ピリオド

  • since 12/06/19
 折角頑張って仕上げた課題プリントを家に忘れてしまったグランは、これまでの態度を省みた担当教師のお情けにより、本日中に仕上げることを条件にして居残りを命じられた。といっても内容は全く同じ、というわけではない。ひいひいというグランに、サンダルフォンはそこを間違っている、ここの公式を使えと適宜指示を出していた。そのうちに、グランは理解したようにああここは……とサンダルフォンの指示もなく問題を解き出す。サンダルフォンはその様子を見るだけだった。
 二人だけしかいない教室に、グラウンドで練習をしている運動部の声がよく響く。

「付き合ってもらってごめんね」
「別に構わないさ。どうせ、図書室で時間を潰すだけだったから」

 照れちゃって。グランはにやけをかみ殺したみたいな気持ちのわるい顔をするからサンダルフォンはむっとなる。それから呆れたように、

「なぜ勘違いしているのか、誤解しているのか興味はないが……俺とあの人は付き合っていない」

 後半、一字一字を区切って言うサンダルフォンに、グランはまたまたと冷やかすように言えば、サンダルフォンは苛立ちを隠そうともしないものだから、その言葉が真実であるのだと察した。

「本当に?」
「こんな不敬な嘘、つくもんか」
「……あんなにイチャイチャしてるのに?」
「イチャイチャなんてしていない」

 うんざりと言うサンダルフォンに、あれでイチャイチャしていない、付き合っていないというサンダルフォンの感覚こそ、グランは理解し難かった。
 正直なところサンダルフォンは人気がある。同級生のなかではトップクラスである。キャーキャーと騒がれるタイプではないが、ひっそりと思いを寄せられている。ひっそりとしているからなのか、サンダルフォンは全く気付いていない。それどころか、思春期の男子ならばちらっとは考えたことがあるようなモテたい、とすらも考えたことがないのだ。その余裕は何処から? きっと既にお付き合いしている人がいるから。そのお付き合いしている人って? サンダルフォンが付き合うならルシフェルに違いないでしょ、とグランだけでなくサンダルフォンを知るならだれもが推理した結論である。そしてその結論を根拠づけるのがルシフェルの存在であったのだ。
 誰がどう見てもルシフェルとサンダルフォンの関係は付き合っているようにしか見えなかったのだ。過去を知るグランにしてみれば落ち着くところに落ち着いたような気持ちであったから、まあ当然というように思っていた。

「それにイチャイチャもなにも、俺とあの人の距離は昔から変わっていない」
「昔って?」
「俺が作られてから、今に至るまで、だ」

 言わなきゃ分からないのか。という副音声が付きそうな言葉にグランは内心で引いていた。サンダルフォン、感覚が麻痺してる。そしてあの距離感が当たり前な天司って怖い。天司に対する風評被害である。他の天司がいたならば、あの二人が特別なのだと一斉に否定する。

「でもさぁ」と、グランが口を開いた瞬間を見計らったように着信がなった。サンダルフォンはぱっと携帯を取り出すとグランに断りを入れた。はい、と着信に出たサンダルフォンの声はワントーン高く感じる。グランはその様子をちらっと見る。申し訳なさそうな、それでいて、嬉しそうな顔をしている。相手は聞くまでもなく、ルシフェルだ。二言三言交わすと、名残惜しむように通話を切ったサンダルフォンはグランと向き合う。

「あと五分で終わらせるぞ。終わらなかったら一人で解け」
「サンダルフォン、鬼?」
「人だよ、団長」
「もう団長じゃないよ」

 情けなさい声を出す友人に、サンダルフォンはくつくつと笑った。けれども言葉を翻すことはない。告げた通りに、まだプリントの3分の1が空白であっても、時間だなというと帰って行った。グランは引き留めることは無駄だと分かっている。サンダルフォンの絶対は揺るがない。じゃあ来週、と言って手を振ればサンダルフォンはちょっとだけ申し訳ない顔をしてまた、と言って小さく手を振った。サンダルフォンが去ったあと、一人きりの教室で窓を見る。ああ日が沈んでいくな……と黄昏ていると校門に遠目からでも煌めているような人影が見えた。
 校門の近くに静かに立っているルシフェルを視界に認識するなり、サンダルフォンは駆けよった。息を切らせるサンダルフォンの姿をルシフェルは苦笑しながら、息が整うのを待つ。今来たところだよとルシフェルは言うが、サンダルフォンがそんな嘘、見抜けないはずがない。けれどもルシフェルのことを、不敬と承知の上で表現するのなら、頑固であることも理解している。それは、この十数年の付き合いで渋々ながらも、サンダルフォンの中で生まれた認識である。この送迎だって、ルシフェルの頑固で延長されている。
 幼い頃はそれが決まり事であったし、サンダルフォンが不満──ルシフェルに迷惑はかけられないと辞退したところで、ルシフェルを困らせるだけでしかないと分かっていた。けれども成長しても続いている送迎は、ルシフェルの我儘でしかない。
 今のサンダルフォンは不審者を撃退できる程度には成長している立派な青年である。だというのにルシフェルは送迎に関しては頑なで、サンダルフォンが幾らいっても聞きやしない。
 サンダルフォンが持っている通学鞄をさりげなく持とうとするのを、どうにか死守する。にこやかに、けれども鉄の意思を持ってして、どうにか鞄を死守したサンダルフォンとやや不満そうなルシフェルは並び歩く。

