ピリオド

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 あれ、ルシオは? と通りがかった団員に不思議そうに言われたものだからサンダルフォンはどうして自分に聞くのだろうかと不思議に思いながら、アイツなら洗濯当番だ、と返した。そうなんだ、と納得をされる。それだけなのかとサンダルフォンは呆気にとられた。何か用事があったんじゃないのかと訝しみながら問いかける。

「いつも一緒にいるから違和感があっただけ」

 言われたサンダルフォンはといえば、そうだろうかと、そんなに一緒に過ごしていただろうかとつい、考え込む。たしかにふと気づけばルシオが隣にいる。すっかり慣れていたから何も感じなくなっていた。
 一人で過ごしていた昼下がりに、時間を持て余していたサンダルフォンはいつものトリオに見つかると珈琲を強請られた。サンダルフォン、と呼び掛けられた時点でまたか、と予感はしていた。仕方ないな、と言いながらも求められて、悪い気持ちにはならない。やったあと喜ぶ彼等の姿は何時からか、サンダルフォンがグランサイファーで過ごす日常の一部になっていた。
 彼等の珈琲は牛乳と砂糖がたっぷりと入っている。珈琲本来の良さを台無しにするほどの、もはや牛乳と砂糖がメインなんじゃないかと思ってしまうそれだというのに、一丁前に、サンダルフォンが淹れてくれた珈琲が一番美味しい、だなんてお世辞なんだか御機嫌取りなんだか分からない言葉。珈琲の良さも分からないくせに。思っていても言わない。どうも、と気のない返事をする。だけど内心では気分が高揚する。それを必死で抑えて何でもないふりをする。昔取った杵柄。何でもないふりをすることは上手であると自負している。
 美味しいと言う彼等を見てもサンダルフォンの胸は温い感情ばかり。それに気付いて苦い気持ちを覚える。
 馬鹿らしい騒動に巻き込まれて、鈍くなった。身を焦がすような憎悪もこびりついた怨嗟を忘れてしまいそうだった。忘れてはならない。忘れてしまうことが、恐ろしくてたまらない。だってその感情が結びつく先こそが、サンダルフォンをサンダルフォンたらしめる、根幹である。だというのに、揺らいでいる。それは果たして、サンダルフォンであるのか──。自分は、サンダルフォンと云えるのか。足場が崩れるような不安。縋りつきたくなる心細さ。ここにいて、良いのだろうか。自分にはこの優しい場所は、相応しくない。

「サンダルフォン?」
「……ん、どうかしたのか」

 ぼんやりとしていたサンダルフォンは団長の呼び掛けに意識が戻る。ぐらついていた足場がなんでもないよう固まっていた。
 心配そうな顔をするトリオになんでもないよと言ってほんの少し、温くなった珈琲を啜る。心配されることに、未だに慣れることはない。心配されるほど、弱くはない。サンダルフォンは長く生きている──多少の経験不足は感じている。そもそも、サンダルフォンは天司だ。ただ役割を果たすことのないと枕詞がつく。一瞬で浮かんだ自虐は口にしない。口にしたところで意味は通じないからだ。通じたとしても口にしない。知られたくない。役に立たないのだと呆れられたくない。意味のない存在なのだと、悟られたくない。役に立たないというのに、自尊心ばかりが高いことは自覚していた。

「私も珈琲を頂いてもいいかしら?」
「……少し待ってもらってもいいか?」
「えぇ、ありがとう」

 顔を覗かせたのはコルワだった。最近は、あまり共有室──食堂だとか遊戯室、甲板で姿を見ることが少ない。久しぶりに見るコルワは少し疲れた様子が見える。ドレスデザイナーだけあって、日ごろから自身の容姿にも気を使っている彼女なだけに珍しい姿ではあるが、全くない姿ではない。
 サンダルフォンは簡易キッチンの一角のガラス瓶を手に取る。ガラス瓶は数個並び、その中身はどれもが珈琲豆だ。珈琲豆はサンダルフォンの部屋にもあるのだが、その中でも飲みやすいものだったり、サンダルフォンが気に入っているものは簡易キッチンの一角を借りて、置かしてもらっている。サンダルフォン専用、という訳ではないが手に取り、珈琲を淹れるのはサンダルフォンである。誰でも使って良いと言っているのだが、団員はサンダルフォンに淹れてくれと声を掛けるのだ。自分で淹れたら良いのに言うものの、サンダルフォンが淹れてくれたものが一番美味しい、と団長たちに感化されたのか、それともそう言えばサンダルフォンが言うことを聞くとでも思っているのか言われてしまう。実際にその通りであるのが癪だ。サンダルフォンとて、ちくりと棘のある言葉を口にした。

