをパラパラとみている。双子の兄が、世間に出回ることのないものが出品されるオークションを利用して、実験に用いていることを知ってはいたものの、生憎と興味はなかった。それが倫理に反するものだとわかっていても、ルシフェルにはルシファーを止める事は出来ない。ルシファーの気まぐれで連れてこられたものの、帰りたいと思う。金持ちの道楽である悪趣味なこの場は、居心地が悪く、息が詰まる。
 ブザーが鳴り、オークションが始まる。進行人はデザインが異なるものの、同じく仮面を被っている。次々と出品物が運ばれ、モニターに映される。下卑た説明の声と、それを笑う声に、知らず嫌悪を表していた。
「お次は。今回の目玉である天司です」
 運ばれたものに、息を呑む。
 透明なケースに入れられた、少年と青年の狭間にいるような、このような場に不釣り合いな姿。光を受けて赤みがかった、ゆるりとした癖のある黒髪。黒い布で覆われたその下の眼は、きっとルシフェルの知る色をしている。会場の眼は、生憎とその容姿には向けられいない。注目されているのはその背中だった。猛禽のものによく似た茶色の羽根が、つくりものではないということは、付け根を見ればわかる。皮膚を突き抜けて生えたその姿に、下卑た声が浴びせられ、嫌悪を抱く。慈しんだものが、そのような目で見られていることが、ルシフェルには許し難いことだった。進行人が開始を告げると、ルシフェルが価格を提示した。モニターに表示された価格に、会場がざわめく。カンカンと、木槌が叩かれ「他にどなたかおられませんか」と煽れば、負けるものかと言わんばかりに値が上がり、それをまた、はるかに超える額をルシフェルが提示する。繰り返すうちに、煽りを受けて張り合う人もいなくなる。カンカンカン。木槌が振り落される。落札されましたという声が高らかに会場に響いた。そして、何事も無かったように、次の商品に切り替わる。横では、ルシファーが僅かに驚いた様子を見せたものの、モニターに視線を戻していた。
「まさかお前が参加するとはな……。愛玩用にでもするのか?」
 その言葉に嫌悪を抱く。記憶が無くても、性質は変わっていない。俺には関係の無いことだ、好きにすればいい。お互い良い大人だろうと、からかう様に言った。仮面を取り外し、個室を出る。手もみをする関係者に通された部屋に、ルシフェルが競り落とした彼はいた。裸のまま目隠しをされ、両手と両足、それぞれをベルトで拘束をされ、寝台の上で震えている。ルシフェルが無言のまま、拘束をしているベルトをとり、そして、目隠しを取る。瞼が、ひくひくとけいれんするようにしてから、おずおずと開かれ、血のような、夕焼けのような、赤い目がルシファーを見上げる。しっかりと視線を合わさってなお、震える目に、ルシフェルは出来る限り優しく、
「サンダルフォン、遅くなってしまったね」
 ルシフェルはコートを脱ぐとサンダルフォンに羽織らせ、抱き上げた。おそろしく、質量の無い軽さで、拍子抜けをする。腕に収まるサンダルフォンは縮こまり、怯えていた。その仕草に胸が痛む。サンダルフォンに、天司であった頃の記憶がないことは、分かってしまった。だからこそ、かつてルシフェルが造った身体で生まれおちたことは、何よりも、サンダルフォンにとっての不幸だった。その姿でなければ、このような運命を迎えることはなく、真っ当な世界で生きていたのかもしれない。その運命で、サンダルフォンとルシフェルは出会えなくても、幸せであるならばとと、何処かで笑われる声が聞こえても、ルシフェルは思う。震える体を、宥めつづける。誰ともすれ違うことなく、駐車場にむかうと、運転手が慌ててタバコを消して、驚いたようにルシフェルの手元を見ていたが、何時ものように、ご自宅まででよろしいでしょうかと聞く。静かな車内で、ルシフェルは肩に寄り掛かった僅かな重みに笑みをこぼした。その美しい笑みを見てしまった運転手は、安堵する。何処か、人間離れしたその人の危うさが恐ろしかった。初めて人間らしいものを見た。けれど、その光景は、見てはいけない神聖なもののようで、きっと誰に言うことなく、忘れなければらないものだった。