──もう16になるのに。

 不満はいつだってサンダルフォンの胸の底で静かに積もっていた。覚えがある。研究所で、いつまでたっても明らかにされない役割の果てに、知ってしまった真実。その後の惨劇が脳裏に過った。

「サンダルフォン、気分が悪いのかい?」
「いえ、ちょっとだけ、疲れているだけです」
「病院に行こう」
「病院に行くほどでもないですよ」
「だが、」
「……長引くようなら行きますから。寝れば治りますよ、この程度」

 心配症なんだから。サンダルフォンが苦笑して言えば、ルシフェルは渋々と引き下がった。このままだったらかかりつけの病院まで連行されそうだった。事実として、前科がある。
 ちょっとした擦り傷、子どもなら頻繁に出してしまうような熱、転んだ程度──その度にルシフェルは救急車を呼ぼうとしたりだとか、とにかく、大袈裟なのだ。それだけサンダルフォンのことが大切なんだよ。とは言うがサンダルフォンは恥ずかしくてたまらなかったし、両親たちの生温い視線の居心地が悪いったらなかった。
 ルシフェルの優しさは、少々息苦しい。サンダルフォンは、看病しようか、一人で大丈夫かと何度も確認するルシフェルをどうにか追い返して、といえば不敬であるが、一人で大丈夫だからと言って帰した。何かあれば連絡をするようにと約束を付けられたものの、サンダルフォンにはその気はさらさらない。ルシフェルの時間を潰すことは、サンダルフォンの本意ではなかった。
 共働きの両親の帰宅は深夜だ。それまでは独りである。束の間の独りであるうちに、サンダルフォンは今後、どうにかしないと、と考える。まだ春先である。今の内に、手を打たなければまた続いてしまう関係を、終わらせなければならない。小さな幼馴染という認識を変えなければならない。考えているうちに、本当に頭が痛くなった。ぐるぐると脳味噌が高速回転しているような、三半規管が揺れ動いているような感覚に、サンダルフォンは顔を青ざめさせる。それから不意に思いついた。

「そうだ、恋人を作ろう」
「それで選ばれたのが俺なわけ?」

 思いつくなり連絡を取ったのは従兄弟だった。変わることのない軽薄さ、胡散臭はサンダルフォンに対しては剥きだした。ある意味で気心の知れた相手でもある。そしてサンダルフォンの不満を理解するのは、度し難いことに、ベリアルだけだった。
 サンダルフォンの突飛な誘いに、ベリアルは、まあ良いけどと軽く承知した。従兄弟を想って、なんてという思いやりでもなければ同情でもなんでもない。ただ、ルシフェルに対しての嫌がらせである。サンダルフォンはあっさりとベリアルが頷いたものだから拍子抜けしたものの、自分から口にした手前何も言うことが出来ずに変な顔になっていた。ベリアルはその変な顔に対してどうしたんだい、と甘い声で囁いた。サンダルフォンは気持ち悪くなった。
 休日出勤をする両親と入れ違うように訪れたベリアルに対して、サンダルフォンは散々な振る舞いであるが、それは昔からの事である。そしてサンダルフォンがぞんざいに扱うのはベリアルだけであった。

「俺、そんなにサンディに好かれてたんだ」
「いや、消去法だ」

 一も二もなく否定したサンダルフォンにベリアルはだろうねと笑って言った。
 サンダルフォンの思考回路は単純だった。ルシフェルは責任感が強い。だからこそ、幼いサンダルフォンを守らなければという思いのまま、今に至るのだ。ならば、サンダルフォンを守る相手は別にいると思わせればいいだけである。ルシフェルが守る必要はない、と責任から解放するのだ。ここで、別に居ると思わせることが大切なのだ。ひとりで大丈夫、はルシフェルに通じない。通じていれば、今に至らない。