「別に誰が淹れても同じだろう?」
「いや、違うんだよなこれが……」
「手順なら教えたはずだ。何か間違えてるんじゃないのか?」
「その手順通りに淹れてもなんか、違うんだよな……あ、いっそサンダルフォンがグランサイファーの中で喫茶店でも開いたら良いんじゃないか? それならいつでも気軽に飲めるだろ?」
「サンダルフォンの珈琲は僕も好きだし、部屋なら空いているよ?」
「簡単に言うな。それに声をかけられたらよっぽどじゃない限り淹れてやるさ」

 名案だと言わんばかりのラカムや妙に乗り気なノアにサンダルフォンは肩をすくめた。
 提案に対して、悪い気持ちはしなかったものの、喫茶店なんてとてもじゃないが柄じゃない。自分の珈琲にはそんな価値はないのだ。ただほんの少し、人よりも長く生きているから珈琲を淹れることが得意なだけ。持て余していた時間を注ぎ込んだだけ。その程度の技量。たまたま、現状、グランサイファーに乗り合わせている団員の中で上手なだけに過ぎない。それに、サンダルフォンは自分が淹れる珈琲はまだまだだと思っている。一番に美味しい珈琲を、知っていた。それを考えると胸がすーすーとするものだから、考えたくない。ガラス瓶から一つを選び取る。カフェインがあまり強くない種類だ。
 コルワはドレスデザイナーだ。それも超一流といっても過言ではない。コルワがデザインしドレスを着ることが全空の花嫁の理想であるらしい。そのお陰ともいうべきか、ひっきりなしに依頼が来る。疲れ切った様子から、依頼の量が多かったのだろう。

「どうぞ」
「ありがとう。美味しい……染み渡るわ……」

 ほっと一息ついた様子のコルワはそうだ、とサンダルフォンをじっと見つめる。それから、

「あなた達って結婚式は挙げたの?」
「……結婚式?」
「もしかして騎空艇に乗る前に挙げてるんですか?」
「いや、あなたたちって、だれとだれの、ことだ……?」
「そりゃあ、サンダルフォンとルシオに決まってるじゃん」
「何言ってんだ?」

 決まっていて堪るか!! とは口にできずに、サンダルフォンはひくりと頬をひきつらせた。たしかにサンダルフォンとルシオは、ルシオのその容貌で引き起こされる痴情のもつれを避けるためにカップルを装うことがあったし、サンダルフォンもその設定を利用したことが幾度もある。否、度々あった。
 けれどもあくまでも設定でしかない。
 そもそもサンダルフォンの性自認は男であり、何よりサンダルフォンはルシオに対して恋愛感情を抱いていない。それどころか恋愛感情というもの自体を理解していないのだ。寧ろルシオの傍で愛だとか恋だとかで起こる問題に巻き込まれる中で、恐怖心すら感じた。そんな自分が、結婚。何を言っているんだとふざけているのか揶揄っているのかと思ったが、話しを振って来た彼等は揃いも揃ってきょとりとして、からかいだとかの気持ちは感じられない。寧ろ当たり前のことだろうと言わんばかりにルシオとサンダルフォンをそのように扱っていたのだ。いつからだ。いつからそう思われていたのだとサンダルフォンは慄いた。
 思った以上に、根深く団員たちに自分たちがカップルであると思われていたことをようやっと理解したのだ。

「サンダルフォンならマーメイド型のラインが良いんじゃないかしら。それかAラインドレス……で、レースたっぷりも良いけどシンプルに……」

 戸惑うサンダルフォンを他所にコルワは疲れているはずだというのに、楽しそうにデザインを口にする。口にしながら我慢できないというように、近くにあったメモ紙にペンを走らせ、即席で頭に浮かんだデザインを描き起こしている。流石はプロである。どうかしら、と幾つかのデザインを見せられたサンダルフォンは良いんじゃないかと、当たり障りのない返事をするしかない。
 水着よりかは遥かにマシだ。露術部分が少ない。サンダルフォンを配慮したのだろう。

「皆さんでお茶会ですか? 私もご一緒してもよろしいでしょうか」
「どうしてこういう時に限ってお前は来るんだ!! 当番は!?」
「当番ならしっかり、終わらせてきましたよ。疑っているんですか? ひどいです、傷つきました、珈琲をお願いします」

