ピリオド

  • since 12/06/19
 黄瀬涼太といえば、今最も注目されている若手俳優だ。学生の頃からモデル活動を続けて数々の女性を魅了し、つい最近俳優へと転身した黄瀬良太がテレビに出ない日はない。
 そんな黄瀬を悩ますものは演技についてでも女性関係でもない。単純であり、それでいて生命活動に直結する。睡眠だ。昔から、寝付きは良いとは言い難いものだった。けれども目を瞑っていればいつの間にか眠っていたし、学生時代には部活動にも精を出していたから睡眠不足、なんてものとは縁遠かった。それがここ1週間の合計睡眠時間は片手で足りる程度。
 リテイクが重なれば共演者、スタッフに迷惑のかかるドラマの撮影に、番組のロケで各地を歩き回ることもある。精神的にも肉体的にも疲労を感じていた。だというのに、倒れ込むように寝台に潜り込んでも、興奮したような昂揚感、ギラギラと目が冴える。そんな状態では眠ることはとてもできない。チュンチュンという小鳥の鳴き声とカーテン越しの朝陽を浴びて、朝になってしまったという後悔がじわじわと胸に巣食う。器用に、体調不良を隠そうとした黄瀬の状態に気付いたのは長い付き合いのマネージャーだった。黄瀬が学生時代、遊び感覚でモデルを始めたときからの付き合いで、芸能界において最も信頼している存在だった。



 収録を終え、関係者に挨拶回りをした後の控室で黄瀬は机に突っ伏していた。今期のゴールデンタイムのドラマにおいて、主役の友人であり恋敵という役は黄瀬のはまり役、ともいえるほどに人気を博している。主役の俳優をおさえて、黄瀬涼太の名前は数々のメディアに取り上げられる程だった。期待の若手俳優、なんて紹介にそんなことないっすよ! なんて司会者の求める反応をする。横からちくちくと刺さる先輩俳優の視線に堪え、じんじんと痛む胃の奥を抑えながら。睡眠不足による吐き気と頭痛も相まって肉体は限界だった。
 ぐったりとした黄瀬を見て、マネージャーは重い口を開く。

「やっぱり一度病院に行こう」
「病院、っすか」

 病院。おそらく、精神科を指しているのだろうと、黄瀬は思わず眉間にしわを寄せた。今が一番大事な時期だ。これからの黄瀬の俳優人生、芸能活動のすべてがかかっている。そんな時期に病院だなんて。報道関係者はもちろん、芸能関係者に知られれば……、想像もしたくない。心を病んだことを報じられて仕事が激減、気付けば引退している芸能人なんていくらでもいる。代わりは幾らでもいるのだ。
 ひ弱な体のつくりはしていない、と自負していた。学生時代には部活動で全国大会にも何度も出場している。体力には、自信があった。寝不足程度で、体を壊さないと言い聞かせてきた。黄瀬が大丈夫っすよ! と強がりを言っても、長い付き合いだからこそ、マネージャーは強硬手段を取った。

「病院に連絡して、裏口から入れてもらえるようになったから」

 黄瀬が口を挟む隙もなく三日後には病院に行くことが決定されていた。いつもはぎっしりと隙間なく埋まっていたスケジュールに、突如小さな空白が埋め込まれた。病院に行かせるために、マネージャーがつくった空白だった。

「仕事は?」
「途中で倒れられた方が迷惑だ」

 どぎつい言葉を包むこともせずストレートに言うマネージャーに黄瀬は思わずすいません、と言ってしまった。マネージャーが分厚い手帳の隅で、こつりと黄瀬の頭を突っつく。中々に、痛い。病院に行く人間に、なんて仕打ちをするのだろう。黄瀬が恨みがましくマネージャーを見る。マネージャーは苦い笑う。

「俺はお前のマネージャーだ。お前を支えるのが仕事なんだ。お前が万全な仕事を出来るようするのも、俺の仕事だ。気にするんじゃねえ」
「……あざっす」

 おう! にっかりと笑うマネージャーは運動部の主将を務めていた。



 マネージャーが予約をした総合病院は医療関係のテレビ番組に度々取り上げられている有名な病院だった。また、芸能人が隠れて通院したりだとか、入院をしていたりだとかでも少しばかり、界隈に有名であった。その分、秘匿主義が徹底されており、芸能関係者から信頼されている病院でもある。