「お前も苦労しているね」

 それだけはベリアルなりの、真実の同情である。苦労、と繰り返して言ったサンダルフォンだったが、思い至らない。苦労に覚えはなかった。いつだって、サンダルフォンは自分の所為で、申し訳ないという気持ちしかなかった。寧ろ、自分ばかりが得をしている、独り占めしているという薄暗くて恥ずかしい優越感があったのだ。苦労をしているのは、ルシフェルに他ならない。
 今となっては他人でしかないサンダルフォンの面倒を、年上だから、幼馴染だからと見続けているルシフェルこそ、苦労人である。

「別に俺は苦労をしていない」
「だったらどうして俺を頼るんだい?」
「……あの御方に、迷惑をかけたくないからだ。その為だ」
「あいつは迷惑と思っちゃいないさ。喜んでいるだろうよ」

 うんざりと、知っている風に言うベリアルに、サンダルフォンは胸がざわついた。嫌な気持ち。気分が悪い。その理由が霧の中に包まれたように見えないからこそ、不快でならない。途端、着信がなった。ベリアルに断りを入れたサンダルフォンが通話に出る。ベリアルはまさか出るとは思わないでいたから、少しだけ驚いたものの、様子を舞台でも見るような気持ちで鑑賞する。
 ワントーン高い声に、きっとベリアルは勿論のこと、世界でただ一人以外にさせることはない表情を浮かべるサンダルフォンのことを、愚かだと思った。サンダルフォンが淹れた珈琲を口にする。数少ないサンダルフォンの特技は、普段インスタントコーヒーか、あるいはチェーン店のコーヒーを飲む程度のベリアルも素直に上手いと思ってしまう。

「電話に出ないって選択は無かったのかい?」
「どうして?」
「一応、恋人と過ごしてるって忘れてない?」
「……そういうものなのか?」

 うっわあ! とベリアルは顔と声に出して言った。サンダルフォンはベリアルに対して信頼も信用もないが、そこまでの反応なのかと衝撃を受けた。

「良いかい、サンディ。きみと俺の関係は仮初とはいえ恋人だ。恋人といる空間で、電話に出るのはマナー違反なんだよ」
「でもルシフェルさまだし」
「あのね、サンディ。誰の電話か、なんて関係ないんだ」
「……それは、常識なのか」
「世間知らずなサンディは知らないかもだけど、一般常識だよ」
「…………本当に? 嘘じゃないのか?」
「その携帯で調べてみても良い」

 言い聞かせるようなベリアルにサンダルフォンは不安に駆られた。それから言われるがまま、ブラウザを開くと検索ボックスに思いついた単語を入れる。

<<恋人 電話 マナー>>

 表示された検索結果には、どれもベリアルが言っていたことと変わらない内容が表示されている。だけど、ルシフェル様だぞ? サンダルフォンは検索結果に、不満を覚えた。

「それで電話は何だったんだ?」
「ああ……これから来るって」
「俺がいることは伝えてるのか?」
「伝えたけど来るって」
「……今更だけどサンディ、誰かと付き合ったこと、ないだろう?」

 サンダルフォンは沈黙した。沈黙こそが首肯である。今の今まで、ルシフェルの過保護で生活範囲が極僅かである、そのルシフェルこそがサンダルフォンの恋人であるとサンダルフォンは知らずとも多くに認識されているサンダルフォンは、とてもではないが恋人を作る環境にない。サンダルフォン自身、恋人が欲しいと思ったこともなかった。
 ベリアルは深い溜息をついた。

「そもそも、サンディは誰といたところでルシフェルを優先するんだから、もう諦めな。」
「それは、」

 サンダルフォンは咄嗟に否定をしようとした。けれども、否定の言葉が出てこない。
 悔しいことに、ベリアルの言葉は真実だ。
 口惜しさに顔を歪ませたサンダルフォンをベリアルはお兄さん面して、見遣る。

「そんなサンディに付き合ってくれるような酔狂いないさ。まあ、一人を除くんだろうけど」とベリアルが言ったところで、カチャリと開錠される音が妙に大きく響いた。

「あいつ合鍵持ってるの?」

 サンダルフォンがこくりと首肯すればベリアルはうわあと言った。そこまで可笑しいことなのだろうか。幼馴染であるし、両親は共働きで深夜になることもある。両親はルシフェルのことを信頼しているし、サンダルフォンにとって、それは当然のことだった。ベリアルはぼそりと外堀どころじゃないじゃんと呟くとやれやれと立ち上がる。

