ピリオド

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──どうしてこうなったんだか。

 手持無沙汰を覚えながら、普段は見上げてばかりの頭を見下ろす。彼の旋毛はこちら向きだったのか、と男女の交際を始めてから2年が経って初めての気づきを得る。
 ルシフェルの恰好はといえば、ソファに座るサンダルフォンの足下に跪くような姿勢で、その表情は真剣そのものだ。そして跪きながら左手ではサンダルフォンの足先を手に取って、その小さな爪に、刷毛を滑らせている。爪先に一瞬だけ、つんとした感覚に、居心地が悪い。ルシフェルが不意に詰めていた息を吐き出す度に、ぞくりとした言い知れぬ感覚が背筋を這う。
 さ迷っていた視線が、気付けば釘付けになる。そして、ふと、視線が交わる。分かっていてやっている。意地悪だ。怒り、よりも羞恥でいっぱいになる。とことん、どこまでも、この人に弱いということを、突き付けられる。



 ルシフェルは視界に入ったそれを、手に取った。部屋の中に、ぽつんと置き去りにされている。部屋に馴染んでいないそれ。休みが重なったのは久し振りのことだったため、部屋に訪れるどころか、顔をあわせるのも久しぶりだったルシフェルは、初めて目にした。寧ろ、付き合ってから初めて見たということを、優秀な記憶から思い返す。
 とろみのある液体が小瓶に詰められている。深みのある赤色は、明かりに透かして見れば、鮮やかに映る。どことなく、サンダルフォンの目の色に似ているように思えた。
 何かにつけてサンダルフォンを結び付けていることに自覚がある。ニュースを見ていたとき、何気なく映ったのは動物園の映像だった。季節のイベントを実施しているとのことで、様々な動物が映った。そういうキャンペーンやイベンドに関心は薄かった。そもそも動物園という場所に縁が薄い。けれど、ふいに小熊が映ったときに、その色がサンダルフォンと似ているなと思った。産まれて間もない、ふわふわの毛並みで、ころころと転がっている。そして気づけばネットショッピングでテディベアを検索していた。あとワンタッチで購入というところで、我に帰った。私には本物のサンダルフォンがいるではないかと思い直した。──別に、サンダルフォンはテディベアでも小熊でもなんでもないのだが。

「珍しいね」
「ジータに貰ったんです」
「塗らないのかい? 似合うと思うのだが」
「無理ですよ」

 数少ない友人であるジータ曰く「私には似合わない色だった」とのことである。「でもサンダルフォンには似合う色だと思う」と半ば無理矢理に押しつけられた。
 サンダルフォンは化粧っけが薄い。身嗜み程度、マナー違反にならない程度だった。
 学生時代から飲食店で働きつづけてきたことも影響している。マニキュアなんて十年近く身につけていない。マニキュアなんて何時以来だろうかと記憶を紐解けば、十歳にならないほどの幼い頃に遡る必要がある。母親に強請って長い休みの時にだけ塗った、ツヤツヤとした爪。玩具の指輪もつけて、大人になったように錯覚をした。今ではマニキュアなんて付けていないが──ルシフェルと付き合い始めてから指輪を身につける機会が増えた。ルシフェルと会う時にだけ、記念日にとプレゼントされた指輪をつけるようにしていた。本当なら、大切にしまい込んでおきたいのだが、それを付けるとルシフェルが喜ぶのだ。口に出したりはしないものの、気付いたときに、嬉しそうに、眼が細められる。その姿を見るのが、サンダルフォンは好きだった。

「足はどうだろう?」
「足?」

 惚れた弱みだとか以前に、そもそもとしてルシフェルは頭が良い。サンダルフォンは後々になってから、言いくるめられていたのではないかと思い当たることが度々あった。現にルシフェルの旋毛を見下ろしたサンダルフォンはその状態にある。

──足の爪なら咎められることはないだろう。と言われると、それもそうだなと目から鱗、というよりも考えに至らなかった自分の発想力にサンダルフォンは少々、落ち込んだ。
──私が言い出したのだから私に塗らせてくれないか。流石にそんなことはさせられないと渋ったというのに、悲し気な表情を浮かべてじっと見られてはサンダルフォンは自分が悪いことをしているみたいな、罪悪感を覚えて、仕方なく、頷いてしまった。

 あれよという間に、ルシフェルが足下に跪いた。スリッパを脱がされて、サンダルフォンは土壇場になってこれは、非常によろしくないことではないかと危機感を覚える。単純に、恥ずかしくなった。

「やっぱり、自分でやります、こまで不器用ではないつもりですし」
「私がやりたいんだ」
「足なんて汚いです」
「汚くなんてないさ。それに少し、楽しいんだ。私には縁のないものだから」
「……楽しくないと思いますけど」
「楽しいよ。……緊張はするが」

 ちっとも緊張しているようには思えない。そんなことを考えていたのが、伝わったのかルシフェルは小さな苦笑を浮かべた。

「君の身体に触れるときは、いつだって緊張をする」

 サンダルフォンの足先に触れて、ルシフェルは真剣な口調で言うものだから、サンダルフォンは口をまごつかせて、結局何も言えなくなって、視線をさ迷わせた。ルシフェルが足を掴んでいなければ、珈琲を淹れて来るだとか、適当な言い訳をして、きっと、その場から逃げ出していた。逃げられない居心地の悪さ。サンダルフォンはきゅっと唇をかみしめる。



 塗り始めてから十分程度。ルシフェルが出来た、と小さく声を漏らした。サンダルフォンはやっと生きた心地を覚えたように、現実に戻る。十分程度が永遠にも感じられた。
 短い丈、どころかそもそも肌の露出が少ないサンダルフォンは日に焼けることが殆どない。特に足ともなれば顕著だった。白い肌が続く足先に、ちょんと鮮やかに彩られた爪。サンダルフォンはまじまじと、他人の身体を見ている気持ちで、見てしまう。はみ出すこともなく、塗り斑というものもない。均一に、彩られている爪先をじっと、見ていると、不安そうな声が掛けられる。

「気にいったかな?」
「とても」

 サンダルフォンは気恥ずかしさを覚えながらはにかんだ。そんなサンダルフォンを、ルシフェルは眩しく感じながら、見上げる。
 誰にも暴かれることがない、自分だけが知っているサンダルフォンを作りだすことに、喜びを覚えてしまった。無邪気ににこにことしているサンダルフォンに対して、抱いた邪な気持ちをひた隠すように、ルシフェルは笑みを浮かべて言った。

「暫くこのままで。また次もやらせてほしい」

 サンダルフォンは次があるのかという戸惑いと、けれどもこんなに綺麗に塗ってもらって嬉しいという気持ちでまぜこぜになって、変な笑みを浮かべた。
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