ピリオド

  • since 12/06/19
 一般的には、裕福と言われる家庭で育った。互いを想い合う仲睦まじい両親の下で、双子の兄と共に愛されて育った。言われるがままに就いた職ではあるが、やりがいは感じられるし自分の性質に合っているようで、不満は何もない。有難いことに、異性から好意を向けられることも多い。応えることは出来ないが、好まれることは嬉しいと思う。
 恵まれている。
 なのに、物心ついた時から、何かが欠けていた。
 その欠片の形は分からない。ぽっかりと、空いてしまっていて、埋めようとしても、何をしても、その代わりが見つかる事は無かった。
 どういう経緯だったかは忘れたが──どうしようもなく、くだらない理由で──酒瓶を何本も開けたときに、双子の兄に打ち明けた。産まれて以来、物心ついて以来まとわりついてきた違和。双子であるならばという期待は、呆気なく砕かれる。生まれつきの色素の抜けた銀の髪も、青い目も何もかもが鏡写しのようにそっくり同じだと言うのに、酷薄な笑みを浮かべた兄は「これ以上、求めるものがあるのか」と言うと酒を煽った。
 私は、恵まれている。
 幸せだ。
 食べるものに困った事は無い。差別をされたことはない。やりがいのある職に就いている。
 幸せだと、思わなければ、ならない。
──なのに、自分自身でも何を求めているのか分からず、誰にも理解をされない。息苦しさを覚えるようになっていた。
 幸福であることを、受け止めきれないでいる。
 幸福だというのに、物足りなさを感じている。何かが、足りない。



 老後を田舎で過ごしたいという両親から、所有していたマンションの一部屋を譲り受けた。結婚や孫を期待しているのだろう、両親の仄かな願望がちらりと見え隠れするファミリータイプの構造だ。両親の期待を裏切って申し訳ない気持ちもあるが、添え遂げたいと思うような相手はいない。
 一人暮らしのうえに、物を持たない生活をしているため、部屋を幾つも持て余している。一人暮らしには広すぎる部屋だ。しかし、街を一望できるルーフバルコニーは気に入っている。
 木製のガーデンテーブルセットはまめな手入れが必要だったが、気に入っているデザインで、面倒だと思う事は無かった。ガーデンテーブルセットを囲むように、四季にあわせて取り替えている花は、自信に溢れたように咲き誇っている。自慢の、庭。けれど、漠然と、想像する、理想としている庭ではなかった。何かが足りず、検討もつかない。
 ガーデニング、ともすれば植物を育てることは数少ない趣味だった。
 始まりは、母親が育てているのを目にしてからだ。器用とは言い難く、飽き性の母親が数度、手を付けたきり放置していた植木鉢。水をやり、鉢を変え、環境を整える。数週間で、小さなツボミから、真っ白い花が開いた。その光景に、僅かに満たされた気分になった。
 自分の手で、育て、そして応えられる喜び──。
 それから、一般家庭では困難といわれるような専門的な品種に手を出す様になると、その道に進むのかと兄は不愉快そうに言った。少しだけ、悩んだものの、結局、趣味と割り切ることにした。
「職にすることはない。あくまでも、趣味だ」
「そうか。とうとう、お前がいかれてしまったかと思ったが、安心した。お前の能力は有効に活用するべきだからな。園芸なんぞ、宝の持ち腐れだろうよ」
 そう言って笑った兄こそ「いかれている」のだと、口にする事は無いものの思う。弟の贔屓目であっても、兄は優秀な、頭の良い人だった。天才、というのだろう。彼が手にかけている研究は人のためになるだ。ただ、彼が決して誰かのために研究をしている訳でもなければ誰かの悦びのために研究をしているわけではないと知っている。彼こそ、道楽なのだ。己の知的好奇心を満たすための研究が、たまたま、人の役に立っているだけに過ぎない。そして、その道楽のために、表立って言えない世界に足を踏み入れ、他人の人生を翻弄している。
 善良で、息子を信頼している両親が知れば卒倒してしまう行いを、彼は平然と、罪悪感の欠片もなく手にする。