「帰るよ。君等は話合った方がいい。それと、俺は巻き込まれただけだから、そんな熱い視線を送られてもねぇ」

 揶揄うように言うだけ言うと、ベリアルは入ってきたルシフェルの横をすり抜けて言った。しん、と耳鳴りのような静けさに居心地悪くなったサンダルフォンはベリアルの後を追おうとした。けれども出来ずにいた。
 体が縫い付けられたように動かない。あるいは、石にでもなったかのように重い。

「サンダルフォン、調子は良いのかい?」

 優しく問いかけられている。だというのに、サンダルフォンは責められているように、詰られているように聞こえた。
 何一つとして悪いことはしていない。裏切りなんてない。だから、疚しさなんて欠片もないというのに、サンダルフォンは見つかってしまったみたいな気まずさでルシフェルに対して、どう振る舞えばよいのか分からない。
 サンダルフォンが返事をしないでいると、ルシフェルはサンダルフォンの真横に座った。サンダルフォンは怖くなって、見ることが出来ない。やがて、白い指がサンダルフォンの頬に触れた。

「触れられたかい?」
「いいえ」
「ここは?」

 指がするりと唇に触れる。サンダルフォンは首を小さく、横に振る。やっと、ルシフェルが張りつめさせていた威圧感を解いた。それでも、唇に添えられた指は離れて行かない。サンダルフォンは戸惑い、ルシフェルに視線を向けた。ルシフェルは静かにサンダルフォンを見下ろしていた。やがて指先が離れた。それから、視界が真っ暗になる。背中と頭に添えられた掌。あ、抱きしめられているのかと気づくまでに時間がかかった。

「あなたに迷惑をかけたくないんです」
「迷惑なんて掛けられた覚えはない」
「なら、麻痺してるんです」
「おかしなことを言う。すべて私の意思だよ」
「……なら責任感?」
「責務でもなんでもない。きみのことを愛してるからだ」
「揶揄わないでください」
「揶揄ってないよ。それに、君だって私のことを愛している」

 まるで、空が青いことのように、さも当然な口ぶりであった。あまりにもな傲慢な言葉だと、サンダルフォンは口をはさむことが出来なかった。

「どうして知ってるんですか」

 情けなく、震えた、くぐもった声で、どうにか問いかけていた。ルシフェルは、何を言っているのかと言うように、

「きみが、サンダルフォンだから」

 ルシフェルの言葉が耳朶を震わせる。
 サンダルフォンは、否定しようとした。けれど、否定の言葉は音にならなかった。結局、サンダルフォンは諦めた。自分はサンダルフォンである。肉体が変わり果てたところで、変わらない。どう足掻いたって、サンダルフォンはルシフェルを、愛している。
 諦めて、ルシフェルの胸に身を預けるサンダルフォンを、ルシフェルはただ優しい瞳で見つめていた。
 結果として、巻き込まれかけただけであるベリアルとしては、雨降って地固まるような結末に面白いとは思わない。それでも、あのルシフェルから嫉妬を剥きだしにした視線を送られたのは今でもいい心地だった。今も昔も変わらない。ルシフェルの感情を揺さぶるのはサンダルフォンである。それを知らないのが当人だけというのが面白いことだ。ルシフェルが隠そうとして隠しきれていないのを、誰よりも傍にいるサンダルフォンが理解していない。それも、これまでのようであるのが詰まらない。
 結果報告にベリアルは嘆息を零せば、通話越しにでもサンダルフォンは気まずげになるのを感じた。

「結局俺は当て馬だったってわけだ」
「……悪かった」
「まあ、こうなることは予想してたさ」

 どうして、とサンダルフォンは理解できない。確かに自分からルシフェルに対する感情は駄々洩れであったのだろうけれど、ルシフェルに至っては変わらない。素振りは無かった。そう思っているのは、サンダルフォンだけである。

「あいつはお前のことしか考えてないからな。昔から。サンディは愛されているんだよ。それこそ、神様が怒っちゃうくらいに、さ」

 無神論者のくせに何を言うだか。サンダルフォンは思ったが、何を言って良いのか分からない。ベリアルは軽薄に笑うと、また顔を見に行くよと揶揄う。サンダルフォンがいやな顔をしているのが想像についたベリアルはまた笑うと、それじゃあねと言って通話を切った。

Title:エナメル
2022/05/30
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -