ピリオド

  • since 12/06/19
 空室を改造して喫茶室と称した当初こそ、物珍しさから団員たちがひっきりなしに訪れていた。開店祝いだと贈られた花があちこちに活けられていた。鮮やかな花は、団員たちの個性そのもののように、喫茶室を賑やかにした。花瓶が足りないものだからバケツに突っ込まれた状態ですらあった。
 サンダルフォンの想い描いた喫茶室とはかけ離れた姿であるのに、可笑しくて、照れくささを隠して笑った。
 ロゼッタの勧めで贈られた花をドライフラワーにして暫く経った頃には、サンダルフォンが淹れる珈琲が目当てだったり、静かな空間を求めてとだったりと、喫茶室は落ち着いた雰囲気となっていた。その頃にはサンダルフォンも経営修行として立ち寄った島で手伝いをしたり出張店を構えたりと接客業について学ぶこともあって、喫茶室では「マスター」らしくなっていた。ほとんど毎日姿を見せる団員の好みを知っているし、珈琲に牛乳と砂糖を山盛りに入れられても内心ではそんなにいれたら風味も何もないだろとか、珈琲である意味はあるのか!? なんて、思うものこそれあれど、それを表面には出さないようになった。

「あれは美味しいのだろうか」
「……彼らにとっての、一番美味しい飲み方なだけです。空の世界での当たり前ではないですよ」

 先手を打ってサンダルフォンがいえば、ルシフェルはそういうものなのか、と納得をした様子で珈琲を啜った。サンダルフォンは微苦笑を浮かべるしかない。

「苦味は本能的に危険と感じられる味ですから、幼ければ特に苦手意識が強いようです」
「砂糖や牛乳で緩和している、ということか」
「あとは個人差もありますがカフェインそのものが身体に影響を及ぼす場合もあるようなので、その対処として牛乳が緩衝材として吸収量が抑えられることもあるようですね。……受け売りですけれど」

 経営修行の中で知り合った空の民から聞いたものだった。ルシフェルがあまりにもまじまじと聞き入っているものだから、サンダルフォンは照れくさくなって、打ち明けるように付け足した。
 心掛けているつもりでも、ついと、価値観がずれることがある。
 サンダルフォンは星晶獣だ。空の民とは、生きてきた長さも異なれば、そもそものところ、身体の造りが異なる。サンダルフォンの肉体はカフェインを幾ら摂取したところで不調を覚えることはない。あるいは、覚えたところで備え付けられている回復機能によって治癒される。だから長く苦しみを味わうことはない。けれども空の民は異なる。
 カフェインの過剰摂取が死に至るなんて、サンダルフォンは考えたことも無かった。そもそもとして、自分が、今更誰かのために珈琲を淹れることを、サンダルフォンは描いてもいなかった。頼まれれば淹れることもあったけれど、それはついででしかなかった。
 ルシフェルは忽然と、見知らぬ場所に放り出されたような、頼りない気持ちを覚えた。今では、自分だけが知るサンダルフォンの顔は少ない。ルシフェルしか知らなかったサンダルフォンの珈琲は、誰もが当たり前に飲み、サンダルフォンも振る舞うようになっている。全ては、サンダルフォンが選んだことだった。喫茶店を開くことを夢に、そのために喫茶室を開いていることも、なにもかもが、サンダルフォンが考えたことだった。ルシフェルは、素直に、心から喜ぶことが出来ない、純粋に応援する気持ちになれない自身に、誰よりも戸惑いを覚えている。
 欠陥でもあるのかと不安を覚えた。なんせ本来ならばあり得ない事象なのだ。ルシフェルは滅びた存在だった。それが、幾多もの奇跡と偶然の上で再び命を得ている。それまでになかった異常があったとしても、あり得ないことではなかった。しかしながら、確認をした限り異常はない。首をかしげてしまう。そして本人以上に、サンダルフォンが顔を青ざめさせたからルシフェルは矢張り、妙な喜びを覚えてしまった。

