ピリオド

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 スペア。愛玩用。不用品。ぐるぐると頭の中で繰り返し、繰り返し、蘇る。その言葉を紡いだのは、あの御方ではない。けれど、同じ声なものだから、さも、あの御方に言われたようなおそろしい気持ちになる。そして、あの御方は何一つとして否定をなさらなかった。それが、己の存在価値を示しているのだと、わかってしまった。あの子は不用品ではないと、否定をしてほしかった。あの方がそれを認めてしまえば、本当にこの世の何処にも居場所がなくなってしまう。じんと目頭が熱くなり嗚咽をもらしては、喉を掻きむしる。慕っていたのに! 役に立ちたいと、言ったではないか! 勝手に抱いていた、押しつけがましい感情が、憎悪に変わっていく。真っ黒い感情ばかりが渦巻いて、おぞましい怪物になっていく。そんなものになりたくないのに、けれど、どうしようもない。誰か誰かと、助けてと叫んでも、誰も、あの人は、だって。
「サンダルフォン」
 はっと目が覚める。なにか、悪いことを考えていた気がする。
「サンダルフォン」
 再度呼びかけられる。穏やかな青い目も、ゆるやかに、僅かに、弧を描く口元も、何もかも、見知ったものだ。たった一人の優しい人を、敬愛する人を、見間違えるはずはない。どうして違和感を覚える必要があるのか、自分でもわからない。きっとさっきまで、覚えてはいないけれど、何か悪いことを考えていたから、引きずっているのだ。この御方を疑うなんて、まったくもってナンセンスだというのに。
「おいで、サンダルフォン」
 差し出された手を取ろうとして、あれと違和感を覚える。けれど、それを口にしてはいけない気がした。陽だまりを宿しているような手と思い込んでいたものが、ぞっと冷たいもので矢張り、何かがおかしい。どうしようと迷う。さっきまでの自分が揺らいでいく。ここから逃げなければと頭でサイレンが鳴る。けれど、何故逃げるのだ、何処に逃げるのだ。
「さて、行こうか」
「何処へ行くのですか」
 きっと、優しくほほ笑まれていた。はずなのに、この人がとても、おそろしく思う。あの星の民のように、研究者のように、とても、ひどく、おぞましいことをしているような気がしてならない。そんなこと、あるはずがないのに。一歩一歩と手を引かれ、歩き出す。どうして瓦礫の山があるのだろう、ここはいったい、自分はどうしてこんなところに。それを聞くことが、出来ない。三対の翼が広げられる。純白の、清廉な二対。力強く大きな、夜色の一対。何もおかしくはない。いつもと、かわらない。
「楽園だよ」
 ぐにゃりと視界が歪んだ。



 ぱっと視界が晴れる。目をしばたたかせて、自分が寝台で眠らされていたことに、寝台が薄いレースに囲まれていることに気付いた。薄いレースといえども何重にも重ねられていて、その奥が、寝台のある場所がどの様子であるかは分からない。それでも、見知らぬ部屋であることは想像がつく。与えられた部屋でもなければ研究室にも実験室にも、このような洒落た造りのものはなかった。起き上がろうとして、失敗する。鉛どころか、自分の肉体ではないような重さに手足は動かず、少し動こうとするだけで視界がぶれ、脳が剥離するような、ゆらゆらとして、気持ち悪さが、吐き気が込みあがり、冷や汗がどっと噴き出す。やり過ごせるものではなく、ぐしゃりと潰れる。
「起きかけに、急に動いてはいけないよ」
 俯せになってしまった体を、そっと仰向けに動かされる。そろりと動かされたとわかっていても、浮遊感がおさまらずに、しかめってしまう。決してあなたが嫌なわけではないのです! と言えればいいのだけれど、それすらままならない。口を開くことも億劫なほどに、意識が遠のいていく。覚えのある感覚だった。何時だったかに耐久実験と称して大量の薬を接種した。口からも皮膚からも、あらゆる方法であらゆる毒を注がれて、その時もすうと意識が遠のいた。目覚めたときに、ルシフェルさまにもう手伝いはしなくていいと言われて、安堵したと同時に、何か大切なものを取り上げられたような不服さを持った。そういえば、あの時の研究者とは顔を合わせていないなと、名前も顔も忘れてしまった星の民のことを思い出した。ルシフェルさまがシーツを整えて、顔にかかった髪をはらってくださる。そんなことをさせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。偶然触れた、冷たい指先にぞっとしたけれど、隠す。隠せているかな、と伺う。
「顔色が悪い……。もうしばらく、眠っていなさい」
 隠せているようだった。
「るしふぇるさまは?」
「……私は、ここにいる。どこにもいかないよ」
「よいのですか?」
 ルシフェルさまがいらっしゃるのにどうしてこんな状態なのだろうかと自身が情けなくなる。いつも予定の合間をぬって会いに来て下っていた。嬉しかったけれど、それが負担になっているのではと不安だった。それなのにこのような無様な姿で、迷惑をかけている。
「ああ……。きみは、許してくれるだろうか」
「おれなんかの、ゆるしなんて」
 呂律が怪しい。
「でも、うれしい」
 我慢できずに、瞼を閉じた。すうと深いところにおちていく。不意に何か氷のような冷たいものが唇に触れた。思わず身動ぎしそうになったけれど、それすらできずに、意識が遠のいていく。



「おはよう、サンダルフォン」
「……」
「まだ、体調は悪いだろうか」
「いえ! 大丈夫です! おはよう、ございます」
 不安げに揺れた瞳に、穏やかさが戻られる。目覚めてルシフェル様がいることに驚きながら、それ以上に喜びが勝る。夢ではなかったのだ。あれからどれだけ眠っていたのか分からない。けれど、さっき目を覚ましたときには無かった本が、山のようにつまれている。自分はどれだけ寝過ごしていたのかと不安になる。眠る直前まであった吐き気もなにもない、それどころか清々しさすら覚える。上半身を起こそうとして骨がぽきぽきとなって、本当に、どれだけ寝過ごしていたのかと呆れてしまう。ルシフェル様が手にしていた本にしおりを挟んでいた。
「何を読んでいたんですか?」
「空の民が書いたものだよ、娯楽小説という区分のものだ。読んでみるかい?」
「俺でも、読めるでしょうか?」
「私が教えよう」
「そんな!! ルシフェル様のお時間を割いてまでは」
「気にしなくていい、それに時間なら余るほどにあるのだから」
 目に見えて喜ばしい様子だったから、つられて嬉しくなる。頬に垂れた髪を耳に駆けようとして、ああ……そういえばここには角があったんだ。

2018/05/22
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