 人の気配を好まないため、手伝いの者を雇っていない自宅は静かに、新たな住人を歓迎する。誰にはばかることなく、ルシフェルは寝台にそっとサンダルフォンを降ろした。コートは邪魔だろうかと、脱がせようとして、その手がしっかりとコートを掴んでいることに気付く。起こすことも忍びなく、明かりを調整する。気分が落ち着くようにと、小さな橙の明かりに照らされたサンダルフォンの顔色は、お世辞にも良いとは言えない。安らかな寝顔とは程遠く、強張っている。哀しい気持ちになる。再び、穏やかに笑える日が来るようにと、願わずにはいられない。
「ここには君を傷付けるものは何もない。おやすみ、サンダルフォン」
 額に口づけを落とし祝福を願う。

夢見る小鳥


 夢から僅かに浮かび上がって、暖かなものに包まれていることに気付いた。暖かく、優しい匂い。根拠は何もないというのに、初めて抱いた絶対的な安心感に、すり寄り、再び、夢に落ちる。それから、眩しさに、今度こそ目を覚ました。上体を起こして、起き抜けのぼんやりとした、霞掛かった頭で、ここはどこだろうと考えて、ああ、そういえばと昨日のことを思い出す。物心ついた時から言い聞かされていた。お前はきっと高く売れると、にやにやとした男のいってきた通りに、落札値は記録に残るものだった。自分にはそんな価値はない、この羽にはそれだけの価値があるのだろうかと、自身の羽に触れた。柔らかい羽を忌々しく、傷付けようとしてされた折檻を思い出す。その道のプロによってされた折檻で、体に傷がつく事は無くても、心にはしっかりと傷痕が刻まれている。それでも、人買いのもとで他の商品に比べれば、恵まれていた。決められた時間に起こされて決められた食事をとり、学習をさせられ、決められた時間に眠る。毎日、その繰り返しだった。徹底的に管理された生活は、商品価値を上げるためのものだった。
 カーテンの隙間からの日差しが室内を照らす。ぐるりと見渡して、今まで見たことの無い、大きな、広すぎる寝台の上にいることに気付き、慄く。自分が使ってはいけないものだと思い、慌てて飛び起きる。その時に、シーツに足をもつれさせて転がり落ちた。痛みに呻き、打ち付けた臀部をさする。寝台の上には矢張りというか、思っていた通りに抜け落ちた羽が散らばっている。茶色の羽根をひとつつまみあげる。こんな羽、なければと思っても、普通の生活というものが分からない。もしかしたら、あの生活は、人買いの下は幸福であったのかもしれないとすら思うのだ。競り落とした男は、身なりの良い、まともそうな、美しい容貌をしていたけれど、そんな"良い人間"があのオークションに参加するとは思えない。きっと、中身は、どろどろとした醜いお化けにきまっている。美しい見た目で油断させたところで、ひどいことをするに決まっている。決して、信じてはいけない。
「起きてたんだね、おはよう。サンダルフォン」
 声を掛けれて肩が跳ねる。サンダルフォンとは、自分のことだろうかと思いながら、頷いて改めて男を、ルシフェルを見る。きらきらと銀の髪が日差しを受けて輝いている。もしくは、ルシフェル自身が発光しているのではないかと思う程の眩しさに、目を細めた。人離れした美しさ。本当に人間なのだろうか、とすら疑問を抱く。サンダルフォンは天司、と言われているがその身はただの人間である。何の特殊能力も無く、ただ羽が生えただけの人間である。そもそも飛べない。本当に、羽が生えているだけなのだ。寧ろこの男こそ、天司と言われても、やはりそうなのかと納得してしまう。
「朝食を用意しているのだが、食べられるだろうか?」
 見惚れていたために、反応に遅れてしまった。慌てて肯首する。着いていけば言いのだろうかと立ち上がると、
「……少し、そのまま、待っていてほしい」