「次の喫茶室が休みの時には、私が淹れよう」
「それは、楽しみにしています」

 サンダルフォンは、本当に、心底嬉しいと笑顔を見せる。それは、ルシフェルだけに向けられる、ルシフェルが無垢と慈しんだ、不変の笑みである。未だ、私だけのものだとルシフェルは安心してしまう。その笑みが、他に向けられたらと思うと、気が気でない。だから、つい、喫茶室に居付いてしまう。団員や、そしてサンダルフォンですら、疑問に思わないほど、ルシフェルは喫茶室に居ることが日常になっていた。
 約束を取り付けたところで、ルシフェルが団員に呼ばれて、席を立つ。洗濯当番の日だった。シーツを取り込む時間である。名残惜しむように喫茶室を出て行ったルシフェルを確認して、近くにいた団長がサンダルフォンに声をかけた。

「ルシフェルも珈琲を淹れるの?」
「俺に珈琲を淹れるのを教えてくださったのはルシフェル様だぞ」
「そうなんだろうけど。サンダルフォンが淹れると思い込んでたから。それにサンダルフォンなら、ルシフェル様にそんなことさせられないって言いそう」

 当たらずとも遠からずな団長の鋭い言葉に、サンダルフォンは見ていたのかと思わず口にしそうになった。今でこそ素直に嬉しいと言葉を口にするまでになったものの、ルシフェルが同乗することになり、改めて珈琲を淹れようとなったときには少しだけ揉めた。サンダルフォンだって、正直な気持ちであれば、ルシフェルの淹れた珈琲が飲みたいに尽きる。
 経営修行のなかで、美味しいと思える珈琲を幾つも口にした。その中で、不動の味は、ルシフェルの淹れる珈琲だった。全空から集まった珈琲を淹れる大会での優勝者の淹れた珈琲を飲んでも、確かに美味しいけれど、と思ってしまう。ルシフェル様の淹れた珈琲の方が、と比べてしまう。サンダルフォンが同じ淹れ方をしてもルシフェルの淹れたものにはならない。もう二度と飲めないと思っていたのだから、嬉しいに、決まっている。だというのに、素直に頷けられないのは、サンダルフォンの真面目すぎる性分だった。
 対等とはいうものの、麾下であるという立場が根付いている。創造主であるという認識がある。また、無意識ではあったものの、ルシフェルに珈琲を淹れることは、サンダルフォンのささやかな自尊心を満たす行為だった。その無意識に引きずられたサンダルフォンであったが、いつも私ばかりが君の珈琲を飲んでいるからと言われてしまって、サンダルフォンはそれ以上の言葉を持たなかった。次は俺が淹れますと言っても、喫茶室が折角の休みなのだからたまには客の立場であっても良いのではないか、なんて言われることが何度もあって、それからは素直にルシフェルの好意を受け取っている。

「美味しいの?」
「当たり前だろう。俺はルシフェル様の淹れる珈琲よりも美味しいものを知らない」
「そんなに? 僕も飲んでみたい」
「……まずは俺の淹れる珈琲に砂糖と牛乳を入れないところからだな」
「飲ませる気ないじゃん」
「悪いか?」
「独り占めはよくないと思うな!」
「……それは空の民の道理だ。俺は天司だぞ」
「こんな時だけ天司を出すのも狡いと思うな!!」

 サンダルフォンは知らん顔をした。団長が本気で言ったのではないことをサンダルフォンは承知している。けれども、冗談であっても、ルシフェルの淹れた珈琲を、たとえ団長であっても飲ませたくないのいうのが、サンダルフォンの本心だった。
 休みの日。扉に掛けている看板は裏返ったままの室内で、サンダルフォンはカウンター席に座っていた。普段はルシフェルの指定席だった。ルシフェルがその席に居なくても、団員達はそれとなく、避けて空席となっている。そして、ルシフェルがカウンターに入っていた。
 約束通りに振舞われた珈琲を口にする。淹れる方法は何度も見てきている。それこそ、記憶と変わらない、スタンダードな淹れ方だ。サンダルフォンが最初に教わった淹れ方でもある。特別なことはしていない。なのに、どうしてもこの味を再現できない。