「黄瀬、涼太さん?」

 マネージャーに付き添われながら、帽子に眼鏡、マスクというあからさまな変装をした黄瀬がひっそりと裏口から入るなり、ぬっと現れた看護師に黄瀬は込み上がった悲鳴を呑みこみ、口から飛び出しそうになった心臓を抑える。不思議そうに見上げる看護師の、勿忘草の花のような淡い色をした胸元まであるロングヘアは、小首を傾げる仕草をするとひらひらとと揺れる。ちょこん、と頭部を飾るナースキャップとダボついた水色のカーディガンが目を惹きつけた。看護師なんて、そもそも日常生活において見掛けることはない。目につくはずだ。なのに、異常なまでに存在感が薄い。
 何処から現れたのだろうと呆気にとられている黄瀬に変わり、いち早く我に返ったマネージャーが挨拶をした。マネージャーにならい、頭を下げれば看護師も頭をさげる。ゆらゆらと髪が波打つ。

「今回、黄瀬涼太さんの担当を務める看護師の黒子と申します。まずは待合室へどうぞ。勿論、個室になっていますので、ご安心ください。そちらで問診票の記入をお願いします」

 裏口からスタッフ専用の通路に入り、待合室へと向かう。スタッフ専用というと、小汚い印象を受けていたが、どこもかしこも真っ白で汚れひとつ見当たらない。頻繁に芸能関係者が通るからだろうかと考えながら、先導する黒子の様子を見る。
 冷静になってから、声を拾えば落ち着いた低い声をしていた。背も黄瀬に比べれば低いものの、姿勢は良く歩く姿は凛としている。芸能界に身を置く黄瀬から見ても、十分に可愛らしい、整った顔立ちをしていた。表情が薄いのがやや傷に思えるが、ミステリアス、とも言いかえることが出来る。黄瀬の邪念を感じ取ったらしいマネージャーがわき腹を付く。呻いた黄瀬を振り返った黒子が不思議そうに見ているので、黄瀬は作り笑いを浮かべてなんでもないっすよと誤魔化した。
 待合室へ通されると、そこでマネージャーと別れた。今回の穴埋め作業に戻るらしい。黄瀬は、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいになって、情けなく眉を下げる。

「気にすんじゃねえって言ってるだろ。終わったらすぐに連絡しろ、車出すから」



「こちらに記入をお願いします。申し訳ありませんが、20分ほど席を外しますね」

 黒子が問診票を挟んだクリップボードとペンを差し出す。受け取ったのを見ると黒子は頭を下げて、出て行った。黄瀬は待合室を見る。黒い革張りのソファにガラステーブルが目につく。テーブルの上には最新医療についてといった広報誌が数冊、置かれている。曲名も作曲家も知らない有名なクラシックが、耳についた。
 広報誌や問診票が無ければ、モデルハウスの一室にいるような、勘違いを起こしそうだった。
 問診票にはタバコの有無や睡眠時間について、職業についてのことなどを書く項目がある。そこは理解出来た。だが奇妙な質問がいくつかある。一際、黄瀬を悩ませたのは「好きな文房具はなにか」「はさみは好きか」だとか、何を聞きたいのか、どのような意図なのか分からない質問だ。心理テストだろうかと思いながら、適当に、思ったままのことを埋めた。問診票を書くのに時間はかからずに10分程度で終わってしまった。机に置いて携帯を触る。
 ブックマークしていたサイトにアクセスする。芸能関係のまとめサイトだ。

──なんでキセリョってテレビでてんの? 事務所のゴリ押しデルモ() 番宣なら主役もってこいよ!なんでアイツでてんの? アイツ出るたびにテレビ消してるwww 期待とかw誰にされてるのwww ドラマ出るな質が下がる「書き終わりましたか?」

 またもや突然現れた黒子に、黄瀬は情けない悲鳴を上げてソファから滑り落ちた。それに対して、黒子は何も反応を示さない。心配をした様子もなければ、笑いもしない。黄瀬は、ただ失態を見られたと赤面するしかない。黄瀬が首肯すると黒子は、黄瀬を気にする様子もなく、机の問診票を手に取った。

「もう暫く、お待ちください」
(感じ、悪い看護婦)

 同級生の女子は黄瀬を見ると黄色い悲鳴を上げた。年下の女の子は気をひこうと、背伸びをしていた。年上の女性は黄瀬を可愛がってきた。女性からの甘やかされる、気に掛けられることが当然だった黄瀬にとって、黒子のあまりの素っ気なさは愛想が悪いように思えた。