 ルシフェルは慌てたように何処かに行ってしまい、サンダルフォンは立ち尽くす。そのままと言われたため、律儀にその場に立ち尽くしていた。ほんの数分で、ルシフェルは戻ってきた。手にはシャツを持っている。私のもので申し訳ないのだがと言われたが、サンダルフォンにすれば、訳も分からないことの連続に混乱をしてしまう。手渡されたシャツと、ルシフェルを見比べるサンダルフォンに、ルシフェルは優れた頭脳と殊、サンダルフォンに関してはずれた観察眼で安心させるように言った。はさみを見せて、
「一度、着てくれないか? はさみで切り取るから」
 ぞっと、青褪める。
 震える手で、袖を通した。白いシャツはサンダルフォンの太ももの半分を隠している。それから、ボタンを付けようとして、うまくいかない。はさみを構えたルシフェルが背後に回る。襲い掛かる痛みにそなえて、目をつむった。じゃきりじゃきり。痛みはない。こわごわと、目を開けて後ろを見る。羽はある。動かせる。くり抜いた場所から、羽が出ている。
「窮屈ではないだろうか?」
「……はい」
「ヒューマンの服しか持っていなくてね……。エルーン用の服なら都合が良いだろうか」
 言いながら立ち上がったルシフェルが、切り抜いた布地を寝室に屑箱にいれた。その姿を目で追いかけて、サンダルフォンは茫然として、体から強張っていた力が抜けた。ぐぅとサンダルフォンの胃が空腹を訴える音に、ルシフェルが笑いをかみ殺しながら、着いておいでと言うものだから、顔を真っ赤にさせて追従するしかない。

おびえる小鳥


「冷めてしまったな……。温め直すから座って待っていてくれ」
 ダイニングキッチン、と呼ばれるところもまた広く、吹き抜けの天井をファンが回っている。サンダルフォンは物珍しく、それを見上げて、声を掛けられてから、その場にぺたりと座り込んだ。フローリングは冷たいが、痛くはない。これで良いのだろうかと、ルシフェルを見上げる。ルシフェルは眉を下げてサンダルフォンに近寄ると、手を伸ばした。何か、間違ったのだろうか。痛みには慣れているけれど、好きではない。じっと、痛みを待つ。けれど、いつまでも痛みはない。腕を引かれて、立ち上げられると、ルシフェルに引かれるままに、椅子に座らせられる。ここは"人"が座る場所なのに、良いのだろうか、と不安になる。あとで、怒られるのではないかと、怯えるサンダルフォンの前に、湯気を立てたスープと、数種類のパンが入ったバスケットが置かれる。美味しそうだなと、素直に思った。
「口に合えばいいのだが……」
「……俺が、食べてもいいんですか」
「君の為に用意したものだよ」
 どうしてだか、胸が締め付けらたような苦しさを覚えて、泣きたくなるのを堪えて、サンダルフォンはスプーンを手に取った。美味しい、温かい。カチャカチャと音が鳴っていることにも気づかず、食べ進める。既に朝食を終えていたルシフェルは、一心に食べる姿を眺めながら珈琲を口にした。よっぽどお腹が空いていたようだった。食欲は十分にあるらしいから、もう少し量を多くしても良いだろう。昼食は何を用意しようか。サンダルフォンとの生活を思い浮かべるたびに、胸が暖かくなる。スープを飲み終え、パンを手にしていたサンダルフォンは、口元に笑みを浮かべたルシフェルに、見惚れてしまった。もしかしたら、この人は本当に天司なのではないかと、バカバカしいことを考えてしまう。視線が、合う。
 サンダルフォンは慌てて、手にしていたパンに視線を戻す。小麦粉がまぶされた白いパンはふかふかで、指先が埋まっていく。その様子を視界に入れながら、認識できない。不躾と思われて、折檻されるかもしれないと怯えるサンダルフォンに対して、ルシフェルには、その様子が悪戯がばれてしまった子どものように思えて、愛しさが募る。それから、記憶はなくても、と期待が僅かに浮かび上がる。
「少し、飲んでみるかい?」