「どうだろう」
「美味しいです、とっても!」
「良かった」

 言葉は少なく、感情表現も乏しくあるものの、それでも、四大天司や、それこそ殆ど同時期に作られたベリアル、そもそもの創造主であるルシファーがその姿を見ればいかにご機嫌であるのかに戦慄する。生憎と、サンダルフォンは見慣れていた。いつもの、ルシフェルである。どれだけ自分が甘やかされているのか、まだ把握しきれていない。特別扱いなのだと、気付くことがない。
 ルシフェルの淹れた珈琲は矢張り格別に美味しいものだ。だからこそ、珈琲の味を理解していないというのに、飲ませるのは惜しい。

──やっぱり、団長には勿体ない。せめて珈琲の美味しさそのものを理解してからだな。

 団長に設定したハードルをぐんと上げてしまう。勝手にハードルを設け、あげるなんて、サンダルフォンは、それが身勝手であることを重々に承知している。ルシフェルの淹れた珈琲を、誰にも飲ませたくはない。サンダルフォンだけが、知っていたいという、特別でありたいという、サンダルフォンの、我儘でしかない。それを、とてもではないが、打ち明けることは出来ない。散々に、醜態を晒してきて、裏切ってきて、だというのに、ルシフェルの眼に映るならばせめてと取り繕ってしまう。
 カウンターから出たルシフェルは、サンダルフォンの隣に座った。研究所では、考えられないことだった。
 肩が触れそうになる距離に、サンダルフォンは何時も緊張してしまう。身体が強張ってしまう。けれども、同時に、ふんわりと癖のある髪から、ちらと覗く耳は真っ赤になっている。サンダルフォンは、決して、嫌がっているわけではない。ただ、珈琲を味わう余裕がなくなるだけだ。そんなサンダルフォンを可愛く思ってしまうのは意地が悪くて、とてもではないが、口にできない。
 知らん顔でルシフェルは珈琲を口に入れる。いつも通りの、変わり映えのしない味だった。サンダルフォンが美味しいと言うのなら、それで良いとはいえ、ルシフェルにとっては物足りない珈琲だった。

「淹れるときに特別な過程は踏んでいませんでしたよね?」
「うん。それがどうかしたのかい?」
「……ルシフェル様と同じように淹れても、同じ味にはならないんです」
「なんだ、そんなことか。私だって、君の淹れ方を真似しても同じ味にはならなかった」
「ルシフェル様が?」
「可笑しいだろうか? 好ましく思うものを手元に置いておこうとするのは、到って当然の行動だと思っているが──……きみの淹れる珈琲をいつでも飲めたらと思っていた。思いがけず、叶ったな。今では、私だけのものでは、無くなってしまったが。……君の淹れる珈琲を、独り占めしたいと思っている。いや、私だけのものだと思っていた。それこそ、彼等には、勿体ないと思っている。傲慢なことだ。……失望したか?」

 ルシフェルの口にする言葉には、思い当たる節がありすぎて、サンダルフォンは否定なんて出来ないし、そもそも失望なんてもっての外である。それどころか、嬉しいという気持ちすら覚えた。告解するように打ち明けるルシフェルに対して、それこそ失望されることだとサンダルフォンはひた隠す。なんせ、ルシフェルに求められるということは、必要とされるということはサンダルフォンにとって、たとえ麾下でなくなったという立場であっても、この上ない喜びだった。同時に、大袈裟すぎるほどの言葉に恐縮してしまう。

「いいえ──ですが、俺なんかが淹れる珈琲に、そこまでの価値は……」
「きみが、なんかという珈琲を、私は今際の瞬間に望んだ」

 ルシフェルの言葉は、サンダルフォンには冗談なのか本気なのか分からない。けれども、冗談にしろ、本気にしろ、今際を引き合いに出すには、性質が悪い。

「……それを出すのは、狡いですよ」

 それだけしか、言えなかったサンダルフォンに、ルシフェルは、そうか、とちっとも悪びれずに言った。

Title:誰花
2022/07/25
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