 傷ついていないくせに何を言ってるんだか!!
 ルシオときたら、タイミングを見計らっていたんじゃないかと思うくらいに、サンダルフォンにとっては最悪なタイミングで現れる。ほらやっぱりと言わんばかりに、当たり前に受け入れる団長たちにサンダルフォンは今更になってちがうとも言えない。じゃあどういう関係なのかと聞かれたら何も言えない。他人と呼ぶには近すぎるし友人と呼ぶにはお互いを知らない。相棒、というのも違う。自分たちの関係性は当人ですら分からない。何より知らない。ルシオについてサンダルフォンは知らない。空の民ではないことは理解している。けれどもその程度だ。そしてその程度は団長たちとて、うっすらと理解している。サンダルフォンもまたルシオに対して正体を口にしていない。過去を教えていない。教えられない。知っているのかもしれない。けれども、どうしてだか口を噤んでしまう。
 これ以上此処にいたら飛び火するとサンダルフォンは舌打ちをすると待っていろと言ってキッチンへと逃げる。ルシオはその姿を優しく見つめていたものだから、団長たちは照れたんだねとひっそりと耳打ちしあっていた。サンダルフォンは否定するタイミングを見失った。
 どうせなら思いっきり苦いものを淹れてやろうかと思ったのだが生憎とキッチンに持ち込んでいる珈琲豆はどれも飲みやすいものを選んでいる。サンダルフォンは仕方なく、いつも淹れている──ルシオが飲みなれている珈琲豆を手にした。
 そういえばアイツは珈琲を飲むのは初めてだと言っていたときから、砂糖も牛乳も入れていなかったなとふと思い出した。美味しいですと言ったものの、本当なのかとサンダルフォンは訝しんでいた。なんせサンダルフォンが初めて飲んだときには泥水ではないかと疑ったくらいだ。騎空艇に同乗してから砂糖と牛乳を入れた珈琲もあるのだと知ったくらいに、サンダルフォンにとっては珈琲はそのままで飲ということが当たり前だったのだ。
 淹れた珈琲を渡せばにこやかにありがとうございますと言われる。ふにゃふにゃとした顔に、怒りも困惑も湧かなくなって久しい。ルシオの顔だなと当たり前に受け入れたのは何時からなのか分からない。
 ルシオの存在にひやりとしたものの、珈琲を淹れるという過程が挟まったからかどうにか、先ほどの会話を絶てたとサンダルフォンが人知れずほっとしたのもつかの間。テーブルの上にはコルワが落書きにデザインしたドレスのメモが数枚残っていた。そしてそれに気づかないルシオではないのだ。

「それは?」
「これ? まだ落書きだけど見る?」
「それでは……どれも可愛らしいですね。サンちゃんによく似合いそうです」
「何言ってるんだ、お前」
「あらやっぱりわかるのね!? それサンダルフォン用にって考えてたのよ」
「なるほど……どれも似合いそうです。ですが可愛らしいサンちゃんを人目にさらすことは出来ませんので……」
「心の狭い男は嫌われるわよ?」
「サンちゃんにさえ好かれていれば問題ありませんよ」
「何言ってるんだ、本当に」

 ひゃあと小さく悲鳴を上げて頬を染めたルリアと勘弁してくれというような団長、そしてビイの姿にサンダルフォンは自分もそっちに行きたいと心底思っていた。じとりとした視線を何を勘違いしたのか、気付いた団長はそれじゃあこれでと言って、ルリアとビイを連れて、そそくさと立ち去る。待て逃げるな。コルワも妙なところで空気を読むものだからやってられない。

「特別料金で良いわよ?」

 なんて言ってパチンと素敵なウインクをして去って行った。サンダルフォンはうんざりと溜息を吐き出した。

「よくもあんな嘘をすらすらと口にできるな」
「私は嘘を口にしませんよ」
「真実も口にしないんだろ」

 ルシオは何も言わずににこりと笑みを浮かべた。胡散臭い男だ。それでも街中に出れば老若男女問わずに囲まれている。サンダルフォンはすっかり呆れた。ルシオについてサンダルフォンは詳細を知らない。天司、且つ天司長が手掛けたサンダルフォンのコアに介入する程なのだからただの旅人な訳が無い。警戒に値する人物である。だというのに、その警戒は保ち続けていない。
 嫌いではない。──言動に呆れるはするけれど。
 好きではない。──だって面倒は御免だ。
 けれど離れたりしない。何をやってるんだかと苦笑して、呆れて、結局、変わらない距離が続いている。その距離が近い所為、恋人を通り越して結婚しているのだと思いこまれているのだとサンダルフォンは気づかないし、ルシオも訂正しないものだから、二人を取り巻く認識は変わらない。

2022/06/27
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