ピリオド

  • since 12/06/19
 航空するグランサイファーには人の気配が絶えることはない。その気配に、乗り合わせた当初こそ戸惑いを覚えたものだった。過去形であるものの、今でもなんともいえない、不思議な、困惑にも似た感情が湧き上がる。決して不愉快ではないものの、それまでの私であったならば──天司長であったならば触れることのなかった環境に、どのように腰を据えて良いのか分からない。そんな私を気遣ってか、サンダルフォンは親身に、勘違いしてしまうほどに良くしてくれる。天司長ではないのだと言っても、変わらずにルシフェル様と呼ぶ声に苦笑を浮かべながらも、決して、悪い気持ちはなかった。
 船内を出ると眩い陽射しに目を細めてしまう。それから目が馴染むと、甲板を見渡す。晴天が広がる。快晴の中、シーツがはたはたと風に煽られていた。洗濯当番は仕事を終えた様子だった。今日はサンダルフォンが当番の一人だったと、聞いていた。そのために、喫茶室は休みとなっている。ならば、と思い探しているものの、グランサイファーは広く、さっきまでそこにいたんだけど、呼ばれてあっちに……といった具合に、すれ違っていた。急ぎの用事ならば呼びだそうか、と提案されたものの、個人的な内容であったために断り、探し続けていた。
 どこだろうか。とはためくシーツを合間をぬうように歩き、見渡し、賑やかな喧騒のなかに混じった、聞き覚えのある声に視線を向けた。向けてから、虚しさのような、心が冷えてくかのような感覚を覚える。
 団長や蒼の少女がサンダルフォンを囲み、そしてサンダルフォンの頭上には赤き竜が陣取っている。楽しそうに笑っている団長や蒼の少女、赤き竜に対して、サンダルフォンはやれやれとでもいうような、仕方なさそうな、呆れたように笑っている。その様子を赤き竜が揶揄い、サンダルフォンがむっと怒りを見せる。微笑ましい光景であり、騎空艇ではよく見られる姿だった。幾度も、その姿を私自身も見た事がある。サンダルフォンはすっかり、騎空団に馴染んでいる。後から身を寄せた私が言うことでも、評価することでもないが、団員たちと良い関係を築いている。当初こそ、その姿を微笑ましく思っていた。だというのに、今では息苦しさを覚えている。ちくちくとした慢性的な痛みを覚える。
 サンダルフォンは、声を掛ければ私を優先する。傲慢でも、思い上がりでもなく、事実である。きっとルシフェル様、と私の名を呼び、団長たちに断りを入れて私のもとに駆け寄ってくる。きらきらとした眼差しを私に向ける。そんな想像がつく。けれども、私はその場で声を掛けることが出来ずにいた。結局、その場を離れてしまう。居た堪れなさ。居心地の悪さ。──つまるところの、孤独感を抱きながら与えられた部屋に戻っていた。もやもやと胸中に渦巻く、やりきれなさに歎息をもらしてしまった。

「ルシフェル様、いらっしゃいますか」
「ああ……どうかしたのかい?」
「俺の事を探しているって聞いたものですから」

 訪ねて来たサンダルフォンは、何かあったのではないかと不安いっぱいな顔で私を見上げていた。覚えのある満足感を思い出してしまう。研究所の中庭で、私を認識する寸前の姿。私という存在を求める姿に、抱いたほの暗い感情。サンダルフォンの純真を踏みにじるような、悪辣な感情に、苦い気持ちを抱いた。
 逡巡、口をまごつかせた私をいよいよ心配するサンダルフォンに安心して欲しくて笑みを向け、言葉をかけた。

「今日は喫茶室が休みだと言っていたから、一緒に珈琲でもどうか、と思ったんだ」

 私が言うなり、ぜひ! とやや食い気味に返事をするサンダルフォンに思わず笑ってしまう。サンダルフォンは恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
 どうせならば、というサンダルフォンの言葉に、本日休業とプレートが下げられた喫茶室に、二人で、サンダルフォンは喫茶室の責任者であるというのに、悪いことをしている気持ちみたいなものを抱きながら、同時に、わくわくとしながら入る。団員がいない喫茶室は妙に広く感じた。当たり前のようにカウンターの中に入ろうとするサンダルフォンを止める。サンダルフォンは不思議そうな顔をするから、苦笑する。

