ピリオド

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 カナンの事件を経て、サンダルフォンが騎空団に属して暫く経った頃のことだった。当初こそ、サンダルフォンは、それまでの団長やルリア、ビィに対する振る舞いや、そもそも、災厄を引き起こした張本人であるということから、境遇に同情を寄せる気持ちはあれども、遠巻きにされていた。しかし、騎空団に属し、事件や事故に否応なしに巻き込まれるうちに、目に見えて、壁はなくなっていた。それこそ、強請ればサンダルフォンは仕方ないとでもいうように、諦めた様子で、珈琲を振舞う程度には、騎空団に馴染んでいた。憎まれ口を叩くことにもむっとすることもなくなって、すっかり、慣れてしまっているから、それがポーズだと強請った本人は知っているし、サンダルフォンは見抜かれていることを承知のことだった。

「……報告は以上だよ」
「あまり進展はないのよねぇ」
「いや、着実に近付いてはいる。引き続き調査を頼む」

 団員に聞かれてはいけない話でもないために、サンダルフォンはハールートとマールートから調査報告を甲板で聞いていた。未だ、ルシファーに通じる手がかりは掴めていない。報告を聞き終えたサンダルフォンは引き続き調査を命じた。命じられたハールートとマールートは首肯すると姿を消す。
 ハールートとマールートは、四大天司達ほど、サンダルフォンに対して不信感を抱いていない。もっとも四大天司も、ルシフェル亡き後は、サンダルフォン以外に後継はいないと承知して、従っている。とはいえ、ハールートとマールートは役割故に、知能が制限されていることもあってか、サンダルフォンが天司長として振る舞うことに、サンダルフォンが天司長であることに、不満を抱くことはない。ほんのすこしだけ「あの」中庭のサンちゃんが上官になることはこそばゆく、面白い気持ちがあるだけだった。
 飛び立ったハールートとマールートを見送ったサンダルフォンは、一向に好転することのない状況に歎息を吐き出す。
 存在は確認できているというのに、居場所が分からない。約束を果たしたい。仇を討ちたい。はやる気持ちばかりがサンダルフォンを突き動かすというのに、その気持ちをぶつける存在の所在が分からないという現状が、もどかしくてたまらない。
 どうにもならない気持ちを、冷静に、必死に押さえつけようとしているサンダルフォンは、傍からは甲板で佇んでいるだけのようだった。グランはその姿を見かけて、報告は終わったのだろうかと考える。そして、何やらただならない様子であるから息抜きがてらお茶会でもしようかと、それから、ちょっとだけ悪戯心もあって、気配を押し殺して、その背後に手を伸ばし──

「っ!!」
「っわ!?」

 グランが声を掛けるよりも早くに、サンダルフォンは文字通り、飛び退いた。ぶわりと広げられた羽が僅かに、毛羽立っているのは、グランの見間違いではなかった。何事かと、各々、鍛錬や遊び、談笑に興じていた偶然に、居合わせていた団員の視線が、サンダルフォンとグランに注がれる。
 サンダルフォンはグランを認識すると、気配を察知して逆立っていた気持ちが落ち着いた。それから、どっと、疲れを覚える。とん、と甲板に降り立つ。その顔色があまりにもひどいものだから、グランは自分の所為なのだろうと申し訳ない気持ちを覚えた。同時に何がきっかけであったのか、分からないで戸惑いを浮かべる。サンダルフォンはハアと歎息を零し、それから気まずげに口にする。

「天司にとって、背中──羽は急所だということを、君は忘れているのか?」
「忘れてるわけじゃないよ」
「悪いが……きみを、否、君たちを信頼していないわけじゃないが此ればかりは、本能的なものだ」
「あ、それで! ……ごめん」

 謝罪を受けながら、サンダルフォンは自分はよくもまあ、嫉視していたとはいえ、八つ当たりでしかないというのに、四大天司に対してその振る舞いを、急所を狙うだなんて、残酷な手法を取ったものだと、今更ながらに省みる。麾下となった四大天司に対して、サンダルフォンはあくまでも、ルシフェルの代わりとまではいかないものの、天司長として振る舞っている。彼等も、サンダルフォンのことを天司長として扱っている。けれども、考えれば謝罪らしいものは正式にはなかった。
 次回の報告の際には、珈琲を振舞ってみようかと、サンダルフォンは考えてみる。空の民の営みに頻繁に介しているガブリエルや、何かと空の民への介入が多いラファエルは珈琲を好みそうだと、漠然とした印象を抱いた。ミカエルやウリエルはどうだろうか。ミカエルは役割を優先して、空の民の文化や営み、その生産物に対しての興味が薄い。ウリエルは空の民への関心はあれども、果たして──サンダルフォンは、まあ次回の報告の際に、誘うだけ誘ってみるかと考えると未だ、もごもごして居心地悪そうなグランに声を掛ける。

「何か用事があったんじゃないのか?」
「ああ、うん──報告は終わったの?」
「あまり進展はしていないな」
「そっか……」
「それだけじゃないだろう?」

 サンダルフォンが曖昧に誤魔化そうとするグランに言えば、グランはといえばへらりと笑うと、

「時間があるならさ、これからお茶会でもどう? ルリアとビィを誘って」
「それで俺が珈琲を淹れるということか」

 グランの情けない顔を見て、サンダルフォンは呆れたように笑って言った。
 折角だし、クッキーとかあれば良いんだけど主調理室にいったらあるかな。なんて呑気なことを言うグランに、サンダルフォンは淹れさせられている砂糖たっぷりとびっきり甘い珈琲牛乳を思い出して、味覚は大丈夫なのだろうかと、内心で、心配をしてみせた。
 その日常は然程、過去のものではない。
 ルシファーとの戦いを経てから暫くして復活を果たしたルシフェルが同乗するようになってからも、サンダルフォンとグラン、ルリアやビィのお茶会は続いている。けれども頻度はさして多くは無かった。寧ろ減少したといっても良い。というのも、ルシフェルがサンダルフォンのことを殆ど独占しているのが現状だった。まあ仕方ないかと笑ってしまうくらいにはルシフェルがサンダルフォンを連れ立っている姿は当たり前になっていた。
 不意に空いてしまった時間に、久しぶりにサンダルフォンを誘ってお茶会をしようかとルリアとビィに声を掛ければ賛同をされ、探してみればサンダルフォンはルシフェルとのお茶会をしているようだったから、混ざろうとするビィを制止して後にする。グランには馬に蹴られる未来しか見えなかった。
 その気配を察していたサンダルフォンは、なんだか気まずい気持ちを覚えた。グランの思考までは読めてはいないものの、気を使われているような気がしてならない。複雑な気持ちになって、後から声を掛けようと思ってルシフェルをつい、優先してしまうくらいには、グランの思考は確信をついていた。
 ほとんど毎日のようなルシフェルとサンダルフォンのお茶会の場に、会話は多くなかった。当初こそ、サンダルフォンは騎空団に属してからのトンチキな出来事を話したものだった。
 耽美書を通じた空の民の熱意のぶつけ方であったりとか、アウギュステで遭遇した空飛ぶサメであったり、月の民との邂逅であったり──ルシフェルはそのどれもが興味深くあり、疲れたように、それでいて、懐かしみながら話すサンダルフォンの横顔を愛しく思いながら、聞き入っていた。
 話題が尽きてしまえば、無言の時間も多かった。
 かつての、研究所の中庭であったなら、その無言をサンダルフォンは気まずくて堪らずに感じて、沈黙を誤魔化すように、しどろもどろな言葉を紡いだ。しかし今となっては、沈黙の時間も苦ではなかった。どうしてなのだろうと不思議に思いながら、サンダルフォンはぱちりと、視線が交わったルシフェルに、ふにゃりと笑みを向けた。ルシフェルもまた、にこりと、笑みを浮かべる。
 レースカーテンから入り込んだ陽射しがサンダルフォンとルシフェルの輪郭を優しく彩った。団員たちの明るい声が、部屋にも届いた。
 不意に、ルシフェルが声を掛けた。

「羽の手入れはしているのかい?」
「ええ。勿論です」
「そうか。……見せてもらっても?」
「はい」

 いうと、サンダルフォンは立ち上がり、失礼しますと声を掛けてから、ルシフェルの足下に座る。それから、羽を顕現させた。ふわり、と広がった鳶色の翼にルシフェルが触れる。サンダルフォンの背筋に、ぞくぞくと、緊張のような、期待が走る。
 傷一つない手が丁寧に、羽を整える。羽に、元素が行き渡っていく。ほう、とサンダルフォンが息を吐き出した。一瞬だけ、ルシフェルの手が止まる。それも、一瞬のことであった。
 羽に触れながら、ルシフェルは努めて静かに、声を掛ける。

「あまり、無防備に晒すものではないよ」
「まさか! ルシフェル様だけです」
「うん、そうだろうけれど……うん……」

 サンダルフォンがあまりも信頼を寄せて来るものだから、ルシフェルは言葉を詰まらせてしまった。
 本来、天司に羽の手入れは不必要だ。役割を得て、天司長のために、空の世界を飛び回る天司はその過程のなかで、羽にエーテルが行き渡る。けれども、その役割を伏せられながら、研究所で軟禁生活を送っていたサンダルフォンは、エーテル不良を起こし、頻繁に羽を曇らせていた。文字通りに、くすんだ羽に絶望して不具合だ廃棄されるとサンダルフォンが嘆いたのを察したのはルシフェルだった。それから、空を飛ぶことを禁じられているサンダルフォンの羽の手入れを、ルシフェルがしていた。今となっては、軟禁されることもなく自由に飛び回ることが出来るのだから、不要だと承知していながらも、サンダルフォンにとっては当たり前で、今更とも思わない。懐かしいという気持ちだけだった。背中だけでなく、力の根源たる羽を晒すことをルシフェル相手にはサンダルフォンは微塵にも、躊躇いはなかった。
 羽の手入れを終えたサンダルフォンはにこやかに、ありがとうございますと口にする。その笑みに、ルシフェルはどうにか微笑を返した。少なからずの下心が見抜かれていないことに安心半分、残念半分の、複雑な気持ちだった。
 お茶会を終えたサンダルフォンは、手入れをしてくださったお礼と無理矢理に片付けを買って出た。渋るルシフェルだったが、サンダルフォンが梃子で譲らない様子に、とうとう、苦笑して折れた。サンダルフォンは、片付けが終っても、嬉しい気持ちが続いていた。気が緩むと、口元がふにゃふにゃとしてしまいそうになる。懐かしい感情だった。部屋まで我慢できずに、サンダルフォンは少しだけ、と言い訳をしてから羽を顕現させる。自分ではどのようになっているのか分からない。背中が軽く、爽やかな気持ちになる。
 お茶会を終えたルリアが、片付けのために立ち寄ったのは偶然だった。サンダルフォンは目を丸くするが、ルリアはきらきらとした視線をサンダルフォンに注ぐ。

「サンダルフォンさんの羽、今日は一段とつやつやしていますね」
「ルシフェル様が整えて下さったんだ」

 興奮気味に言うルリアに、サンダルフォンが照れくさそうに言った。サンダルフォンはますます、気恥ずかしさを覚える。ひょっこりとルリアの背中から顔を覗かせたグランはふうんというと、口元をにやけさせた。

「ルシフェルは特別なんだ」
「……否定はしない。だが、なんだそのニヤけた顔は」
「べつに?」
「言いたいことがあるなら言ってくれないか」
「いやいや……馬に蹴られたくないもの!」

 馬とは何のことだ。さっぱり分からない様子のサンダルフォンにグランはにやにや顔で、ね? とルリアに同意を求めたが、ルリアもさっぱり顔だった。

Title:エナメル
2022/05/09
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