ピリオド

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 中庭から与えられている部屋へと戻ったサンダルフォンは、扉を前にして立ち止る。部屋の中に、気配がある。ぞっとした不安に襲われる。いよいよ、廃棄なのではないかと恐怖を覚える。呼吸が乱れる。手足が冷たくなって、感覚がない。それまでルシフェルと過ごした幸福感で満ち足りていた心が嘘のように伽藍洞になっていく。はっと、まさかルシフェル様はこれを知っていたのではないかと飛躍した発想に至る。そういえば今日のルシフェル様のご様子は──。ルシフェルの様子はいつもと変わらないものだった。常のルシフェルを知るものであれば二度見をするような心安らいだ様子で、表情を和らげてサンダルフォンの言葉に耳を傾けながら、サンダルフォンの淹れた珈琲を口にして満足を得ていた。けれども、恐怖に駆られたサンダルフォンの記憶はあの表情は俺を処分できることを喜んでいたのではないか、なんて突拍子もない、それこそルシフェルが知れば即座に否定をする妄想に書き換えられていた。
 扉の前で立ち尽くしていたサンダルフォンはいっそこのまま研究所から逃亡──……そんなことを考える。出来るわけがないと分かっていながらも、逃避してしまう。どうしようと部屋の前でうろうろしているうちに、もしかしたらただの勘違いかもしれないじゃないかとますますそんなわけないだろうと冷静な自分自身が思わず突っ込んでしまう発想に至る。けれども混乱の極致へと至ったサンダルフォンにはそんなセルフツッコミも聞こえやしない。
 なんだなんだただの勘違いか自分はルシフェル様と会えて相当に浮かれているんだな。なんて大根役者並みに感情が全くこめられない言葉を言い聞かせるように口の中で呟く。そっと、扉を開ける。普段使うことのない寝台に人影があるものだから、ぎゃっと逃げだしたくなる。それを、耐える。見間違えかもしれない。そんなわけないのに、なかったことにしたい。
 自身に与えられた部屋であるというのに、慎重に音もなく入室をした。それから、入室したというのに一向に声を掛けられないことに不審に、寝台に近付く。

「……え」

 寝台に寝転がっている研究者はルシファーだった。サンダルフォンが最も苦手意識を抱く研究者である。敬愛してやまないルシフェルとそっくりな顔で、その顔で失望されたような目を向けられるととんでもなく、心が痛くて堪らなくなる。どうしてルシファーさまがこんなところにいるんだ。サンダルフォンはいよいよ理解が追いつかない。否。もともとこの状況に対して全く理解は出来ていない。おろおろとして、やがて、状況を確認しなければ、冷静にならなければと──ちらちらと寝台を見る。
 ルシファーは矢張り、寝台に沈んだまま目を閉じている。微動だにしない。
 サンダルフォンはそんな、まさかと顔を青くさせる。

「──死んで、る……?」
「死んでいない。死んでいてほしかったか? 残念だな。眠っていただけだ」
「は、」

 サンダルフォンはきゅっとコアを鷲掴みにされたような痛みに似た恐怖を覚えた。別にルシファーの死を望んでいたわけではないにしても、ぎょっとしてしまう。そんなサンダルフォンの心情なんてはかるつもりもないルシファーは、ごろりと寝返りを打つと背中を向ける。
 皺だらけのローブが目についた。
 明確な時間間隔を持っていないサンダルフォンであるが、部屋を出てルシフェルと共に過ごしている間にこの人はどれだけくつろいでいたんだろうと思ってしまう。

「知らんのか。生き物は睡眠を必要とする」
「知って、います」

 条件反射に否定してしまって、しまったと思ったがルシファーは不快に感じた様子はない。
 睡眠という行動を、サンダルフォンは知識として知っている。生物の休息行動であると認識しているが、そんな行動をルシファーが取っていることが不思議でならないのだ。生物らしい行動をとっていることに、驚いてしまう。
 なんというか、サンダルフォンにとってルシファーは生物という概念に当てはまらない、正体不明な存在だった。食事も排泄も、睡眠も必要としない。高次元の生物──だというのに、生物の基本行動のように睡眠を必要とするだなんて言われても、どこか信じられないような気持ちになる。
 ごろんとルシファーが寝返りを打つ。視線が交わると、不快に眉根が寄せられた。