 両親は、古くから伝わる天司信仰に熱心だった。教えの通りに、静謐に堅実に、清廉に生きてきたという彼らは確かに幸福そうに見える。信心深い両親の下で、幼いころから話を聞かされたというのに兄弟そろって信仰心がないままに育ってしまったけれど。
 いまも世界を守り続けているという天司長の安寧を祈る日は、祝日となっている。
 かつて世界を滅ぼそうとした邪神という側面と、世界を守り続けているという側面をもつ天司長。
 天司長の伝説は各地に残っている。
 空飛ぶサメを沈めたという伝説はアウギュステで今もなお、語り継がれている。そして、今でも天司長のことを邪神として扱い、忌み嫌う地域は存在している。
 それらの情報は、学生時代の授業の一環で調べ、記憶に残っていた。
 安寧を祈る、と銘打っておきながらその実殆どはお祭り騒ぎだった。昨夜、通りがかった街並みはパレートのために飾り付けられていた。バルーンや可愛らしい看板の横を通りながら、居心地の悪さに足早にマンションを目指した。かつて、体験した通りで変わっていなければ、昼には子どもたちが天司の装いをして練り歩くのだろう。──生憎と、パレードを共に見ようと思うような親しい友人もいなければ、特別に慕う人もいない。毎年、普段の休日と変わり映えなく過ごして、何が楽しいのだろうと、斜に構えたつもりもなく、ただ不思議にお祭り騒ぎを横目で見ていた。



 長年の生活による体内時計は正確で、休みとはいえいつも通りの時間に目を覚ました。掃除や洗濯をしたところで、毎日しているためそれほどの量は無く、時間はかからない。人込みに態々出かけるような至急の用事もない。買い溜めていた本を思い出して、手を伸ばした。字を追っているうちに、目に疲れを覚えて、ちらりと確認した時計は昼前になっている。
 そういえば。ふと、つい先日、手入れをしたばかりの花を思い浮かべる。
(バルコニーで、珈琲でも飲もうか)
 手にした本を閉じて、冷めて香りもとんだ珈琲を飲み干して、ソファから立ち上がる。
 ガーデニングが趣味と言えるなら、珈琲は好ましい、と思えるものだった。
 特別に好む種類があるわけではない。けれど、強い酸味も、苦みも好ましく思う。共有したいと、漠然と思い描く誰かは霞掛かったようにおぼろげで、輪郭もわからない。
 淹れなおした珈琲を手に取り、バルコニーを前にして違和を抱き、立ち止まる。換気のためにと、ガラス戸は開いている。風が入り込むたびに、レースカーテンがひらひらと揺れている。
 高層マンションのルーフバルコニー。踏み入れるためには、室内を通るしかない。外部からの侵入だなんて、絵空事の怪盗。だというのに、レースカーテンの向こうには人影が写っている。



 パレードで使われるものよりも精巧な、古い鎧。時代錯誤な鎧を、当然のように堂々と身に着けている。肥沃な大地を想わせるこげ茶色の髪はゆるやかに輪郭を覆い、赤スグリのような目は、愛しいものを見るように、ほっそりとした指先は戸惑いながら、おそるおそると、白い花弁をなぞっている。
 不法侵入の不審者だ。追い出す、しかるべき機関を呼ぶべき。あるいは、危害を加えられるおそれがあるのならば、息を殺して、隠れて身の安全を優先するべき。頭では、わかっている。なのに、冷静な判断が出来ない。
 くらくらと、脳が揺さぶられる。体の奥深くから、湧き上がってくる熱いもの。
 思い描いた庭。求めていた庭。
 欠けていた、なにか。
「きみ、は……」
 気付けば、声を出していた。
 青年と、視線が合わさる。
 赤い目が見開かれた。
 青年の口が、戦慄いた。
──ルシフェルさま
 かつて、存在したといわれる天司の名前。始まりの、天司長。あやかって付けられた、私の名前。天司信仰が多いために、決して珍しい名前ではない。由来である物語を聞いても何も思う事は無く、心に響くことはなかった。教養知識として、頭にあった。
 なのに、彼が口にした名前に心が震えた。
 誰に名前を呼ばれても、なにも思わない。
 目を丸くした青年は、はっとしたように背中から翼を出現させた。三対の、純白の六枚翼が青空に浮かびあがろうとしている。



「まってくれ!!」
 らしくもない叫び声。呼びとめて、手を伸ばす。みっともない姿だと思われても「もう」離れたくない。離したくない。
「きみ、は……。ああ……、どうしてだろう」
 頬を伝うものに、自分が泣いていたことに気付く。涙を流すだなんて、何時以来だろう。私以上に、驚いて困っている彼が慌てながら、地に降りて、私の手を取った。柔らかく、暖かな手。覚えている。思い出した通り。変わっていない。ただ、私が変わった。
「怪我をされたのですか」
 戸惑いながら、おろおろとしている彼。とても、酷いことに、笑みを隠せない。彼が、心配をしているということが、嬉しい。彼が、私を、覚えている。
「やっと」
 なぜ、忘れていたのだろう。彼だった。私の、欠けたものを埋める唯一。
「思い出せた」
 取られていた手の指を絡ませる。震えた指先は、拒絶をされることはなかった。
「サンダルフォン、私は、きみのことを探していたらしい」
 名前を呼ぶたびに、胸が満たされる。
「珈琲をともに、どうだろうか」
 きみに、話したいことがあるから。

2018/05/17(加筆修正:2020/04/19)
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