ピリオド

  • since 12/06/19
 ルシフェルが研究所に帰還すれば、孵化まであとわずかというところで、安定していたはずの天司の繭は既に、撤去されていた。何があったのか、ルシフェルの怜悧な脳は理解を拒んだ。見間違えだ。部屋を間違えたのだ。けれども、天司長に間違いはなかった。
 確かに、その部屋はルシフェルが天司をつくるためにと──極秘裏に利用していた研究室の一つだった。ルシフェル以外に利用する者はいない。ルシフェルに天司を作るようにと命じたルシファー以外に、知るものはいない。ルシフェルの足は、ルシファーのもとへと向かっていた。所長室の扉を開ければルシファーがほんの少し、目を見開いてルシフェルを闖入者であるルシフェルに視線を向ける。

「何かあったのか」
「──何か? あの部屋は、繭は、」
「要領を得ん。何を混乱している、お前らしくもない」

 不快な表情を浮かべるルシファーを前にして、くっとルシフェルは言葉を呑みこんだ。ルシファーの言う通り、状況を理解したくないと思考を放棄し、混乱していた思考回路が整然と巡りだす。途端、体の内からぞっとしない冷たさが広がった。

「私が作っていた天司を、繭をどこに移した?」

 どうにか絞り出した言葉は、震えないようにと抑えつけられ、いつにも増して低い音になった。感情の乗らない声は、創造主──ルシファーとよく似ていた。
 ルシファーはルシフェルを観察する。
 四大天司を始めとして、多くの天司を作りだしてきた。その中で、ルシフェルに匹敵する天司は、終ぞ、作ることは出来なかった。最高傑作。全てにおいて完璧であるルシフェルが見せる戸惑いを、感情を、ルシファーはどうにか、許容範囲と見做した。
 天司を作るようにと命じたのは、興味半分だった。
 期待していなかったのだ。
 なんせルシフェルが作るのだから、当然「コピー」であると信じ切っていた。いっそ、確信をしていたのだ。なんせルシフェルを創り出したルシファーが、その意図をもってして、ルシフェルを作ったのだ。自らの虚しさを埋めるように、満たすように。形作ったものが最高傑作であるルシフェルだった。だから、そうでなければ、ならなかったのだ。だというのに、作ろうとした天司を知ったルシファーは、失望した。
 ルシフェルはコピーを作らなかった。
 それだけではない。
 それだけならば、良かったのだ。
 ルシフェルを観察する。
 ともすれば、常と変わらない。けれども誤魔化されるほど、創造主の目は節穴ではないし研究者としてのルシファーは愚かではない。
 無表情なのではなく、怒りと悲しみで強張っている表情。平静を装っているつもりでも、動揺は隠しきれていない。何より、瞳の奥ではゆらゆらと隠し切れない激情が揺れていた。
 ルシファーは、全くと、溜息を吐き出す。

「……アレは廃棄した。お前に作るようにと命じたが……不用と判断した。孵化した後の方が処分も面倒だ。……どうした?」

 はいき。
 ルシファーの言葉を、ルシフェルは認識出来なかった。認識を、理解を拒絶した。

「な、ぜ」
「どうした、不具合か?……まあ、いい。言っただろう、不用となった」
「ならば、なぜ、作るようにと命じた?」
「当時の状況での判断だ。現状、新たな天司は無意味だ。新たに作りだすよりも既存のアップデートが最善と判断したまでのことだ」
「しかし、完成間近であることは君が一番理解していることではないのか。それを廃棄することのほうが、」
「くどい。同じことを何度言わせるつもりだ」

 食い下がるルシフェルに辟易としながらルシファーは淡々とこたえる。

「既に廃棄している。でもしかなんぞ、無意味な仮定を議論して何の意味がある?」

 ルシフェルは、何も言うことは出来なかった。何かを言いかけて、口をつぐんだ。ルシファーは内心で満足感を覚えた。

「ついでだ、どうせなら研究に付き合え」

 席を立つルシファーに、ルシフェルは追従するしかなかった。
 研究室へと向かう渡り廊下を、ルシファーとルシフェルが歩く。研究所におけるヒエラルキートップの二人であるから、星の民である研究者も、研究を補佐している天司も頭を下げて道を譲る。その光景を珍しいものではなかった。それも、これからは見ることが少なくなるのだろうとベリアルは確信している。なんせルシフェルが研究所に立ち寄る理由が無くなったのだ。今までは、天司の繭の経過観察として頻繁に、それこそがルシファーが危惧を感じた故に行動を起こした原因であるほどに、立ち寄っていたのだ。しかし、今となっては理由がなくなる。

「気付かないもんだな」

 ベリアルの独り言混じりの問いかけに、傍らの天司は首をかしげた。すっかり、その存在が頭から抜け落ちていた。ベリアルは笑って言う。

「ファーさんもなんで廃棄なんてバレそうな偽装工作をしたんだか」
「何か考えがあったんじゃないか?」
「何か、って?」
「……そんなこと、俺が分かるわけないだろ」
「ま、それもそうか」

 ルシファーによって天司という存在が作られた、その初期型でもあるベリアルですらその思考回路は未だに理解できていないのだ。それを、ルシファー作でもなんでもない天司が、ルシファーの思考をお見通しなんてありえないことだ。ベリアルは肩をすくめて、くしゃりと頭一つ下にある後頭部を乱雑に撫でまわした。ふわふわとした癖毛をかき混ぜる。うわっと小さな悲鳴が上がると手が払いのけられる。癖になる触り心地であったものだった。ぐしゃぐしゃになった髪を手櫛で整えている姿が妙に天司らしくないものだから、ベリアルは少しだけ笑った。

「なんでもないさ、いこう。サンディ」
「サンディ……?」
「そ、お前の事」
「いや、俺はサンダルフォンという名前を与えられているんだが……」
「気に入らないかい?」
「……不快かもしれない」
「そうか。まあ慣れるさ、これから短くない付き合いになるんだぜ?」

 長い付き合い、と態々言わないのがベリアルなりの優しさであった。
 ベリアルとしてはサンダルフォンの存在は面白い。なんせあの天司長が作ったという天司である。アイツ、こういうのが趣味なのかと硬化してまだ自我がぼんやりとしているサンダルフォンを見下ろしながら思ったものだ。そしてたまらない優越感を覚えた。あれほどに研究所に通い詰めて孵化を心待ちにしていた姿を知っている。日に日に気持ちが逸るように、そわそわとしている姿を思い出すとおかしくてたまらなくなる。だからこその、あれほどの動揺であり混乱なのであろう。そこに、天司長としての完璧な姿はなかった。まるで子供のようだった。その姿を見れたものだから、ベリアルはサンダルフォンのことを気に入っている。気に入るには十分すぎる理由だった。
 そんなこと知ったこっちゃないサンダルフォンは、未だサンディという呼ばれ方が不服で、不愉快そうな顔をしていた。それから、ふと視線を誰もいなくなった渡り廊下に向ける。

「天司長、か」
「話しをしたいかい?」
「出来るのか」
「なわけないだろ」

 にっこりと笑って否定をするベリアルに、サンダルフォンは疲労感を覚えた。付き合いは短い。数時間程度だ。けれども、なんとなくであるものの、ベリアルという存在との付き合い方を学習し始めていた。

「そもそも会う必要性がないだろう。麾下でもないのに」

 きっぱりと言い切るサンダルフォンに、ベリアルは少し、驚いた。意外にも思えたのだ。けれども、まあ仕方ないことかと改める。なんせサンダルフォンは自分を作った創造主が、ルシフェルであるのだと、知らない。

Title:エナメル
2022/10/31
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -