ピリオド

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 洗濯物を畳み終えたサンダルフォンが一息ついた瞬間を狙ったように着信がなる。相手はベリアルだった。ベリアルからの連絡はろくなことがない。サンダルフォンは一瞬取るのを躊躇ったが、その間も着信はなり続けている。迷いに迷ってから、サンダルフォンは仕方なしに端末を操作した。
 ベリアルの背後はがやがやと騒がしい。それだけで何処にいるのか想像がついてしまう。溜息を吐き出しそうになるのを耐えて会話を終わらせる。それから洗濯物を仕舞い、冷蔵庫に水が入っていることを確認する。暫くしてからチャイムが鳴った。一応、ドアスコープを覗く。申し訳なさそうな顔のくせに、笑っているベリアルにむっとしながらも玄関を開けた。

「悪い止められなかった」
「まあ、こうなっているだろうとは予想していたさ」
「ファーさん、ほら着いたよ」
「ああ……」

 一人で歩くどころか、立つこともままならない様子のルシファーに肩を貸しているベリアルは疲れ切っている様子だった。ふらふらとしているルシファーはずるずると玄関に座りこむ。ベリアルは苦笑してじゃあ後は任せたと言って帰ってしまう。サンダルフォンは態々送ってくれた手前、どうせなら部屋まで運んで欲しい、なんて厚かましいことは言えずに、座りこんだルシファーの顔をのぞき込んだ。ルシファーはのっそりとした仕草でサンダルフォンを見上げる。ぼんやりとした顔はどこか幼く見えた。

「立てるか?」

 サンダルフォンが声を掛ければ、のそのそと首肯される。それから立ち上がろうとするもふらふらと見ていられない。サンダルフォンが肩を貸してどうにか、リビングのソファに辿り着いたのは帰って来てから三十分近く経っている。日付はとっくに変わっていた。
 ずるずるとソファーから落ちそうになっている姿に苦笑しながら、水を持ってこようとキッチンに向かおうとしたサンダルフォンは、思わず、つんのめる。ぎゃっと情けない悲鳴を上げて転びかけたところを、すんでのところで立ち止まる。恨みがましく振り向けば、ぼんやりとしたルシファーがサンダルフォンの服の裾を握っていた。

「結婚するぞ」
「は? 何言ってるんだ、酔っ払い」
「酔っていない」
「酔ってるじゃないか」

 サンダルフォンはすっかり呆れて、力の入っていないルシファーの手を解くとキッチンへと向かう。冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出してリビングに向かえば不機嫌そうに、恨みがましくサンダルフォンを見詰めるルシファーと目が合う。

「おれのなにがだめなんだ」
「……酔ってるところ?」
「酔っていない」
「酔ってるだろう」

 サンダルフォンは毎度のやりとりだなあと思いながらペットボトルの蓋を開けるとルシファーに差し出す。ルシファーは受け取ると数口、飲んだだけだった。それから、自分と結婚するメリットをつらつらとあげ始める。サンダルフォンはその様子が普段とはあまりにも異なる姿なものだから、録画でもして酔いが醒めたら見せようかとも思ったが、きっと不機嫌になるだろうなと思って、ただ、自分の記憶に刻むに留めた。それにしても理路整然としたプレゼンは何処か研究発表に近しいものがある。事実、ルシファーは研究者である。サンダルフォンにとってはちんぷんかんぷんな分野での一人者であるらしい。一通りにプレゼンが終ったルシファーは、少し温くなった水をまた数口飲んで、黙りこくった。

「風呂は、止めておこう。明日で良いか」
「一緒に入れば良いだろう」
「何言ってんだ酔っ払い。早く寝ろ」
「お前も寝るぞ」
「まだ起きてるからひとりで寝てくれ」
「寝るぞ」
「いや。だから……」
「いいのか、俺が、ひとりで寝るんだぞ」
「……わかったよ、酔っ払い」