「私が淹れるよ」
「え」
「元々、そのつもりで誘おうと思っていたからね。……ダメだろうか?」
「いえ、あの、良いのですか?」
「勿論だとも」

 サンダルフォンがそわそわとカウンターを出ると入れ替わりに私が入る。勝手知ったる、程ではないにしても喫茶室にどこになにがあるのか、ということは把握していた。普段はサンダルフォンの手伝いをしているのだ。
 願われ、望まれ、再び、空の世界で生きている。天司長としての役目もなく、役割もないという、サンダルフォンが眠る繭を前にして口にした通りのまま、夢の続きのように、隣にサンダルフォンがいる、自分にとって、あまりにも都合が良すぎる世界だ。
──喫茶室は俺がしたいことですから、と言って申し訳なさそうにしていたサンダルフォンをどうにか説き伏せて、手伝いを許された日はつい、浮かれてしまった。その日の事を昨日のことのように、思い出す。実際には、随分と前のことだった。手伝い、と口にした内容に嘘偽りは一つとして無い。ただ、口にはしないものの、サンダルフォンと離れたくないという身勝手が根底にあった。真剣に、いつか喫茶店を開きたいという夢を抱くサンダルフォンに対して、邪な欲望を口には出来なかった。
 サンダルフォンが接客をしながら、珈琲を淹れる姿に今でこそ慣れたものの、初めて目にしたときは驚いた。団長がひっそりと、サンダルフォンすごく頑張って勉強してたんだよ、と耳打ちをしてきて、自分のことのように誇らしい気持ちと、サンダルフォンが遠くに行ってしまったかのようなもの淋しさを抱いた。
 理解はしているのだ。だからこそ、私は天司長としての責務をサンダルフォンに託したのだ。だというのに、未だに研究所の中庭で私を待っていたサンダルフォンの姿がちらついて、その姿とはかけ離れた姿に、戸惑いにも似た困惑を覚えて、狼狽える。
 淹れた珈琲をサンダルフォンに差し出す。
 嬉しそうに飲むサンダルフォンに、自分も珈琲を口にする。自分で淹れたものは、慣れ親しんだ味であるものの、サンダルフォンが淹れる珈琲の方が美味しいと思えた。

「次は俺が淹れますね」
「それは、楽しみだ」
「いつだって飲めるでしょう?」
「私のために淹れてくれたサンダルフォンの珈琲なのだから、私にとっては至上の一杯だ」

 サンダルフォンは、ルシフェル様でも冗談を言われるのですね、と笑った。冗談だと思われているようだった。冗談ではないのだが、と思ったものの、笑うサンダルフォンにすっかり絆されて口にすることが野暮に思えた。
 二人きりで、珈琲を飲みながら語らうことはあまり多くない。ままならなさに、零し掛けた嘆息を珈琲と一緒に飲みこんだ。
 その次の日にはサンダルフォンは喫茶室を通常通りの営業に戻していた。馴染みの団員が訪れて、持ち寄った本を読んでいる。回転数や、新しい客層、とサンダルフォンは難しい顔をして、課題点として取り上げているが、航空している艇内と限定すれば、仕方のない課題でもあるようだった。

「やってる?」

 そう言ってひょっこりと顔を覗かせた団長に、私はやっているよ。と声を掛ける。団長はきょとりとしていた。サンダルフォンは、入るなら入れ、と声を掛けた。団長ははぁいと気の抜けたような返事をすると、カウンターに座った。

「珈琲牛乳でいいか?」
「うん、牛乳多めにしてね」
「わかってる。牛乳だけじゃなくて、砂糖もだろ」
「わかってるね」
「毎日作らされれば覚えるさ」

 つまらない気持ちを覚えた私は、そんなみっともない感情を他の誰でもないサンダルフォンに悟られたくないと、何でもないように振舞う。気にしていませんと言うように、平然と過ごす。
 そんな自分が、ひどく、惨めだった。

「このまま順調だったら、明後日には島に寄れるみたい」
「このあたりの島となると──」
「うん、知ってる?」
「悪いが……。ルシフェル様は御存知ですか?」

 話しを振られて、逡巡、記憶をたどった。

「小さな島だ。空図によっては、意図せず排除されることもある。時期によっては嵐が取り囲むように発生するために辿り着くことが困難だが、この気候ならば問題なく辿り着くだろう。私が記憶している限りでは、自然豊かな島だ。物資の供給ということなら、ものによっては手にはいらないものもあるだろうが概ねは問題ないだろう」

 数度、降り立ったことがある。
 星の民が空の世界を放棄して、久しい頃だった。星の民どころか、空の民すら踏み入れたことのない島は物珍しかった。戦火にも巻き込まれなかったであろう島だった。その中でも、遠目から、中庭で咲いている花を見かけたのだ。実際には、違っていたのだが見間違えたことを、覚えている。らしくもない。なんせ中庭で管理されている草花は、研究所で栽培したものだ。空の世界にあるはずがない。それでも、その花を目にした瞬間に、記憶は、心は、中庭に呼び戻されたのだ。
 執着するものではないと分かっていながらも、中庭の記憶を求めて島に降り立つことは一度や二度だけではなかった。そのうちに、手つかずであった島にも空の民が移り住み始めたため、足は遠のいた。
 過度に関与することは許されない。干渉は進化の妨げになる。今では、その花はこの世界に無い。進化の過程において淘汰された。
 苦い、思い出がよみがえった。
 私の説明に、団長はザンクティンゼルみたいな島かな、と想像を膨らませて、口にしていた。気候や島民の性質は似ていたから同意をした。
 娯楽の少ない騎空艇内で、島に立ち寄るという情報は猛スピードで駆けめぐっていた。浮足発ったような雰囲気にサンダルフォンも呑まれた様子で、どこか落ち着きなく、喫茶室の備蓄を確認していた。