「黄瀬さん、お待たせしました。どうぞ」
「……はぁ〜い」

 黄瀬は荷物を持ち、黒子の後を追う。黒子は部屋のすぐわきにある階段を降りていく。てっきり、上がるものと思い込んでいた黄瀬は内心で驚き、それからちらりと過った不安に蓋をする。地下には扉がひとつ、あるだけだった。虹のプレートが下げられた赤い扉。プレートには可愛らしいフォントで「神経内科」と打たれていた。

「先生、入りますよ」

 扉の先にはデスクとL字のソファセットが見えた。ソファセットがあるのに思うところがあったものの、まだ許容範囲だ。なんせ、壁には神経内科どころか病院に似つかわしくないシカの首の剥製が掛けられているのだ。よく、暖炉とセットになっているアレである。
──ヤバイ所に来た。
 黄瀬は思った。思わざるを得ない。神経内科の部屋がどのようなものかは黄瀬には分からないが、少なくともシカの首の剥製がある病院なんて、黄瀬的にはアウトだ。その部屋の主である医師にも不安が募る。
 デスクチェアに座る赤い髪の、白衣を着た男が振り返る。男の白衣の胸元には幼稚園児がつけるようなチューリップの名札に、平仮名で「あかし」と書かれていた。

「いらっしゃい。黄瀬君だっけ? ほんもの? 高校生モデルから俳優になった黄瀬涼太君だっけ? あとでサインくれない? あ、もしかして、ダメだったりする? まあいいや。内緒にして書いてよ。ばれなきゃ問題無いよ。あ、黒子、問診票机に置いて準備して。そうそう、この前のドラマ見たけどやっぱり女なんてろくなもの居ないよね。フィクションだって分かってるんだけどさ、あの女がどうにもストーカーまがいの猫かぶってた女を思い出させて胸糞悪かったよ。これ、褒め言葉のつもりだよ? もしあの女優さんに会ったら絶賛してたよとか伝えてくれない? ほんとう、胸糞悪いったらないよ。そっくりだ。さ、注射しようか!!」
「え?ありがとうございます。え、注射?」
「黒子ー?」
「はいはい、じゃあ、黄瀬さん失礼しますね」

 黒子がカラカラと運んできたカートには銀のトレイに脱脂綿と注射器が鎮座している。消毒液の臭いがツンと鼻の奥を刺激する。
 あかしがあまりにも軽くいうものだからそれは単なる冗談なのかと思っていたのだけれどどうやら本気だったらしい。茫然としているうちにいつの間にか黒子が黄瀬の右手のシャツをめくり、チューブで血管を浮き出させようとしている。

「ちょっ、ちょっと、待って、心の準備とか!」
「あんまり動かないでください。僕、あんまり注射上手じゃないんです」
「黒子ちゃん意外に力強いね!?」

 しれっという黒子にますます不安になり、視線であかしに助けを求める。視線の先にいたあかしはニヤニヤとしながら赤い携帯電話を取り出し、カメラを起動させているのか黄瀬の顔を写そうとしていた。

「その顔良いよ、気取った顔をしてるよりもずっと良い!! やっぱり痛みはいい!!」

──あ、ここの人たちっておかしい。

 黄瀬は今更そんなことを思った。最初から、部屋に入っていたときから思っていたことは、確信に変わった。
 諦めて大人しく腕を差し出すと、途端にあかしは興味を無くしたようだった。

(なんなんだ、いったい!)
「そうそう、黄瀬さん。何やら勘違いしてるみたいですけど」

 脱脂綿で消毒をしながら黒子が何でも無いように言い続ける。チューブで絞められた腕から浮き出た血管を、黒子の細い指が触れる。手にはとうとう、注射が握られていた。今更何を言うのだろうと黄瀬は既にぐったりとしながら言葉を待つ。今更、何を言われても反応は出来そうにない。

「ぼく、男ですから」

「え?! い、いってえええええええ!!!!!!!!!!」
「あ、その顔すごい良い!」

 衝撃の言葉に意識がそれたところを狙ったかのように、黒子は針を刺した。それも自己申告通りの下手さだった。黄瀬は、不意打ちとはいえ注射で、初めて泣いた。そんな黄瀬の顔を、あかしが携帯のカメラで連写する音を黄瀬は痛みに叫びながらも確かに聞いた。

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2012/06/26
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