ピリオド

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(ルシフェル様)
 静謐に包まれた聖堂で、祈りを捧げる。
 かつて生きていた時代は神話と区分されるように、あるいは空想と斬り捨てられるようになった。それだけの時間を経て、サンダルフォンはその記憶を持ったまま当時の姿で、人として生まれ落ちた。
 両親どころか親族一切全てと似ても似つかない容姿は不気味がられ、たらいまわしにされ、行き着いたのは施設だった。施設でも子供らしからぬサンダルフォンは悪意の無い小さなコミュニティの中でも浮き出ていた。
 それでも、サンダルフォンは心を痛めたりしなかった。
 ただ、神話の続きが確かであるならば、天司長ルシフェルは復活し、世界を見守っている。
 それだけで、肉体と精神を悪意を持って抉られる行為にだって耐えられた。
(ルシフェル様)
 記憶にある姿とは全くの別人になっている偶像にも、それがルシフェルにつながるのであればと縋った。
 祈りを捧げ終わり、偶像を見つめる。
 救いは求めない。安らぎはいらない。ルシフェルが生きている証がこの世界であるというのなら、それだけがサンダルフォンの存在を証明できる。
 サンダルフォンは夢を見る。
 サンダルフォンにとってトラウマになっているカナンの出来事をみることもあれば、研究所の中庭を再現されることもある。時折、騎空団に身を寄せていた際の出来事も夢になる。
 サンダルフォンにとって夢とは記憶の整理だった。二千年以上に及ぶ記憶を一度に思い起こせば、人の身であれば狂ってしまう。あくまで肉体は人であることを、サンダルフォンは十分に理解していた。
 自分の罪を見つめ直すためなのか、わからないけれど、人として感情を得てからなら、自分がいかに恵まれていたのか、そして欲深かったのか分かった。
 認識したのは真っ白い空間で、これは夢なのだとまず自覚した。それから真っ白いのではなく、光り輝いてる空間だと気付く。入口も出口もない、塗り固められたような空間だった。良い思い出のない研究室のようにも思えたが、それよりも安らいだ気持ちになれる。
 それは無限のような時間を過ごした世界とよく似ていた。
「サンダルフォン」
 懐かしい声に振り返る。
 誰もいなかった空間に浮き上がる人影。それはだんだんと鮮明になる。
「あっ……あぁ……」
 何を言えば良いのか分からない。それでも何かを言おうとして、喉がつっかえる。
(ルシフェル、さま)
 記憶のままだった。三対の白銀の翼も、清廉とした気配も、穏やかで澄んだ空のような青い瞳も、なにもかも。だから、これは夢だ。都合よく改変した、自分勝手な夢なのだと思った。
(だって、こんなの、知らない)
「サンダルフォン、これは夢ではないよ」
 考えを読んだように言われて、サンダルフォンは肩を震わせてその目をじっと見つめた。
 声を出せば、触れたいと願ってしまえば、この人は夢ではないというけれど、消えてしまうような気がしてならなかった。
 何時しか手が届く距離から見つめられる。
「どうか、私の名を呼んでくれないだろうか」
─問いは、願いなのだと。
 長くサンダルフォンを責め立ててきた言葉が脳裡を過る。
「ルシフェルさま」
 声はなんとも呆気なく出た。穏やかな笑みを浮かべ、
「ああ、サンダルフォン」
 触れられた指先は暖かい。そのぬくもりが心地よく、ほっと息を吐いた瞬間に、見てしまった。ルシフェルの指先が砂のように崩れ去っていく。
 はっとして、距離を取ろうとしても抱きかかえられて身動きが出来ない。それよりも少しでも身動ぎしてしまえば、壊れてしまうと思った。
 何度となく苛んだ夢と同じだった。触れれば、消えてしまう。絶望に、言葉があふれた。
「矢張り、夢じゃないか」
「夢ではないよ、サンダルフォン。悲しむ事も、嘆くことも無い。私は進化を司る、天司長としての役割を還すだけだ。それも、名ばかりのものになってしまったが……。きみと、再び出会えるまで、そう思って生きてきた」
 そっと見上げたルシフェルの表情は穏やかだった。
「もう一度、叶うならば、サンダルフォンと話したかった。いや、ただ名前を呼ばれるだけでもよかった」
「あなたは、それで良いのか」
「ああ。私にとって、十分すぎるほどの、最期だ」
 かつて、カナンで抱き上げだルシフェルは、苦しげで、告げられた言葉の全てがサンダルフォンに優しい傷を負わせた。
「ずるい、そんな風に、言われてしまえば、引き留められない」
「私はサンダルフォンに、酷な事ばかりさせている」
「そうだ、あなたはほんとうに、ひどい」
「……本当の最期に、良いだろうか。どうか、笑ってほしい」
 こんな時に笑えなんて、なんて酷いことを言うのだろう。それでも、こんなにも穏やかに願われてしまえば、嫌だなんて捻くれたサンダルフォンにも言えなかった。
 きっと、不細工な顔をしている自覚がある。
「ああ……」
 満足そうな顔で、いかれてしまっては文句も何も言えない。
 抱きしめられていた温もりを思い出して、ぽたりとしおからいものが伝う。

 ……目が覚めた。結局夢だったんじゃないか。そう思ったけれど、決して不快な気持ちは無かった。
 ただもう二度と、過去の夢は見ないのだろうと思った。
 不思議と悲しいと思う事は無い。
「今日は、神父さまが帰って来るんだったな」
 聖堂に入り浸っているうちに神父と親しくなった。盲信的ともいえる姿やサンダルフォンの境遇を憐れまれたのか、養子縁組の話もあった。結局は流れたが手伝いをすることは続けている。
 ベッドを下りると、足元からひやりと冷え込む。ぞわりと粟立つ肌を擦りながらカーテンを開けた。まだ薄暗いけれど、あと数時間もすれば日が昇り切る。
 美しい朝が来る。

2018/04/19
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