 駄々をこねるルシファーにサンダルフォンは根負けする。そもそも、ルシファーに対して勝てたことは一度もない。何よりも酔っぱらいで理性も何もない相手というのは真剣に相手をすると疲れるのだ。仕方ないとサンダルフォンはルシファーを寝室に運ぶ。
 一人用の寝台にルシファーを転がす。それから首元のシャツのボタンを数個開けた。シーツを洗ったばかりだというのに、と残念な気持ちになったサンダルフォンを、ルシファーが見上げて口を開いた。

「結婚するぞ」
「しつこいなぁ……誰と間違えてるんだか」

──お前と、そういう関係じゃないだろ。

 口にしようとして思わず詰まった言葉は、サンダルフォンの中でしこりのように固まっていく。
 そもそも、他人の気配があると眠れないと言っていたのはお前だろうと沸々と怒りが湧き上がる。サンダルフォンは物に当り散らかしそうになるのをぐっと堪えて、珈琲でも淹れようと部屋を出た。
 背後から聞こえる寝息が憎たらしいったらない。
 珈琲を淹れることに集中して、出来上がった渋みの強い珈琲を飲めばサンダルフォンは苛立ちが凪いで、すっかり、落ち着いていた。
 恋愛関係ではないと理解しているのに、結婚だとか言われて舞い上がる気持ちがあるのは、少なからずルシファーのことを憎からず、思っているからだ。相手が自分でないと分かっていても、浮かれてしまう。厄介な感情を無視できるほど、サンダルフォンは器用ではない。そして不器用だからこそ、何でもないようにと言い聞かせながら立ち回っているのに、ルシファーはお構いなしである。
 珈琲を飲み終えたサンダルフォンは仕方ないと、ソファで眠りに就いた。自分の家であるというのに情けない。それでも、嫌われたくないという細やかないじらしさである。
 目が覚めたルシファーは、その部屋が一瞬どこなのか分からずに困惑を覚えた。ややあってから、サンダルフォンの部屋だと気づくと頭を抱える。幸いなことに、アルコールが残らない体質であるというのに痛みを覚えた。
 確かな足取りで寝台を出る。電気が付いていないとはいえ、カーテン越しに薄明かりが漏れていた。枕元の時計は早朝を指している。
 部屋を出て、リビングのソファで丸まっている姿が目に付いた。態々こんな寝方をしなくても良いだろうと、家主の寝台を奪っておきながら考えるのがルシファーのルシファーたらしめるところである。
 丸まっているサンダルフォンの寝顔は、タオルケットで隠れている。タオルケットを取ろうとしたところで、サンダルフォンが目を覚ます。思わず、舌打ちを零したルシファーだったが、寝起きのサンダルフォンはぼんやりとして気づいた様子はない。数度の瞬きを繰り返してからルシファーの姿を認識すると、ああと思い出したように間の抜けた声を出した。

「気分は悪くないのか?」

 ルシファーが首肯すればサンダルフォンは良かった、というだけだった。サンダルフォンはタオルケットを畳むと、ふわと小さく欠伸をこぼしながら、キッチンへと向かう。ルシファーは何とも言えない居た堪れなさを誤魔化すように、先ほどまでサンダルフォンが寝ころがっていたソファに座る。仄かに、暖かい。

「珈琲を淹れるけど飲むか?」
「あぁ」

 分かった。という言葉がやけに嬉しそうに聞こえたから、ルシファーはやっぱり、サンダルフォンと結婚すると改めて決意していた。サンダルフォンはルシファーの決意なんてちっとも知らないものだから、呑気にお湯を沸かしながらマグカップを用意している。一瞬だけ友人に貰ったペアカップが目についた。テーマパークに遊びに行ったときのお土産だった。ルシファーに対して想う気持ちはあれども流石に、と来客用のカップと愛用のカップを取り出した。といっても、来客用といいながらカップは殆どルシファー専用となっているものだから、サンダルフォンはひっそりとキッチンで笑みを零した。

Title:誰花
2022/05/16
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