「足りないものって、あとは何かありましたっけ?」
「砂糖は良かったのかい?」

 団長の真似事をしてか、年少の団員たちの間でもささやかながら珈琲が流行っているようだった。当然、そのままで飲める子どもたちはいない。結局、砂糖や牛乳がたっぷりとはいった珈琲牛乳になる。お陰様というべきか、砂糖の消費量が以前に比べると多かった。

「そうでした! 結構な量になるな……」
「買い付けなら手伝うよ」
「いえ、そこまでルシフェル様を付き合わせてしまうわけには」
「構わないよ。それに、君の事を独り占めできるだろう」

 サンダルフォンは、また私が冗談を言っているのだと思い込んでいるようだった。
 天気が荒れることなく、無事に島に寄港することになった。団員たちが飛び出していく。懐かしさ、とまでの感慨深さは湧き上がらないものの、然程変わりの無い島の風景が広がっていた。

「サンダルフォン、」

 団長がサンダルフォンを呼びかける声が耳朶に触れたときには、行動を起こしていた。無意識だった。どうかしたのか。と口にしようとしたサンダルフォンの口からは、ぎゃっと短く、小さな悲鳴が漏れていた。抱き寄せた体を抱き留め、飛び上がる。

「サンダルフォン、暴れないで欲しい」
「は? っわ!?」
「夜までには帰って来てねぇ!!」

 団長の叫びや姿が遠く、小さくなっていく。腕に納まっているサンダルフォンは何が何やら分からない様子で、抵抗することもなく、されるがままであった。
 羽搏かせて、暫くして、目指していた場所は記憶と変わらない様子で、存在していた。何度か立ち寄った場所だった。人が出入りするには難しい場所だったためか、手つかずの自然が残っている。とはいえ、長い歳月を経ているために、かつてのまま、とはいかない。
 落ち着きを取り戻したサンダルフォンは、きょろきょろと周囲を見渡していた。
 降り立ち、それから名残惜しむ気持ちがありながら、サンダルフォンをその場に降ろす。
 向かい合えば、サンダルフォンは咎めるというよりも、困惑が大きい様子だった。

「強引すぎますよ」
「けれど、こうでもしないと君はすぐにいなくなってしまう」
「いなくなんてなりませんよ。それに一緒に買い付けに行くと、約束をしたでしょう?」

 サンダルフォンは苦笑するように言った。けれど、私は同意することなんて出来やしない。
 なんせサンダルフォンときたら、いつだって連れ去られている。日中には喫茶室で、訪れる団員はひっきりなしであるし、夜間でさえ締め切りというものに追われた団員が珈琲を求めている。珈琲だけを、サンダルフォンに求めているのならば私が代わりに淹れる。けれども、それだけではない。彼等はサンダルフォンとの時間を求めているのだ。代わりではなく、サンダルフォンを求めているのだ。

──私だけの、サンダルフォンであったのに。

 それに、確かに一緒に買い付けに行くのかもしれない。けれども、二人きりではない。サンダルフォンは合理的に、荷物持ちが増えるからと考えて声を掛けて来た団長たちに、同行を許す。そこには、おそらくだが、私の負担が減るという考えもあってのことだろう。嬉しさよりも、不満が湧いてしまう自分の欲深さを、どうにも抑えられない。情けない言葉が口から零れ、溢れ出していた。

「私にしか見せない笑みも、怒りも悲しみも──彼等にみせる呆れも、きみの時間も、すべて、独り占めしたい。……これが、かつてきみを苦しめた痛みであり、苦しみなのだろうか?」
「そこまで苛烈では──多少は、まあ、あったかもしれませんけれど」

 否定を口に仕掛けたサンダルフォンだったが、早々に同意を示したから、私は嬉しくなってしまう。場違いだと理解していながらも、サンダルフォンが抱いた不快感妬み嫉み疎外感、すべてが、私を求めるものだと実感してしまうから、身をもって知っているからこそ、じわじわと喜びが湧いてしまった。

「……それなら、仕方ない、ですね」

 そういったサンダルフォンの表情は、言葉とはちぐはぐににこやかだった。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -