ピリオド

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 人通りの少ない区域だった。研究者も、天司も通りかかることは殆どない。なんせ区域の奥にあるのは研究所設備には不要でしかない中庭しかないのだから、誰も、見向きもしない。その区域を、天司長が歩いていた。その歩みに迷いはない。中庭が目的であるのだと察してしまう。中庭は、ただでさえ利用者はいなかったというのに、天司長自らが態々発令した立入禁止令により、麾下であろうとも、星の民であろうとも、許可されない限りは誰も、足を踏み入れることが出来なくなっていた。
 だからベリアルは態々、待ち伏せするようにして待ち構えていた。
 ルシフェルはベリアルの姿を認識するとほんの少しだけ表情を崩した。それがささやかながらも、彼なりの驚きである。

「やあルシフェル。きみ、天司を作ったんだってね」
「確かに友に命じられて作ったがなぜきみがそれを知っている? 機密事項であったはずだ」
「俺の立場を忘れたかい?」
「──いや、そうだな。君ならば知っていても問題はないのだろう」

 無条件ともいうべき信頼を寄せられるベリアルは内心で気味の悪さを感じながらもその様子をおくびにも出さない。ルシフェルはといえば、話しはそれだけかと切り上げようとする。一刻も早く、中庭へと向かいたいとベリアルにすら伝わって来る態度だった。その態度を、やきもきとした様子を理解しながらも話しを続けるのはベリアルのささやかな嫌がらせである。

「それで」
「……?」
「その天司はどこにいるんだい?」

 にこやかに問いかけた。ルシフェルの眉間に皺が寄った。その姿は、ベリアルが崇拝してやまない創造主に近しいものを感じる。そしてその創造主が眉間に皺を寄せる現在の主だった原因こそが、眉間に皺を寄せたルシフェルであるのだ。
 ルシフェルは不快さをどうにか取り繕ったように口を開いた。

「きみに教える必要があるのか。……友からの命令か?」

 ルシフェルの言葉に一瞬、ベリアルは目を丸くした。
 面白いことこの上なかった。

「ただの好奇心さ」
「そうか」

 ベリアルは降参とばかりに顔の横で両手を挙げた。そんなベリアルを気にした素振りもみせず、ルシフェルはその横を通り抜けて、区域の奥──中庭へと向かっていった。その足取りは僅かに早く、急いている。なんだそんな感情もあったのかとベリアルはルシフェルに、そんな感情を抱かせた天司が気になってしまった。
 ルシフェルの言葉はすべて、拒絶だった。否定だった。それだけでベリアルはルシフェルが作ったばかりの天司──サンダルフォンを、ベリアルに紹介する意図はないと把握した。それだけで、ベリアルは愉快でたまらない気持ちになる。あの、公正無私を形にしたばかりと言わんばかりのルシフェルが、表向きは役割がないとされる天司を隠すようにしている。否。ように、ではなく正しく隠しているのだ。勿論、ルシファーの命令もある。それでも、ルシファーもここまでしろとはいっていないほどに、ルシフェルはサンダルフォンを隠し通そうとする。一周廻ってそれが周囲にばればれであるというのに、おかしいったらない。ベリアルの報告にルシファーは眉を寄せた。それから米神を揉み解した。

「それを俺に報告した意味は?」
「なにファーさんも気にならないか? だってあのルシフェルの貴重なバグじゃないか」
「貴重もなにもない。バグなら修正するだけだ」
「それで修正はできそうなのかい?」

 暗にサンダルフォンの処分に関して問えばぎろりと睨みつけられる。研究所所長であるルシファーですら、サンダルフォンには迂闊に手出しができない。ルシフェルが、それを許すことはない。ままならない状況を思い出しただけでも、苛々と不快を露にするルシファーの様子に、ベリアルは肩をすくめた。
──それにしても、とベリアルは思う。
 生憎と、というよりもルシフェルが特殊なだけで天司が天司を作るだなんてトンチキは本来ならばあり得ないことだ。精々が孵化の間際に立ち会うだとか、経過観察だとか程度。

「いっそもう何体かルシフェルに作らせてみたら良いんじゃないか? 自分が作ったっていう物珍しさの愛着だろう?」
「そんなこと、随分と前に提案している」

 ベリアルの案をルシファーは鼻で笑い飛ばす。それこそ、ルシフェルの溺愛が研究所内に知れ渡る以前に危機感にも似た、虫の知らせめいたものを感じたものだから、ルシフェルに、再び天司作るようにと命じたのだ。ルシフェルは理由を求めた。だからルシファーは適当に、お前が作ったほかの天司も見たいと命じたのだ。否、適当ではなかった。サンダルフォンの出来がルシファーの求めたものではなかったからこそだった。俺の最高傑作であるルシフェルが作ったものがこの程度だなんて認めることが出来ない。そんなエゴイズムによる命令である。その命令をルシフェルは拒否をした。