 白地に紫のラインが入った陶器を差し出す。パンをスープ皿に置いて、おそるおそると、サンダルフォンは受け取った。高級そうなカップで、手にすることが自体に尻込みをする。大切に、両手で受け取る。香ばしいといえば聞こえの良い、焦げたような燻った臭いが鼻につく。並々とゆらぐ、真っ黒い液体を口に含み、飲みこんだ。美味しくない、苦い、すっぱい。口の中がパニックを起こす。なんだこれは毒かと思って、でも至って平気に飲んでいた様子を思い直す。それどころか、味わっていた。
「美味しいだろうか?」
 聞かれて、困る。素直に言えば"まずい"のだろうけれど、彼は同意を期待している。サンダルフォンは、美味しいです、とへたくそに笑顔を作って応えた。染みついた、褒めるべきものではない奴隷根性は主人を立てようとする。
 その表情は、かつて初めて珈琲を飲んだときに浮かべたものと全く同じで、人の身となったことで、ルシフェルは彼の気遣いを知ってしまった。あの時も、本当は美味しいと思わなかったのだろうけれど、ルシフェルを気遣って、無理に飲んでいたのだと、改めて知る。けれど、それから珈琲の研究をしだしてからは、本当に好きになってくれたのだとも、分かったのだ。何もかも、今更になって知ったことだ。
 黙り込んでしまったルシフェルに、失敗した、機嫌を損ねてしまったと、サンダルフォンは、頭が真っ白になる。ぶたれるだろうか、首を絞められるだろうか、詰られるのだろうかと折檻を思い浮かべる。羽には触られたくない。羽に触れられるのは、とても許せないことで、首を絞められるような、心臓をつかまれるような、ひやりと、それでいてあつく、言い表しようのない、恐怖を感じるのだ。矢張りこの人もこわい人なのだと、自分はどうして簡単にこの人を信じようとしたのだろうと、失態に悔やむ。
 だから、無理をして、飲みほした。美味しいと思っていますと言わんとして、失敗した。
「無理をしてはいけない。サンダルフォンの舌にはまだ早いものだったろう、すまない」
 ひどく、申しわけ無さそうにいわれてサンダルフォンは衝撃をうける。どうして、そんな風に、まるで、人に接するように、扱うのだろう。自分は買われたのだ。あなたは、所有者だ。気を遣う必要なんてない、押し付ければいい。ただしく、振る舞うから。
 まるで、自分が"人間"であるように、勘違いしてしまう。
「そんなに口に合わなかっただろうか?」
「ちがいます」
 あなたがいうように、おいしいと、思いたいのですと、サンダルフォンは嗚咽交じりにこたえる。ルシフェルのことをまだ知らない。もしかしたら本当に優しい人かもしれない、非道い人かもしれない。何も知らない。けれど、名前を付けてくれた人を、呼んでくれたひとを、信じたいと、愚かにも思ってしまう。手酷い裏切りがあっても、それでもかまわないと思ってしまう。それは、サンダルフォンにとって初めて芽生えたものだった。何かを望むことを諦めてきた生のなかで、初めて願った。

あなたの小鳥


 珈琲の興趣ともいうべき、酸味や苦味にはまだ慣れていない。もう、舌に馴染んできただろうかと、砂糖も牛乳も加えられていないものを口に含むたびに、サンダルフォンはぎゅっと顔をしかめて、味わうなんてとんでもない状態になる。まだまだ、砂糖と牛乳が手放せない。いつかは、ルシフェルさまが淹れてくださった珈琲を、そのままに味わいたいと意気込みながら、甘くて美味しいカフェオレに不満をこぼす。幼気に口を尖らせる姿にルシフェルは癒しを見出しているのだが、サンダルフォンは知る由もない。サンダルフォンにとって、ルシフェルは"ご主人様"である。ただ、ご主人様と呼びかけたとき、ルシフェルが見たことも無い形相でその呼び名を禁じた。すっかり、縮こまったサンダルフォンに、名前で呼んでほしいと言えば、サンダルフォンはおずおずと"ルシフェル様"と呼びかけるようになった。
「──ルシフェルさま、宅配便です」
「ああ、もう届いたのか。ありがとう、サンダルフォン」