「視線が煩い」

 理不尽極まりない物言いである。これがルシファーの性質を理解している補佐官であるベリアルであれば笑って肩を竦める程度で気にも留めない。ルシフェルであれば「ここは私の部屋なのだが」と思うだろうが、ベリアルと同じく気にも留めない。放置をする。彼等はルシファーに言ったところで無駄であるという経験値がある。しかし、生憎とサンダルフォンにはそんな経験値はない。言葉を地面通りに受け止めて狼狽する。鋭い言葉に対しての耐性なんてないものだから、真正面に受け止めて落ち込んでしまう。
 サンダルフォンは煩いと言われた視線をさ迷わせて寝台の足下へと向けた。靴は脱がれていた。
 自室であるというのに、落ち着かない。

「言いたいことがあるなら言えば良いだろう」
「……なぜこの部屋で睡眠を?」
「この区域は人の気配がないからな。近寄りもせんだろう」
「まあ、そうでしょうね」
「それにまさか誰も俺がここにいるとは思わんだろう、お前も言うなよ」

 釘をさすように命じられたサンダルフォンは首肯するしかない。言われるでもなく、誰に言うこともしないし、言うべき相手も存在がしないが態々口にしたところで詮無いことだった。
 サンダルフォンは声を掛けられたためにルシファーを見つめていたことに気づく。しかし、視線が煩いと声はかからない。ルシファーは目を閉じていた。規則正しい呼吸に胸が小さく上下している。これが、睡眠状態なのかとサンダルフォンはこっそりと観察をする。
 ルシフェルとよく似た顔立ちは、どこか疲れたようにやつれて、青白い。眼の下には薄く隈が浮き出ていた。こうしてみると生き物らしさを感じるなとサンダルフォンは状況に慣れてきていたものだから、呑気に思う。そしてふと状況を理解する。

──休息をとるために人の気配のないこの部屋を選んだのならば、俺は邪魔なのでは?

 そっと部屋から出て行こうとするも、叶わない。サンダルフォンは可能な限りに気配を消していたにも関わらず、ルシファーに気づかれた。ルシファーはまだ眠っていなかった。眼を閉じているだけで、ぼんやりと生温い境界をさ迷っていただけだった。咎めるような、叱るような言葉が刺さる。

「どこに行くつもりだ」
「……どこかに」
「お前に行く宛てはないだろう? 俺への当てつけか。恩でも着せたつもりか?」
「そんなつもりでは……。俺がいれば、睡眠の妨げになるのでは」

 なんとなく罰が悪く、サンダルフォンは口をまごつかせて、言い訳がましく、ぼそぼそと口にする。当てつけだなんて考えていないし、恩を着せるなんてとんでもないことだ。サンダルフォンは最善と思って行動しようとしたに過ぎない。しかし、言われたらそれまでだった。サンダルフォンの行動範囲は制限されている。自由に行き来できる場所なんてない。中庭にしてもルシフェルがいるからこそ許可をされているだけだった。部屋を出ても、どこに行けばいいのか考えていなかった。考え無し。浅慮。短絡。──だから、役割が与えられない。
 ルシファーは黙りこくったサンダルフォンを見る。その眼は感情を感じない、無機質なものだった。

「出て行けと言うつもりは無い。俺は眠る、静かにしていろ」
「わかりました──……あの、」
「なんだ」
「お休みなさいませ」
「……ああ」

 おずおずと告げれば、返事が返ってくる。サンダルフォンはほっとした気持ちになって、けれども、結局何にも解決していないことに気づいたときにはルシファーの静かな寝息が聞こえだしていた。

Title:誰花
2022/11/07
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