「サンダルフォン以上の天司を作ることが出来ない」
「アレがお前の最高傑作とでも?」

 ルシフェルは否定しなかった。
 アレのどこが最高傑作と呼ぶに相応しいのか。ルシファーはとてもではないが、サンダルフォンを認めることが出来ない。戦闘能力にしても、思考能力にしても何もかもが劣っている。天司長ルシフェルが作ったにしては、秀でた点はない。そもそもとして、ルシフェルの代替機としても採用できるかどうか。しかし、ルシファーの判断は後手に回ってしまった。一時的な不具合とは片付けられないほどに、一天司に対してのルシフェルの執心は、ルシファーすらも手を付けられない。否、半端に手を付けた結果として不具合がどのような影響をもたらすのか。忌々しいったらない。
 にやにや顔のベリアルにルシファーは仕方ないとばかりに溜息を吐いて、声を掛ける。

「……ボロは出すなよ」
「分かっているさ」

 ルシファーはそれきり、口を閉ざす。
 詰まらなさそうに書類に目を通し、幾つかに署名をする。そしてベリアルへと回す。ベリアルはといえば、はいはいと受け取ると部屋を出る。
 所長補佐官という名前の使いパシリだ。もっとも手にしている書類は機密事項そのものである。そこいらの堕天司や星の民には任せられない内容であった。

「……っと」

 ベリアルは思わず、柱に隠れる。姿が見えたのは天司長と、見慣れない天司だった。生憎と、その天司は後ろ姿しか見えない。それも、ルシフェルが重なって殆ど隠れている状態だ。ただ、アレがルシフェルが作ったという天司なのだろうということは瞬時に理解できた。なるほど、と思ってしまう。

──ファーさんが不機嫌になるわけだ。

 確かに、ルシファーそっくりの顔であれだけ頬を緩められるのは気分が悪いだろう。
 天司長としては絶対に浮かべることのないような穏やかな顔で、この世でもっとも幸福だと言わんばかりの安寧を得た顔。ルシフェルとベリアルの付き合いは長い。なんせ作られた時期は殆ど同じであるし、天司長と副官という立場もある。けれどもベリアルはルシフェルのそんな表情を知らないでいた。寧ろあそこまで感情豊かであったのかとすら驚きを覚える。同時に、発見でもあった。
 安らいだ顔の視線の奥深くに、隠れながらもゆらゆらと燃える欲望の色。それは天司長には──公正無私を体現した男には相応しくない色だった。
「あのルシフェルがねえ」と内心で独りごちた。
 ちょっかいを掛けたいと思う反面、ルシファーの言葉を思い出すと諦めざるを得ない。それに、今後計画に役立てるのではないかと、ルシファーにとっては不快でならないのだろうが、完璧で完全たるルシフェルにとって唯一の弱点になり得る可能性がある。今ここで手を出すのは得策ではないのだ。

 不意にルシフェルはサンダルフォンの背中に手を添えた。サンダルフォンは戸惑う。背中に触れる掌越しに、ルシフェルの温度を感じるとどぎまぎとして、顔が赤くなった。

「──何も気にすることはない、このまま」

 咄嗟に声を上げかけたサンダルフォンは言葉を呑みこみ、首肯するしかない。
 ルシフェルは、ベリアルの気配を感じ取った。咄嗟に、サンダルフォンを隠したもののなぜ隠す必要があるのかと自分の行動に、戸惑いを覚える。立入禁止をしてある中庭であるならばいざ知らず、人通りが少ないとはいえ、渡り廊下なのだから、すれ違うことはおかしなことではない。
 躊躇いながらもルシフェルを見上げたサンダルフォンに、安心させるようにと笑みを向けた。
 どうやらベリアルの接触はない、と判断をしたルシフェルはそのまま、サンダルフォンの背中に触れたまま足を進める。サンダルフォンはどうしたのかとルシフェルの行動が理解できないまま、なすがまま、無防備に背中に触れさせていた。
 不安に、どうしたのだろうと見上げればルシフェルはただ笑みを浮かべるだけで、応えてはくれなかった。
 サンダルフォンは不満を隠して、笑みを張り付ける。不格好な笑みであったが、それでもルシフェルを満足な気持ちにさせた。

Title:誰花
2022/10/17
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