 ルシフェルは手にしたカップを置いて玄関に向かう。サンダルフォンは玄関モニターを切ると、悪戯に、ルシフェルの置いて行ったカップを手に取る。一口、飲む。矢張り、美味しくない。ルシフェルが戻ってくる気配に、慌てて自分の椅子に座り、カフェオレを飲む。戻ってきたルシフェルは、大きなダンボールを持っていた。その見た目に反して中身は軽いらしい。インドア気質という程ではないにしろ、ルシフェルが外出をするのは稀な事だった。殆どをネットショッピングで済ますか、あるいは、仕事帰りに立ち寄る程度で、家にいることが多い。ルシフェルの傍は落ち着くので、サンダルフォンにとっては有難いことである。今度は何を買ったのだろうと、サンダルフォンはダイニング続きのリビングの床で、ダンボールを広げる様子を見る。中から取り出されたのはブラシ一つだった。たったそれだけにしては過剰包装ではないかと思っていると、ルシフェルが手招きをする。
「サンダルフォン、こちらへおいで」
 ぱっと駆け寄ると、ソファに座っているルシフェルを見て、迷ってから、隣に座る。
「なんでしょうか?」
「うん。後ろを向いて、羽を見せてくれるかい?」
 言われて少し迷ってから、背を向けた。エルーン用の服はサンダルフォンにとって都合がよかった。羽が邪魔にならないし、それでいて暖かい。世界にはこのようなものがあるのかと、覚えた感動は忘れられない。羽を広げると、やんわりと手が添えられ、筋に沿うようにブラシが掛けられる。未知の感覚に背筋が粟立ち、悲鳴をあげそうになったが、慣れると、思っていたよりも優しく、気持ちが良い物で、サンダルフォンはふらふら、こくりこくりと舟を漕ぐ。ふっと、笑いをかみ殺した、息の漏れる音に、はっとしたように、寝ていませんと、姿勢を正す。ルシフェルは耐え切れず、笑ってしまった。サンダルフォンが肩越しに、気恥ずかしそうに、ちょっと恨みがましく、ルシフェルを見る。
「すまない、眠ってもいいよ」
「だ、だいじょうぶです!! 寝ません!!」
 ルシフェルは笑いを耐えようとして顔に力を入れようとして、失敗をした。広げられた羽を整える手は優しいままで、サンダルフォンはすっかり、ルシフェルに身を任せている。羽に触れられることに怯えた姿が嘘のように、安心して、寛いでいる姿にルシフェルは満ち足りていく。ブラシをかけ終わり、梳かしてふわふわになった羽に触れる。自身の仕事に満足を得ながら、もういいよと声を掛けるも返事はない。顔を覗き込めば、すやすやと気持ちよさそうに、膝を抱えて眠っている。背中の羽の下と、膝裏に腕を挿し込み抱き上げる。相変わらずの、飛んで行ってしまうような、吹き飛ばされてしまうような軽さに、憂慮する。けれど、この羽で飛ぶことは出来ない。体が軽量するように一代限りの変異を見せても、その羽は、体を支えられない。この子は、どこにも行けない。
 リビングの日当たりが最も良い場所に陣取っているハンギングチェア。入口以外が繭のように覆われているデザインのチェア部分。ルシフェルが留守にしている日中は、そこに包まっているらしい。使用した形跡は多く、クッションや、サンダルフォンを招いた日にとりあえずと着せたシャツが、いつのまにか持ち込まれている。生憎と、使用している様子をみたことはない。ルシフェルが在宅のときは、ぴったりとくっついて回っている。サンダルフォンを降ろそうとして、シャツがしっかりと握りしめられていることに気付いた。
 中々にバランスを取るのが難しいと思いながら、サンダルフォンを抱えたまま腰を下ろす。ゆらゆらと揺れる感覚は不思議なものだった。ゆりかごに、似ているのかもしれない。腕の中の温もりと、規則的な呼吸音、とくとくと聞こえる命の音に、睡魔が顔をのぞかせる。
 繭に覆われた世界で、幸福にすり寄って、目を閉じた。

わたしの小鳥



2018/05/26
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